48 そんなことじゃ、ヒロインの名が泣くわよ


 思いがけないティータイムが終わり、姉貴とシノさんが退出した後、ほどなく勉強会もお開きになった。残りの準備はまた明日だ。


 俺はイゼリア嬢が生徒会室を辞すのに合わせて、「理事長にちょっと用事があるので」と部屋を出た。


「イゼリア嬢、ごきげんよう。また明日!」


 俺の挨拶に、イゼリア嬢は「ええ、ごきげんよう」とだけ、そっけなく告げると、くるりと背を向ける。


 くうぅっ、つれない! でも同じ生徒会役員になって、挨拶を交わせるようになっただけでも、一歩前進だ! 次の目標は、「ハルシエルさん、ごきげんよう」と名前を呼んでもらうことだなっ!


 俺は階段を下りてゆくイゼリア嬢を見送ってから廊下を進み、同じ階にある理事長室へ向かう。


 扉をノックしようとして。

 締め忘れたのか、薄く扉が開いているのに気がついた。


 中からは何やら楽しげな声が洩れ聞こえてくる。


 どうせ姉貴とシノさんの二人で、さっきのお茶会の萌え語りに盛り上がっているんだろうけど、不用心だな、おい。


 四階のここまで来る生徒は滅多にいないが、理事長とメイドが目を輝かせてBL談義をしているなんて知られたら、とんでもない騒ぎになるぞ。


 呆れつつ、洩れ聞こえる声についつい耳を澄ませてしまう。


「ふふふ……。シノ、気がついた? さっきのお茶会で、ディオスのハルシエルの呼び方が、「オルレーヌ嬢」から「ハルシエル」に変化してたわよ! 二人の関係は、確実に進展してるみたいね……!」


「わたくし、先日の監視カメラの映像にはきゅんとしました! 階段から落ちかけたハル様を、とっさに抱きとめるディオス様……っ! 素敵でしたわ!」


 さすが姉貴、細かいところに気づいたな……。って、監視カメラって!?

 学園の備品を私的に流用しすぎだろっ!


 俺は恐怖におののく。


 学園内の監視カメラの映像までチェックされてるなんて……っ! 学園内にいる間、片時も気が抜けねぇ……っ!


「ただ、ディオスはともかく、他のイベントはあんまり進んでなさそうなのよねえ」

 姉貴が、ふぅ、と残念そうに吐息する。


「わざわざくじを細工したっていうのに……」


 ――――は?


「ちょっと待て――っ! くじに細工したってどういうことだよっ!」


 俺は盗み聞きしていたことも忘れて、ばぁんっ! と理事長室のドアを開け放つ。


 執務机についていた姉貴と、その前に立つシノさんが、ハッとした様子で俺を振り返る。


「ハ、ハル様……」


 かすれた声で呟いたシノさんが顔を強張らせて身構えた姿に、一瞬、心が痛む。

 が、知ったことか! くじに細工したことは、実行犯はシノさんだろっ!


「なんでくじに細工なんてしたんだよっ! イゼリア嬢と一緒の組になりたいって姉貴には相談までしたってのに……っ! それを……っ!」


 怒りに視界が白く染まる。

 足音も荒く執務机に近づく俺に、しかし姉貴は泰然たいぜんとしたものだった。


 姉貴の冷静な顔に、ますます怒りが募る。

 俺は執務机の前まで来ると、握りしめた拳を思いきり机に叩きつけた。


 どんっ! と理事長室に重く乾いた音が響き渡る。


「最低だっ! 見損みそこなったぜ! 姉貴なら、俺がどれほどイゼリア嬢と同じ組になりたかったか……わかってるだろっ!?」


 俺の叫びに、姉貴の顔が哀しげに歪む。

 まるで、見えない刃で斬りつけられたように。


 外見だけはいい年をした大人の男が、今にも涙をこぼすんじゃないかと思えて、反射的に言葉に詰まる。


 くそっ、哀しそうな顔をしたって、そう簡単には丸めこまれたり――、


「わかってる。どんなに謝ったって、ハルに許してもらえないだろうってことは」


 姉貴が静かに口を開く。


「推しと体育祭のイベントをこなせないなんて、身が裂かれるほど辛いわよね。わかるわ……。でも」


 姉貴がまぶたを伏せ、切なげに吐息する。


「推しの幸せはファンの幸せ。ハルシエルには、どうしてもディオスやエキューと同じ組になってもらう必要があったのよ……」


 心に染み入るような姉貴の声。


「な……っ、どういうことだよ!? 推しのため、って……。俺とイゼリア嬢が同じ組だと、イゼリア嬢に不幸でも起こるっていうのか!?」


 確かに、俺がプレイしたリオンハルトルートでも、イゼリア嬢とは組が別だった。

 そのせいで、体育祭前にはイゼリア嬢から絡まれたりしたけど……。


 俺が同じ組になりたいとワガママを言ったせいでイゼリア嬢に迷惑がかかったりしちゃ駄目だ! それは何としても阻止する! イゼリア嬢に迷惑をかけるわけにはいかない!


「姉貴! いったい何を知ってるんだよ! なんで俺がディオス達と一緒の組になる必要が……」


「少し考えれば、わかるでしょ?」


 姉貴が挑むような視線で俺を見るが……。

 何のことやら、さっぱりわからない。


 姉貴が呆れたように吐息した。


「まったく。そんなことじゃ、ヒロインの名が泣くわよ」

「え?」


 姉貴がぐっ、と力強く拳を握りしめる。


「わからないなんて『キラ☆恋』ファン失格よっ! 体育祭といえば、運動神経のいいディオスとエキューのイベントが目白押しに決まってるでしょっ! 二人と違う組になってそれを逃すなんて――天地がひっくり返ってもありえないわっ!」


「姉貴の萌えのためかよっ!」


 どんな重大な理由があるかと思えば……BLのためかっ!

 姉貴にマトモさを求めた俺が馬鹿だったよ!


「ってことはアレか!? ディオスやエキューとイベントを起こすために俺とイゼリア嬢を引き離したっていうのか!?」


 視線が刃になるなら、澄ましたイケメンづらのど真ん中を貫けとばかりににらみつけたが、姉貴は小揺こゆるぎもしない。


「仕方がないでしょ! 一年生ばかり三人も同じ組にするわけにもいかないじゃない!」


「なら俺とイゼリア嬢に、ディオスとエキューにすりゃよかっただろっ!」


 俺の叫びに、姉貴が雷に撃たれたように、ハッとする。


「お互いにライバル心を抱いているリオンハルトとヴェリアスが一緒の組で、勝利のために協力する……! それもまた熱い展開ねっ! さすがハル! やるわねっ!」


「褒められても全然嬉しかねーよっ!」


「その手もあったとは……! これが負うた子に教えられるってことかしら? ああっ、ハルもBLに目覚めてくれるなんてっ、あたし、嬉しい……っ!」


「目覚めてないからなっ! 俺が萌えるのはイゼリア嬢だけだからっ! BLになんざ、絶対、ぜぇ――ったい目覚めてたまるか――――っ!」


 思いっきり叫んだ俺は息切れして思わず執務机の前にへたりこむ。


「ほ――ら――っ! リオンハルト達二年生もくじにすりゃよかったじゃん!」


 ばしばしばしっ! 平手で執務机を叩いて訴えるが……。

 うん、さすがに今から組を変えたりはできないよな……。


 わかってる! わかってるけど……っ! このやりきれない気持ちの持っていきどころがねぇっ!

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