52 事故! 事故だから――っ!


 ってゆーか、この体勢、ヤバくないか……?


 いくら童顔で可愛いとはいえ、エキューだって、攻略対象キャラの一人だ。


 姉貴は体育祭関係ではエキューとのイベントがあるって言ってたし……。はっ! もしかして、これがそうか!?


 押し倒されたこの体勢はマズイと、今さらながらに気づく。

 焦燥がじわりと大きくなりかけたところで。


 ピピッ! ピピピピピ……ッ!


 突然、アラーム音が響く。


「えっ!? もうそんな時間!? わぁっ、ハルシエルちゃん、ごめんね!」


 ぱっ、とはじかれたように起き上がったエキューが、俺の手を掴んで引っぱり起こそうとする。

 俺が身を起こす間もアラームはうるさく鳴り続けたままだ。


「この音は……?」


 首をかしげると、エキューがあわてた様子でリュックの中から腕時計を取り出して何やら操作した。可愛い顔に似合わず、意外とスポーティでゴツイ感じの時計だ。


「ごめん、ハルシエルちゃん! 僕、これから運動部各部との打ち合わせがあって……!」


 紅い顔であわあわと告げるエキューにかぶりを振る。


「気にしないで、急いで行って。私はもう少し練習しているから。ごめんね、ぎりぎりまでつきあわせちゃって。でも、教えてくれてありがとう!」


 笑顔で告げると、エキューがほっとしたように表情を緩めた。


「ありがとう! じゃあ、僕、行ってくるね!」


 リュックを背負ったエキューがあわただしく駆けていく。


「いってらっしゃい」

 軽く手を振りながら、その背を見送り――。


 ヤ、ヤバかったっ! ありがとう、アラーム! ありがとう、打ち合わせ!


 エキューの姿が見えなくなったところで、俺は身体中の空気を振り絞るように深く吐息しながら、思わずしゃがみこんだ。


 走り去るエキューの髪からのぞく耳が、先まで紅く染まっているように見えたけど……。


 うんっ、きっと気のせいだよなっ! アラームが雰囲気ぶち壊してたし! エキューだって、何にもないようにぱっと立ってたし!


 そう、さっきのは事故! 事故なんだよっ!


 と、自分に言い聞かせたところで。


 俺は、はっとあることに気づく。

 そろりと辺りを見回し。


「シノさん。もしかして、います……?」


 おずおずと問うたが、返ってくる声はない。

 が、俺に答えるように、そばの茂みがかさりと、かすかに揺れたのに気づく。


(や、やっぱり……。絶対、姉貴に言われて張ってたな……)


 だが、茂みはかさかさと動くだけで、シノさん本人が出てくる気配はない。


「あのー、シノさん……?」


 不審に思って揺れる茂みに近づいた俺は、木の葉の向こうにうずくまる黒いメイド服を見つけた。


 やっぱりいるじゃん……。これもう、ストーカー認定してもいいんじゃね?

 って!


「シノさんっ!? どうしたんですかっ!?」


 茂みの向こうにうずくまったシノさんは、ビデオカメラを胸に抱きしめ、はらはらと涙を流していた。


「ええっ!? どうしたんですか!? おなかが痛いとか……? あっ、違うんですよ!? 盗撮なんてやめてほしいのは本心ですけれど、別にシノさんにすごく怒ってるとかそういうわけじゃ……!」


 泣いている女性を慰めた経験なんて、今まで一度たりともない。


 ……推しキャラが死んで、荒れ狂う姉貴のグチを延々聞かされた経験なら、何度でもあるけど。


 どうすればいいかさっぱりわからず、俺は狼狽うろたえまくりながら声をかける。


「……ます……っ」

「はい?」


 シノさんが涙声でぼそりと呟く。

 よく聞こえず、俺はシノさんと同じようにしゃがむと、身を乗り出した。


 シノさんが濡れた面輪を上げる。潤んで熱を宿した黒い瞳が真っ直ぐに俺を見つめ、どきりと心臓がはねる。


 やっぱいいよな! クール系キャラが見せるギャップって! すっごく萌え――、


「尊い……っ! 尊すぎますっ! ハル様が繰り広げられる萌えにときめきすぎて……っ! 歓喜と感動の涙が止まりませんっ!」


 そんな理由か――っ!

 いや、哀しみの涙じゃなかったのはよかったけどっ! けどっ!


「さすがハル様! BLの勇者様っ! 先日のディオス様、リオンハルト様にもきゅんきゅんいたしましたが、今のエキュー様に押し倒されたのもよかったです……っ!」


 ビデオカメラを豊かな胸に抱えたシノさんが両手を合わせて俺を拝む。


「ちょっ!? 押し倒されたなんて、誤解しか招かない発言しないでっ!? あれは事故っ! 事故だから! あと拝むのもやめて――っ!」


「ではハル様をたたえる歌を熱唱すればよろしいですか?」

「それもやめてっ! どうせロクでもない歌詞だろ、それっ!」


「BLの勇者であり、ときめきの具現者であるハルさまを讃える内容ですが……?」


 どこが駄目なんですか? と言いたげにシノさんが小首をかしげるが、それ、絶対にご遠慮したいヤツだから!

 そもそも讃えられる意味がわかんねーよっ!


「昨日は姉貴にごまかされましたが、今日は逃しませんよ! そのビデオカメラを渡してください! 没収します!」


 ずいっ、と手を出すと、シノさんが血相を変えて胸元のビデオカメラをますます強く抱え込んだ。

 ぷるぷると、おびえる子うさぎのようにかぶりを振る。


「これだけはっ! これだけは、いくらハル様のご命令でも渡せませんっ!」


 メイド服に包まれたシノさんの豊かな胸に、ビデオカメラがむにゅんと埋まる。


 ビデオカメラめ、けしからん……っ! って違う! けしからんのはシノさんの盗撮の方だよっ! 惑わされるな、俺!

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