第5話


 僕たちは近くの公園を見つけると、そこにあるベンチに座った。

 僕は、隣で恥ずかしそうにしている桂川さんに先ほど買ったばかりのクリームパンを差し出す。


「朝食にと思って買ったのですが、よかったら食べますか?」


 桂川さんは、それを見ると嬉しそうな顔を見せたがすぐに申し訳なさそうに僕に言う。


「でも、周防くんの朝ごはんでしょ……?」

「買い過ぎたので、別に問題は無いです」


 そう言うと、桂川さんはクリームパンを受け取って封を切った。

 取り出したクリームパンは、桂川さんの小さな顔と比べると店で見た以上に大きく見える。


「いただきます!」


 桂川さんは口を開けてクリームパンにかぶりついた。

 口に含んだ瞬間、その表情が幸せそうに緩む。


「おいひい~」


 もごもごと口を動かしながら桂川さんは嬉しそうに言った。

 僕はそれを見て自然と笑みがこぼれた。


 桂川さんはとてもおいしそうにクリームパンを頬張っている。

 その姿は、どこか小動物を彷彿とさせる。


「喜んでいただけたようで何よりです」


 僕がそう言うと、桂川さんは口元を緩ませながらも真剣な眼差しを僕に向ける。


「すおうくんはいのちのおんじんだよ」

「食べながら喋ると気管に入りますよ」


 紅い瞳を輝かせながらそう言われると、たかがクリームパンを一つ上げただけなのになぜだかとても嬉しく感じる。

 しばらく、ぱくぱくとクリームパンを食べる桂川さんを眺めていた。

 食べ終わった桂川さんは改めて僕に向き直ると頭を下げた。


「周防くん、ありがとね」

「いえ、クリームパン一つでこんなに感謝されると逆に恐縮します」

「このお礼は絶対するから!」

「大げさです」


 そこで僕はふと疑問に思った。

 なにで、直接その疑問を聞いてみる。


「そんなにお腹が減っていたなら、帰り道に何か食べればよかったのでは?」


 すると、桂川さんがバツの悪そうな顔をする。


「実は、財布を忘れてきちゃって……」

「あぁ――――」


 僕は何て声をかければいいのか分からなかった。

 そこで、帰り際に桂川さんに話しかけていた二人の女子生徒を思い出す。


「友達に借りるとかは?」


 しかし、その指摘に桂川さんは恥ずかしそうに答える。


「友達も、忘れたって――」

「あぁ、それは……」


 僕は、続く言葉を何とかひねり出した。


「仲がいいですね、忘れ物も一緒に同じタイミングですね」

「ほんとそれ」


 どちらともなく僕たちは笑い出した。

 笑い声が落ち着いたところで、僕は膝に手を当てながら言う。


「お腹も満足したところで帰りま――」


 しかし、僕が言い終わるより早く再びお腹のなる音が聞こえた。

 僕は、ゆっくりと隣に顔を向けると、恥ずかしそうに顔を赤らめる桂川さんがいた。


「…………」

「…………」


 気まずい沈黙が流れたところで、僕はレジ袋に手を突っ込んだ。


「朝食用のパンが二つ。そして今日の昼食のお弁当があります。遠慮せずにどちらか好きな方を選んでください」


 僕がそう言うと、桂川さんは申し訳なさそうに、そしてとても恥ずかしそうに僕が左手に持つパンを指さした。


「ゴメン……」

「謝らないでください」

「ありがと……」

「はい、どういたしまして」


 僕は笑顔で残り二つのパンを手渡した。

 この際なので僕もここでお昼を食べることにする。


 桂川さんは焼きそばパンを袋から取り出し、僕は豚バラ丼のふたを開く。


「「いただきます」」


 同時にそう言うと、僕たちは同時に口に運んだ。

 豚バラ丼は、昨日食べたそれと同じ味がした。


 けど、なぜだろうか。


 そこで、僕は隣に座る桂川さんに視線を向ける。

 焼きそばパンにあの晴れやかな笑顔を見せながら、嬉しそうに頬張っている。

 それは、僕がこれまで見てきた誰よりも、幸せそうな顔だった。


 僕は再び豚バラ丼を口に運ぶ。

 一度、二度、何度も噛んで味を確かめる。しかし、――。


 やっぱり、昨日よりおいしい。


 味は同じはずなのに、それはとてもおいしく感じた。

 僕は、もう一度桂川さんに顔を向ける。

 すると、不意に目があった。


「おいしいね」


 桂川さんは満面の笑みを浮かべていた。


「はい、おいしいですね」


 そして、僕は理解した。

 一人でする食事よりも、たとえコンビニ弁当でも誰かと一緒に食べる方がはるかにおいしくなるのだと。


 嬉しそうな桂川さんを時々眺めながら僕はお弁当を食べ終わる。

 ちょうど、桂川さんもチョココロネを食べ終えていた。


「ほんとーにありがと!」


 今日、何度目かもわからないお礼を受けた


「必ずお礼するから!」

「あんまり気にしないでください。困った時はお互い様ですから」


 僕がそう言うと、桂川さんは何かを思い出した様な顔をする。

 そして、自分のカバンからスマホを取り出す。


「連絡先、交換しよ! 学校でしとくの忘れてた!」


 可愛らしいケースのスマホの画面にはメッセージアプリのQRコードが表示されていた。

 僕もスマホを取り出してそれを読みこむ。


「よし、これでいつでも連絡できるね!」


 僕の連絡先を眺めながらそう言う桂川さんを見て、思わず赤面してしまう。

 桂川さんに他意はないのだろうけど、そんな風に言われると色々と想像してしまう。


「ふーん、周防くんのプロフィール名って“スオー”なんだね」


 桂川さんはスマホの画面を見ながら何気なくそう言った。


「はい、実際に友達からもそうやって呼ばれるので」


 僕がそう言うと、桂川さんは納得が言ったような顔をする。


「あー、ね。確かに、すおうって言いにくいかも」

「よく言われます。だから、最後を伸ばしてスオーなんです」


 すると、桂川さんは何か考え込むような素振りを見せる。

 不思議そうにそれを見ていると、呟くような声が聞こえた。


「周防……、すおう……。S、O、U――。あっ!」


 突然、桂川さんは何か思いついたのか立ち上がって僕を見下ろしながら言った。


「“そーくん”! そーくんってどう?」


 一瞬、誰の事を言っているのかわからなかったが、すぐにそれが桂川さんの考えた僕のあだ名だということに気付いた。


「その呼ばれ方は初めてですね」

「うーん、やっぱ変かな?」


 不安そうな表情の桂川さんに僕は笑顔で言う。


「いえ、いいと思いますよ。そう呼んでください」


 すると、桂川さんに晴れやかな笑顔が戻った。


「じゃ、これからはそーくんだね」


 その紅い瞳に見つめられながら呼ばれると、僕の鼓動が速くなるのがわかった。

 そして、桂川さんはさらに僕の心を揺るがすようなことを言う。


「あーしのことも、いちいち桂川って呼ぶのも面倒じゃない?」


 自分の名字を面倒だっていう人がいるとは思わなかった。


「そーくんも名前で呼んでよ。晴って」

「では、ハルさんで」


 それは、僕の平静を保つために必要な措置だった。

 僕がそう言うと、ハルさんは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「呼び捨てもアリだよ」


 僕は、なるべく冷静に応える。


「誰かを名前で呼び捨てにすることはあんまりないので慣れないです」

「ふーん、兄弟とかは?」

「一人っ子ですね」


 つまり、僕の身近に僕が名前で呼び捨てにする人物はみぞれの他にはいない。


「なんか、そーくんって頼りがいがあるからお兄ちゃんって感じするけど」

「桂川さんは兄弟か姉妹は?」

「名前」

「……ハルさん」


 ハルさんは僕の口に人差し指を向けて指摘する。


「お姉ちゃんがいるよ。5つ離れてるけど」

「あぁ、それで」


 僕が思わず零したその言葉をハルさんは聞き逃さなかった。


「なんか失礼なこと考えてるし」

「いえいえ、そんなことないですよ」


 僕は、そのまましばらく不貞腐れるハルさんをなだめたりしながら楽しい一時を過ごした。

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