第1話 出撃準備
『こちら「JUDASジュダス本部」より管制塔。旧東京都よりブラッドヘイルの大群が接近中。数はおよそ五〇〇。旧東京方面新東京第一防衛線には約三十分後に到達すると予想される。各部隊は迎撃に当たれ』
雑音入り混じる音声が胸元の無線機から放たれる。
「《第一のラッパ吹きファースト》か……」
シュウは読み進めていた本を置くと、無線のスイッチを入れ部隊の内線に切り替える。
「こちらアキヅキ。聞いていたと思うが旧東京方面からブラッドヘイル五〇〇が接近中。各員は準備が整い次第、第六格納庫へ集合せよ」
『『了解』』
別々の部屋にいるはずの九人の隊員がピタリと同じタイミングで応答する。
幾度となく繰り返された出動命令のおかげで、いつのまにか出来るようになった芸当だ。
肩に悪魔のラッパ吹きが描かれたエンブレムの付いた黒のジャケットに腕を通し、シュウは部屋を出た。
一からまで三十一まで区切られた内の一つ。第一格納庫。
人類の敵、〈テンシ〉を殲滅するための特殊殲滅生態兵器〈カシウス〉が保管及び整備が行われる倉庫で施設の中でも最も重要な場所だ。
だが、五〇〇ミリの鋼鉄の板で囲まれたここは、最も安全性の高い場所でもある。
「シュウ! 隊員全員分の〈カシウス〉の整備は昨晩に終わらせておきました! すぐに使用できますよ!」
黒髪のポニーテールに額にはトレードマークの傷だらけの整備用ゴーグル。右頬は整備用の油で黒く汚れている。
服装は薄汚れた白いタンクトップに迷彩柄のズボンという女性らしからぬ格好をした整備士ケイトは人懐っこい笑顔を見せる。
その笑顔を見て、シュウも緊迫していた表情を少し緩ませた。
「いつもすまないな」
「いーえ! お安い御用ですよっ!」
白い歯を見せる屈託のない笑顔はケイトにとって額のゴーグルと同じトレードマークだ。
この笑顔が安らぎの少ない隊員達にとっての(女性隊員も含む)一つの支えとなっている。
「それと、深度の調節も終わってるか?」
問いを投げかけられたケイトは表情を曇らせる。
「シュウの注文通りに深度を0.3下げましたが、深度域が注意侵食域IIを超えています……これ以上は〈アポカリプス細胞〉との同調率が……」
片手に持っていたスパナを握りしめ、俯いて話す。
〈テンシ〉の体を構成する特殊な細胞、〈アポカリプス細胞〉は他の生物の細胞と混じり合い、増殖、そして細胞レベルを進化させる性質を持つ。この性質を利用し、造られたのが〈カシウス〉だ。使用者は細胞レベルが上がり身体能力が飛躍的に向上するという仕組みだ。
だが、危険なリスクも存在する。というのも、〈アポカリプス細胞〉は増殖する際、他細胞を侵食し破壊する。
〈カシウス〉使用者は人間を超越した力を手に入れられるが、時間は与えてくれるばかりか尋常じゃない速さで失われていく。
これが力を求める代償だ。
「戦闘で死んでしまったら元も子もないんだ。それにまだ注意域だ。侵食は食い止められる」
「でも……」
「大丈夫だ。たとえ侵食が進んで死んだとしてもお前を恨んだりはしない」
「はー?」
突如、俯いていたかと思うとケイトは怒りの表情でシュウを睨みつけた。
「そういうことじゃないんですよ! あー! もう信じらんないっ! シュウなんか「形なり損ない」になってしまえばいいんですっ!」
まるで妹を諭すように言ったシュウだったが、全くの逆効果で、機嫌を損ねたケイトはもう知らないといった表情を浮かべて格納庫の奥へ歩いて行った。
その一部始終を見ていた隊員の一人がクスクスと笑った。
「乙女心分かってないなぁ。隊長殿はー」
馬鹿にするように話しかけてきたのはショートカットの髪型に子供のような大きな眼をした童顔の女性隊員クレハだ。
シュウがこうやってケイトの機嫌を損ねる度に馬鹿にしてくる部下の風上にもおけない奴だ。
逆にシュウを上司と見ている隊員の方が珍しいが……
「あらあらクレハちゃん。隊長をそんなに馬鹿にしちゃダメよ? 戦いしか知らない戦闘バカなんだから」
「ケイトちゃんも可哀想だよなー。こんな堅物に……あーあー」
腰まで伸びた長い髪。目尻の垂れたおっとりとした目と大抵のことは笑って許してくれる包容力で隊員達のお姉さん的存在にカスミ。
そして、毎回どこからか仕入れてくるヘアカラーリング剤で髪を金髪に染めたチャラ男のヒロム。
その二人に追い打ちをかけられ、豆腐メンタルのシュウは再起不能まであと一歩というところまで陥っていた。
「おいおい。出撃前ってゆーのによくそこまで騒げるなお前らは」
前髪の上がった髪型に狼のような鋭い眼つき。
口調は荒いが、もっとも常識人で馬鹿にされるシュウの代わりに隊員達をまとめてくれるお兄さん的存在のソウマは呆れ顔で皮肉を口にする。
この時点で隊長がどちらなのか分からないといった状態だ。
「あ、オオカミが来た」
「おお、怖い怖い。オオカミさんが怒っていますぜ」
「オオカミくんは隊長に優しいものね」
今度は口出しして来たソウマを三人でおちょくる。
ちなみにソウマは狼と呼ばれるのが嫌いだ。過去にクレハが酒に酔っているソウマに理由を聞いたのだが「狼は一匹で行動するのが好きだから」と答えた。
要は寂しがりやということだ。
「オオカミって呼ぶなぁっ!! くだらねぇこと言ってないでさっさと準備しろてめーらぁ!!」
「「はーい」」
「全く……大丈夫か? シュウ」
「あぁ、問題ない……」
あぁ、これ完全にメンタルやられてるわ。とシュウの声音で判断する。
長い付き合いだ。十二歳からの付き合いでもう八年になる。それくらいは簡単に分かった。
ソウマはシュウの代わりにそれぞれ雑談をしている隊員達を集合、整列させ、自分も列に加わった。
シュウは近くにあった機関銃の弾薬木箱を台にして上に立ち、隊員達の列を見下ろした。
「ブラッドヘイル到達まで約十分を切った。今回も厳しい戦闘になることが予想される。もしかしたら今、隣にいる仲間が数時間後には命を落としてしまうかもしれない。だが……」
先程までふざけ合っていた隊員達も、打って変わって真剣な眼差しでシュウを見つめる。
各々の思いは皆それぞれだが、覚悟は皆同様のものだ。
「生きて帰るために」ではなく、壁の中にいる人間達のため」だ。
その為ならば自分の命など厭わない。
それが、テンシとの数多の戦闘で生き抜き、今もなお最前防衛線で戦い続けるシュウ率いる”称号持ち”の精鋭部隊。
「それでも俺たちは、目指すべき世界のため演奏を止めてはならない。それが俺たち死を奏でる奏団オーケストラだ――」
ケイトが格納庫のハッチを開け、崩れゆく日本を照らす太陽の光が差し込み、隊員達が目を細める。
隊員達の口元には笑みが浮かんでいた。
「それでは諸君。クソ野郎共を一掃しに行こうか」
最後の一言を聞いて「なんて口調だよ」とソウマが笑い。それに釣られて皆が笑った。
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