タイムパラドックスの過去

空音ココロ

タイムパラドックスの過去

「もし、人生をやり直せるならどこまで遡れば良いのだろうか?」


 人は過去を変えたがる、その方法を手にした時、後悔しない分岐点はどこになるのか?

 仮説の上に仮説を組み立てた心理学を学んでいる。

 こんな研究テーマを選んだのはきっと未来のことしか考えていない母のせいだ。


「大丈夫よ、次は出来るわ」


 次から次へと手を出しては身の丈を越えた商談を繰り返して破綻する。

 それでも過去を振り向くことは無く、前を向いていた。

 そう、脇目もふらずに前を向く。

 私たち家族なんて視界には入っていない。


「里見君、君がそのテーマを選んだ理由は前に聞かせてもらった。だからとって里見君が前を向くのを止めようとするのは違うんじゃないかな」

「教授、私は前を向くのを止めたわけではありません。私はただ、あの人に前以外も見て欲しいと思った。それだけなのです」

「君の論文を見ているとそうは思えないがね。君は自分でも気づいているのだろう? 忠告はしたよ」

「――はい。ありがとうございます」


 自分が過去に囚われ過ぎているのは分かっている。

 それでもまだ心に区切りがつけられない。

 刻々と時は過ぎていく。

 静かな部屋の中でチチチと小刻みに鳴る時計の秒針は、まるで自分に判断を迫ってくる足音のように思えた。

 果たして今こうしていることは意味があるのだろうか? と。


 ふと、仮定を変えて考えてみる。

「もしも未来を変えられるならどの未来を変えますか?」

 これは誰にも答を出すことはできないだろう。

 未来に起こることなんて知ることなんて出来ないのだから。

 でも約束された未来のようなものがあるのなら、例えば誰かの結婚式、逃れられないような死、崩落するビルの中で立ちすくむ人――。


 いや、俺が考えているのはもっとスパンの長い話だ。

 幼少期に成人した未来のことを考えたり、そう10年、20年、まして100年という時間軸での変更。

 それを正確に言い当てることなど誰にもできるはずはない。

 


 今変えようとしているこの過去が果たして良いものなのか。

 今こうしているのは今の時代の自分と将来の自分とどう結びつくのか。

 それは分からない。

 未来から過去へ行って過去を変えたのなら未来の私はどうなるのか。

 タイムパラドックスの中に身を置いて最善を探すふりをする。


 未来を変えるために過去を変える。

 そのために今こうしているのだとしたら本当の自分はどこにいるのだろうか。

 迷走する心理の中で淡々となすべきことを進める。

 あの日、誰も知らないところで母は死んだ。


 嘘だ。


 あの日、誰かが見ていたのは知っている。


 それは自分の姿を自分で見ていただけで、その姿をいつか自分が体現するのだと知った時、その未来を変えるべきなのか、過去に遡って変えるべきなのか私には分からない。


 分からないからこうしてここにいるのだろう。

 世の摂理とも交わることも無くどれだけ離れたとしてもこの定めは何度も繰り返される。


 いつまでも抜けられない回り続けるルーレットの中で私はどこに落ちていくのだろうか。


 目の前に母がいる。

 そして母も分かっている。


「里見、会えて嬉しいわ」

「母さん、どうしてまた会ってしまったの?」

「それは私が会いたかったから。どんな運命になろうとも私があなたに会いたかったから」

「でもここで会えばどうなるかは分かっているんでしょう?」

「そうね、でもここで里見に会えることが分かっているから終われない」

「そんなことは無いさ、もう終わりにしよう」

「いいえ、私達はまた始まるのよ」


 終わらない過去と未来を繰り返して、再び過去に戻る。

 それは全てを終わらせたはずの世界に、また新しい未来を宿すことを願われて。

 未来を変えるためにどこまで遡れば良いのか、過去を変えるためにどこまで遡れば良いのか。未来を変えるためにどの未来を変えれば良いのか。


 前向きな未来はいつもそこにある。

 いつも同じ未来を見ている。

 同じ未来を見るために、同じ前を見るために同じ時を繰り返す。


 タイムパラドックスがある中で更に過去に行くためにはどうしたら良いのか

 タイムパラドックスがある中で更にタイムパラドックスが発生したらどうなるのか

 それが延々と繰り返された結果、起こりうる事象は何が真実なのか


「里見君、君はまた難しく考えているね」

「教授、私はこの話を何回したと思いますか?」

「例え君が同じことを何回も話したとしても、今ここで話をしている里見君はここにしかいない。それは過去と未来を行き来して通り過ぎたとしても今という時間軸は今にしか存在しないのだよ」

「教授、それではパラドックスは発生しないということでしょうか?」

「さぁ、どうだろうね。それはヤマアラシのジレンマにも似た、互いに近づくことのできない理のようなものだと私は理解しているよ」

「それでは、もし私がここで教授を刺して母を理から外したとしたら、ヤマアラシは前にいるヤマアラシではなく別のヤマアラシを探しに行けるのでしょうか」

「いい質問だ。里見君、次の未来で答え合わせが出来ることを願っているよ」


 私はまた過去へと遡る。

 どこまで遡れば良いのかというテーマに一つの解を見出すために。

 解の無い問いの答えは酷く受け入れがたい

 それは解が無いと思っているからであって、実はどこかに解があるのかもしれない

 過去に遡ることは未来を変えることに繋がるか

 未来を変えることで過去が変わることはあるのか

 時間の軸に直進性があるとは限らず、円環のように同じ軸に遡ることは無いのか

 目の前の教授はいつまでも変わらず私を見ている。


「里見君、今ここにいる里見君は過去と未来を同時に内包しているのだろう? 私に過去の君を見せてくれないだろうか」


 私の提出した論文は教授の手元にあった。

 答えのない推し問答を続けた結果出た考察は教授は認めてくれているのだろうか?

 私も教授の眼を見て答える。


「どこまで遡れば論文を認めて頂けますか?」

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