第二章 お隣さんが美味しく食べていたので
第7話
自立への大いなる一歩は満足なる胃にあり。
2000年前のローマ人の名言が現在でも通用するのだとしたら、現代社会は最も自立した生活を送るのに適した環境だと思う。
スーパーマーケットには新鮮な肉や魚、調理された料理が並び、コンビニは24時間商品が並んでいる。
お金さえあればそれらを手にすることができ、最悪の場合は働かずとも金銭が支給される。
飽食の時代とも言われる現代日本は、非常災害時を除けば飢えることは無く、簡単にお腹を満たすことがでる。
それは胃を満足させることに他ならず、つまりは自立した生活なのだ。
という詭弁はさておき。
果たして、コンビニの弁当は人を満腹には出来るが満足させるに足るのだろうか?
満足の定義とは、ただお腹を満たせばいいのだろうか?
なら、どうすれば人の胃は満足できるのだろうか?
栄養素以外の何かが、食事には必要なのかも知れない。
では、それはコンビニ弁当に含まれるのか?
少なくとも、彼女と一緒に食べたコンビニ弁当は、僕を満足させるには十分だった。
入学式翌日の朝。
僕は昨日よりも少しだけ遅くにマンションの部屋を出た。
一階へ降りるためにエレベーターに乗ろうとした僕の後ろから、彼女の声が聞こえてくる。
「そーくん、まって!」
エレベーターに乗って開ボタンを押しながら、僕はこちらに向かって走って来る彼女の姿を確認する。
彼女がエレベーターに飛び込んできたのを確認してから扉を閉める。
そして、僕を見上げる彼女に声をかける。
「おはようございます、ハルさん」
「はよー、そーくん」
ハルさんは、朝日に負けないあの晴れやかな笑顔を浮かべている。
「慌ただしい朝ですね」
「一人暮らしの朝は辛いよねー」
そんなことを言いつつも、ハルさんは綺麗な髪は整っていて、紅い瞳も曇りなく、柔らかそうな桜色の唇と、綺麗な桃色のネイルがバッチリ決まっていた。
「財布、今日は忘れてないですよね?」
「もち、大丈夫だし!」
親指を立てながら無邪気に笑う姿に少し苦笑してしまう。
背が高くてスラッとしつつも魅力的なハルさんは、大人っぽくも見えるがこういう子供っぽい仕草もまたハルさんらしいと言える。
そして、他愛のない会話を交わしながら僕たちは通学路を一緒に歩いた。
ハルさんと話しているとあっという間に学校についてしまう。
下駄箱で上履きに履き替えたところで、クラスメイトの女子二人がハルさんに話しかけているのが見えた。
「はよー、晴~」
「はるちゃん、おっす~」
ハルさんと同じくらいに着飾った二人が先に靴を履き替えていたハルさんを囲んでいる。
「あれ、アキ髪巻いてるじゃん!」
「いい感じじゃない?」
「うん、アリ寄りのアリ! ユウもそう思うよね?」
「ナシ寄りのナシじゃね?」
栗色のセミロングの髪を巻き髪にした女の子がアキさん、紫のメッシュが入った黒髪ショートの子がユウさんと呼ばれている。
楽しそうに話す姿を見て、僕は邪魔をするのも何だと思い、先に教室へ向かおうとする。
しかし、ハルさんの横を通りすぎようとしたその時。
「あ、そーくん! おいてかないでよ!」
ハルさんが僕の右手を引っ張って引き止めた。
ハルさんの友達二人、アキさんとユウさんはそれを見て少し驚いている。
「ハルさん、急に引っ張られるとビックリします」
「そーくんがあーしのこと見捨てるからじゃん」
「見捨てるって、大げさじゃないですか?」
そんなやり取りをする僕たちを見たユウさんが、ダウナーな表情を浮かべて言う。
「え、誰? カレシ?」
僕は、陽気なハルさんの友達が相手と言うこともあり、少し冗談を言うことにする。
「はい、彼氏です」
「え、マジ?」
「冗談ですよ」
「はは、うける」
低めのテンションで笑うユウさんと、傍目からでも楽しさが伝わってくるようなアキさん。
二人が楽しんでいる姿を見て、僕のコミュニケーション能力も捨てたものじゃないことがわかった。
「そーくん、そういう冗談はビックリするから」
笑いながらそう言うハルさんに、僕は難しい顔をしながら応える。
「そうですか、すくなくとも僕は昨日のハルさんの冗談よりは驚きは少ないと判断しましたが」
「あー、それ言われると辛いわー」
そんなやり取りを交わし、二人と別れた僕とハルさんは教室に入った。
すると、入り口のそばに立っていた人影が話しかけてくる。
「あ、スオー」
それは、みぞれだった。
みぞれは、相変わらず制服を折り目正しく着こなしている。
「どちらさまですか?」
「そのボケは昨日聞いた」
「ちゃんとツッコんでよ、みぞれ」
無表情で冷静な声のみぞれに僕は不満そうに言う。
すると、僕たちのやり取りを見ていたハルさんが茶々を入れてくる。
「あれ、そーくん彼女いたの?」
意地の悪い笑顔のハルさんに対して、みぞれがいつもの冷静な調子で言う。
「
「どういう意味ですかそれ?」
「そーくん……」
「ハルさん、悲しそうな顔して肩を叩かないでください」
みぞれは、見た目よりも社交的な性格だ。
完全に真逆に見えるハルさんとみぞれだったが、自然と会話が成立している。
「ていうか、あーしの名前覚えてくれてたんだ」
みぞれとハルさんに接点は無い。みぞれがハルさんの名前を知っているのは、昨日の入学式の後にクラス全員が自己紹介をしたからなのだが、普通それで全員の名前を覚えられるわけがない。
しかし、みぞれはそれで全員の名前を覚えるのだ。
「アタシは
無表情だが友好的な雰囲気のみぞれがそう言うと、ハルさんは何か考える素振りを見せてから言う。
「なら、アマみんで」
「それ以外にして」
みぞれは即座に拒否の意志を示した。
ハルさんは再び難しい顔をしてから言う。
「じゃ、あまみー」
「それならいい」
基準がわからない。
しかし、僕は野暮なことは言わない。
「あーしのことも好きに呼んで」
「名前呼びは好きじゃない。名字の呼び捨てでいい?」
「おっけー」
すると、みぞれは満足したのか自分の席へと戻っていく。
僕たちも続いて自分たちの席へ座った。
「ね、そーくん」
席に着いたところで、ハルさんが椅子ごと僕の隣へ寄って来る。
「なんですか?」
「ホントに彼女じゃないの?」
いつになく真面目な調子で言うハルさんに僕はハッキリと答える。
「違いますよ。同じ中学の友達ですよ」
「えー、ホントにー?」
疑うような視線を向けるハルさんに僕は逆に尋ねる。
「なんでそう思うんです?」
すると、ハルさんは不貞腐れたように言う。
「呼び捨てじゃん」
「はい?」
僕が聞き返すと、ハルさんは少しだけ怒ったような顔をする。
「名前で呼び捨てにしてるじゃん。昨日は誰も呼び捨てにしてないって言ってたのに」
それを聞いた僕は昨日のハルさんとの会話を思い出す。
「ハルさん、僕はあんまり慣れないって言っただけで、一人も呼び捨てにしていないとは言ってませんね」
「そだっけ?」
「そですね」
僕がそう指摘すると、ハルさんは少し恥ずかしそうにしながら誤魔化した。
そして、そんなハルさんを救うかの様に、始業のチャイムが鳴り響く。
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