41 きみが逃げないと誓ってくれるなら
「だいたい、第二王子様が下級貴族とふらふら歩いていてよろしいのですかっ?」
俺の言葉に、リオンハルトは楽しげに喉を震わせる。
「同じ学校の生徒が一緒に帰るのはおかしなことではないだろう? 聖エトワール学園では、生徒はみな平等だ」
「今はもう学外です!」
間髪入れずに言い返すと、リオンハルトが苦笑した。
「きみはなかなか意固地だな。……そんなところも愛らしいが」
「っ」
息を飲んだ瞬間、リオンハルトの手が、俺の鞄と布袋を優しく奪う。
「あっ!」
「返してください!」と伸ばした俺の手を避けるように、リオンハルトが身体の後ろに手を回し、鞄と布袋を隠す。
「もう、車は先に駅へ行かせてしまったし。同じ道行きなのだから、きみをエスコートする栄誉を与えてくれないかな?」
首をかしげ、リオンハルトが鞄を持つ手とは逆の手を差し出す。
表情は主人の顔色をうかがう大型犬のようで、相手がふつうの女性なら一も二もなく頷いていただろう。俺ですら、一瞬、ぐらりと揺れてしまった。
リオンハルトの右手は無視し、俺は諦めの吐息を吐き出す。
ダメだ。説得できる気がしない。
なんでコイツはこんなに諦め悪くぐいぐい来るんだよっ!
「後で不敬罪で訴えられたりしませんか?」
じとっ、と背の高いリオンハルトの美貌を見上げると、小さく吹き出された。
「もちろん。わたしがそんな事態を許すはずがないだろう?」
「……駅まで、ですよ」
「もちろん」
「あと、私から1メートル離れて歩いてください」
「それはできないな」
言葉と同時に、手首を掴まれ、ぐいっと引き寄せられた。
逃げる間もなく、リオンハルトの腕の中に閉じ込められる。ふわりと薫る甘くて上品なコロンの香り。
「きみのそばにいなくては、エスコートにならないだろう?」
「は、放してくださいっ!」
身をよじるが、リオンハルトの腕は緩まない。
苦しいわけではない。けれど、決して逃げられぬ力強さ。
「きみが逃げないと誓ってくれるなら」
甘い声が耳のすぐそばで聞こえる。
呼気が
「逃げません! 逃げませんからっ!」
一刻も早く放してほしくて、叫ぶように答える。
「約束だ」
笑む気配とともに、ようやく腕が緩む。
俺は弾かれたように離れようとしたが、はっしと右手を掴まれた。
「手も放してくださいっ!」
端麗な面輪を
「だが、それではエスコートができない」
「子どもではないんですから、手を引いていただく必要なんてありませんっ!」
手をつないで歩いているところを他の生徒に見られた日にはどうなることやら……!
恐ろしすぎて、考えたくもないっ!
「きみは毛を逆立てた猫のようだな。怒った顔も愛らしい」
苦笑しながら、リオンハルトが手を放す。
「……きみをからかいたくなるというヴェリアスの気持ちが、嫌でもわかってしまうな……」
「? ヴェリアス先輩がどうしたんですか……?」
低い囁きがちゃんと聞こえず、小首をかしげると、「なんでもない」とかぶりを振られた。
「では、行こうか。あまり遅くなっては家人も心配するだろう?」
あんたが現れなけりゃ、もっと早く帰られてたんだけどなっ!
心の中でツッコむが、もちろん口に出しては言えるわけがない。
「はい……。ですが、荷物を返してください」
「女性に荷物を持たせるわけにはいかないだろう?」
「自分の鞄なんですから、自分で持ちます! それに、袋のほうに入っているのは着替えですから……」
責めるように呟くと珍しくリオンハルトが固まった。
「そ、それは申し訳ない」
リオンハルトが
ささやかな仕返しのつもりだったが、まさか、こんなに効果的とは。
初めてリオンハルトから一本取れたのが嬉しくて、くすくすと笑う。
と、俺の歩調に合わせて隣を歩くリオンハルトが、安堵したように吐息した。
「ようやく、笑顔を見せてくれたね」
「そうですか?」
ああ、と頷いたリオンハルトがとろけるような笑顔を浮かべる。
「怒った顔のきみも魅力的だが、やはり、笑顔のきみが一番愛らしい」
「っ!」
だ――か――ら――っ!
突然、砂糖をブッこんでくんな――――っ!
思い切り叫びたい気持ちを、かろうじてこらえる。
なんで隙あらば砂糖まみれの台詞を突っ込んでくるんだよっ、このイケメンどもはっ!
俺はふいっ、とそっぽを向くと、袋を持っていないほうの手をリオンハルトに差し出し、つっけんどんに告げる。
「そちらの鞄も返してください」
「それはできないな」
リオンハルトの声音は、気を害した様子もなく穏やかだ。
「天使に羽を返して、飛んで逃げられてはたまらないから」
笑んだ声に、思わず渋面になる。
くそっ、鞄を返してもらったらダッシュで逃げようかと思っていたのに。
……どうせ、ハルシエルの足じゃあ、すぐに追いつかれるだろうけど。
って!
しまった! 鞄のほうを返してもらったらよかったぜ。財布も定期もあっちに入れてるからなー。
苦々しく思いながら手を引っ込めようとすると。
「代わりに、手をつなぐことならできるけれど?」
温かな手に、きゅっ、と手のひらを包まれる。
「ですから、手をつなぐのはおやめくださいと……っ!」
振払おうとすると、案に相違してあっさり手をほどかれた。
「わかっている。……ほんのささいな仕返しだ」
「最初に私から、何も聞かずに袋を奪われたのはリオンハルト先輩のほうです!」
思わず反論すると、リオンハルトが愉快そうに笑い声を上げた。
「冗談だよ」
予想外の言葉に、虚を突かれる。
リオンハルトが冗談なんて、珍しいよな……。
思わずリオンハルトの美貌を見上げると、俺を見下ろす碧い瞳と目が合った。
どこか熱のこもった甘いまなざし。
「わたしがもう一度、きみと手をつなぎたかったんだ」
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