40 後姿を見た時に、きみじゃないかと思ったんだ


 春の柔らかな夕陽が、並木道の新緑を通して、一人で歩道を歩く俺を照らす。歩道に落ちる木の葉の影はレースのように複雑で繊細だ。


 入学式の時は満開の桜が咲いていた並木道は、すっかり葉桜に変わっている。ハルシエルに転生してからもう一ケ月半以上も経ったなんて、なんだか信じられない。


 校門を出てすぐ、ディオスとエキューを乗せた高級車が、隣を通り過ぎて行った。


「ハルシエルちゃん、また明日ね!」


 わざわざ窓を開けて、エキューが手を振ってくれる。

 エキューの笑顔に俺も手を振り返す。エキューの向こうでディオスが微笑んで会釈するのが見えた。


 二人が乗った車が見えなくなり、俺はふたたび前を向いて歩き出す。


 夕方まで学校に残っていたのは初めてだ。

 前世は帰宅部だった俺は、学校に残る機会なんて、何かの行事の時しかなかった。


 バイト先のパン屋・コロンヌから帰るのも夕方だが、アルバイトから帰る時とは少し違う、心が浮き立つような感覚。


 行事が近い学校特有の浮わついた雰囲気に、俺も影響されているのかもしれない。こういうお祭り前の雰囲気は嫌いじゃない。


 ハードル走の練習をして、生徒会の仕事をして、と疲れているはずなのに、足取りは自然と軽くなる。鞄と制服を入れた布袋を手に、初夏の夕暮れの雰囲気を味わいながら歩いていると。


 後ろから、低く静かに響く高級車の排気音が近づいてくるのが聞こえた。

 クラブで残っていた生徒の一人だろうと、特に気にも止めないでいたが。


 俺の真横で、高級車が停まる。


 なんだろうと振り返った俺の耳が、ドアを開閉する音をとらえた。


 夕陽がスポットライトのように、車から降り立ったすらりとした長身を彩る。陽光をりあわせたような金髪が初夏の風にさわやかに揺れた。


「よかった。後姿を見た時に、きみじゃないかと思ったんだ」


 蜂蜜みたいに甘い響きの、耳に心地よい声。

 車から降り立ち、俺の視線を受け止めたのは。


 声と同じく、甘い笑みをこぼすリオンハルトだった。


 へ? なんで、リオンハルトがここにいるんだ?


 ぼんやりと、突然現れたリオンハルトを見つめていた俺は、高級車が走り去る音で我に返った。


 おいっ! なんでリオンハルトを置いて車が行っちゃうんだよっ!?


「あ、あのリオンハルト先輩……。お車、行ってしまいましたけど……?」


 呆然とリオンハルトに問うと、リオンハルトが花が咲くような笑みを浮かべた。


「ああ、構わないんだ。後でまた拾うから」

「……?」


 わけがわからず、小首をかしげる。

 と、リオンハルトが悪戯いたずらっぽく微笑んだ。


「でないと、きみと一緒に帰られないだろう?」 


 …………は? なんですと?

 ちょっと脳の理解を超えたんですけれど……。


 俺の心を読んだかのように、リオンハルトがくすりと柔らかな笑みをこぼす。


「こんな時間に帰るということは、今日は花組の面々も打ち合わせをしていたんだろう? ディオスの性格だ。夕暮れ間近だというのに、きみを徒歩で一人帰らせるとは思わない。きっと車で送ろうと申し出たはずだ」


 リオンハルトがまるで見てきたような口ぶりで説明する。


「だが、実際には一人で帰っているということは……。きみは、ディオスの申し出を断ったんだろう?」


 正確に言い当てたリオンハルトに、こくりと頷く。


「なら」


 リオンハルトが首をかしげると豪奢ごうしゃな金の髪がさらりと揺れた。木の葉の間から差し込む夕陽が、とろけるような金の髪をさらにあでやかに彩る。


「きみと同じ徒歩なら、駅までエスコートさせてもらえるかと思ってね」


 いやいやいやいやいやっ!

 そのために乗ってた車を帰したの? リオンハルトって馬鹿だったの?


「け、けっこうです! 一人で帰れますからっ!」


 俺はぶんぶんぶんと首を横に振る。


 ここでリオンハルトと帰ることになったら、何のためにディオスの申し出を断ったんだよ! まったく意味がなくなるじゃねーか!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る