第20話 ネコ将軍、誕生する
整列した軍勢を前に、劉備は涙ぐんでいた。
「ここに張飛がいてくれたら……」
だがそれも、永遠にかなわぬ事となった。
劉備と関羽、そして張飛は中国史上最も有名な義兄弟かもしれない。
生まれた日は別々であったが、必ず同じ日に死のうと
関羽を捕らえ斬首したのは呉である。そして張飛を暗殺した部将も、その首を携え呉に逃げ込んでいた。
劉備にとって呉は二重の仇となったのだ。
☆
「
全身に装飾品を着けた劉寧が成都を訪れた。彼を迎えた向寵と馬良は、歩み寄ろうとして足を停め、そのまま後ずさった。
「ぐるるる」
彼の背後から、黄色に黒褐色の斑点の被毛を持った四足獣が現れたのだ。
「それって、もしかして豹じゃないですか?」
向寵は刺激しないよう、押えた声で言った。
「ああそうだよ。
「はあ。とっ杜路さんですか」
向寵は、とっ杜路、と杜路、と小声で唄う。
「いや、そんな森の妖精みたいな名前じゃない。杜路だ」
劉寧は、慌てて訂正する。
「それで、大人の私にも見えるのですね」
安心したように馬良が頷いた。
「ぐわう」
杜路が吠えた。
「おお、なるほどなるほど」
向寵がその豹の頭を撫でてやると、杜路は嬉しそうに目を細めた。
「この子は沙摩柯さまの伝言を聞いているそうですよ」
向寵はもうその豹に頬ずりしている。
「なんだ、向寵。この豹の言う事が分かるのか?」
馬良が同じように手を伸ばし、杜路に触れようとする。
「あ、馬良さま危ないです!」
がぶ、と杜路は馬良の頭に咬みついた。
大きな口を開けて、頭を半分ほど呑みこんでいる。
「こら、止めなさい。この人は大丈夫だから。怖くないんだよ」
優しく向寵が呼び掛けると、杜路はゆっくりと馬良を口から離した。
馬良の額のあたりには歯型がくっきりと付いていたが、どうやら出血まではしていないようだ。
「よしよし、怯えてただけなんだよね」
巨大な豹の頭を抱え、向寵は優しく話しかけている。
そして眉をしかめ、馬良には一転して厳しい口調になった。
「この子は、こう見えて怖がりなんですから。いきなり手を出しちゃダメです」
杜路は、血の気を失った馬良の顔を大きな舌で舐めた。
その様子を劉寧は驚いたように見ていた。
「すぐに杜路に気に入られるとは、さすが
☆
荊州の長江沿岸の山間地に棲む少数民族は、大方が劉備に味方する事を申し入れてきた。これ程のことは劉備や諸葛孔明も予想していなかった。
やはり
劉備はその首長たちを迎え、盛大な歓迎の宴を張った。
「馬良、それに向寵。よく異民族を味方につけてくれた」
劉備は二人を呼んで手をとった。
「ついては、彼らを指揮するために、そなたらのどちらかを牙門将軍に任命したいと思う」
げほげほ、と急に馬良が咳込み始めた。
「お、おそれながら。わたしはこのように病弱です。将軍などという大役は到底無理でございます」
ふむ、それは困った、と劉備は考え込んだ。
「ねえ馬良さま、牙門将軍って何ですか。字面がやたら格好いいんですが」
馬良がにやりと笑ったような気がした。
「そうか、受けてくれるか向寵。……陛下、向寵が謹んで命を拝すると申しておりますので、ぜひ向寵にお命じください」
勢い込んで馬良は向寵を前に押し出した。
「いえ、だから牙門将軍って」
有無を言わせず、劉備は向寵に辞令を手渡した。
「では、よろしく頼むぞ、向寵」
劉備と馬良は揃って満面の笑みを浮かべている。
「だから牙門将軍って何なんですかっ」
簡単にいえば、征東将軍や鎮南将軍など名の付いた将軍を補佐して戦陣を構成する、副将的な意味を持つ。そしてやがては、名号将軍と呼ばれるそれらの将軍位へ昇る階段に足を掛けたことになるのである。
ここに、おそらく史上初だろう、半人半猫の少女将軍が誕生した。
「だけど最初から決まってたのでしょう、馬良さま」
恨みがましい目で、向寵は馬良を見上げた。
「馬良さまとどちらか、ではなく、わたしに」
うん、まあな。と馬良は苦笑した。
「だって私は劉備さまの側に仕えねばならないからね。名ばかり将軍になっても仕方ないのだ」
「それは、そうでしょうけど……」
「だけど将軍になったら、好きなお菓子が食べ放題らしいぞ。よかったな向寵」
「にゃ?!」
それが嘘だと向寵が知ったのは、将軍に就任した日の午後だった。
「許さん、馬良」
向寵は、おやつだと云って出された干し魚を握りしめ、呻いた。
☆
呉主 孫権を打倒すべく復仇の念に燃える劉備軍は、その軍を荊州との境、白帝城に集結させた。その数70万と称する大軍である。
「敵将は孫桓か。では張南、行って血祭にせよ」
劉備は若き将軍に命じた。
張南は勇躍し孫桓軍と激突、一気に粉砕した。さすがは趙雲が鍛え上げただけの事はあると言っていい。
敗走した孫桓は宜都まで後退し、張南はそれを厳重に包囲した。
その間、劉備率いる本隊は猛然と長江沿いを下っていく。
迎撃に出た呉軍の別動隊はあっけなく打ち破られ、その進撃を食い止めることはできなかった。
ここに至って、孫権も魏の曹丕の動きを気にしている余裕はなくなった。呉の誇る宿将たちを最前線に投入する。
陸からは韓当、徐盛。水軍は甘寧が率いる。
呉軍最後の砦ともいうべき名将たちを前に、さすがの劉備も攻め手を失った。両軍は小競り合いを繰り返したが、呉の頑強な守備陣は容易に揺るがなかった。
戦況はそのまま膠着状態に陥った。
「まさかこんな所で足止めを喰らうとは」
地図を見下ろし劉備は低く呻いた。
今、劉備が陣を留めざるを得なくなっているこの川沿いの集落。
その場所の名を、
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