第17話 異民族を集結させよう

 関羽の首級は孫権から曹操の許へ送られた。

 この頃から関羽の死に係わった者たちに不幸が相次いでいる。呉の総大将だった呂蒙が急死。その配下だった部将の中にも謎の死を遂げたものがいた。


 曹操は関羽を王候並みの丁重さで葬った。だがその曹操もほとんど間を置かずこの世を去る。関羽の祟りだとの噂が拡がるのも無理はなかった。


 ☆


 魏王の位を継いだ曹丕そうひはついに漢の献帝から禅譲をうけ、自らが皇帝となった。

 その国号を「大魏」と称する。


「漢の正統を継ぐのは我らである」

 劉備は当然それを認めることはできない。臣下からの推戴によって劉備も皇帝位に就いた。

 国号はもちろん「漢」である。


 これは一般には「蜀」、「蜀漢」と呼ばれる事が多い。魏に対し国力では十分の一にしかならない小国である。漢帝国を継ぐものとは認められていないというのが本当のところだったのだろう。



 皇帝となった劉備が最初に命じたのは、呉の討伐だった。

 これは明らかに、蜀漢建国の意図にそぐわないものだ。


「我らの敵は魏でございます、お考え直しください」

 諸葛孔明はじめ諸官が諫めたが、劉備の意志を変える事はできなかった。


「関羽の仇討ちをしなければ、この劉備という男に存在価値はないのだ。どうか堪えてくれ、頼む」

 涙ながらに訴える劉備を前に、みな沈黙するしかなかった。


 ☆


 そんなある日、向寵は馬良と共に劉備から命令を受けた。

 荊州や、その南部の異民族に対し、呉討伐への参戦を要請するというものだ。陳到を護衛とし、向寵たちは再び荊州へ向かう事になった。


「この辺りの王は沙摩柯しゃまかといいます」

 馬良が汗を拭きながら言う。荊州の北部や蜀と比べても相当に蒸し暑い。

 果たしてここは荊州のどのあたりなのか見当がつかない。石柱のような山が立ち並び、緑の色が濃かった。

「彼らの先祖は漢初、中央に対し反抗的な態度をとっていましたが、慰撫に応じ帰順したのです……」


 それが、高祖劉邦亡き後の呂氏の専横、王莽による簒奪、そしてこの内乱と云った中央の混乱によって、彼らの心は漢から決定的に離れてしまっていた。

「それを再び我が蜀漢へ向けさせるのは正直にいって困難でしょう」

 馬良は後ろに続く荷車の列を見た。膨大な量の贈り物だったが、これで果たして沙摩柯の心を得ることができるのか。


「おや?」

 陳到が剣に手をかけた。向寵も気づき、辺りを見回す。

「え、どうしました」

 馬良には二人が急に緊張した様子になった理由が分からなかった。


「囲まれている。どうやらここからが、彼らの王国なのだろう」

「百人くらいですか、陳到将軍」

 向寵は目を細めた。ひげがピクピク震えている。

「いい勘だな。おそらくそれ位だろう」


 剣から手を離し、陳到は荷駄隊に落ち着くよう声をかける。

「心配するな、歓迎のお出迎えだ」

 ……だったらいいのだが、その後で小さく呟いた。


 森に挟まれた街道脇の茂みから、武装した男たちが姿を現した。


 ☆


「漢の使者だと? 今更我らに何の用だ。我らは漢とは別の途を行くと決めたのだ。だが、戦いたいなら受けて立つぞ」


 正面に立つ男は腰に幅広の蛮刀を下げているが、基本的には漢族と大きく変わる服装ではない。この暑い地域で暮らしているのだから、普段は半裸ではないのかと思っていた向寵は少し意外だった。

 ただ気になるのは。


「それ、重くないですか」

 向寵は男を指差した。男は全身に黄金や玳瑁たいまいで造った装飾品を纏って、動くたびにそれらが賑やかな音をたてている。

 男は意外そうに眉をひそめた。

 

「おや小娘。お前、にゃお族ではないか」

 男はそう言って向寵の顔を覗き込む。

「生き残りがいたとは……、心配していたのだ。それは何よりだった」


 急に男の態度が変わった。

 目元を緩めた男を見て、逆立っていた向寵のひげはすっと下がった。

 


 男は沙摩柯の配下で劉寧りゅうねいと名乗った。

「俺も漢の皇族の末裔なのだよ」

 彼は冗談ぽく笑った。実のところは、漢に帰属する際、劉姓を賜ったというのが本当のところらしい。

「それが我が一族の伝承なのさ。ちょっと箔が付いた感じだろう?」


「では沙摩柯大王のところへ案内しよう」

 劉寧は先に立って歩きはじめた。

 やがて森を抜けると彼らの街が見えて来た。

「これは想像以上の数だな」

 陳到が驚いた。こんな大集落が殆ど知られないまま存在していたことが不思議だった。しかも建物も荊州あたりとあまり変わらない構造をしている。


「どうだ。もっと蛮族蛮族していると思ったのだろう」

 劉寧に脇腹をつつかれ、陳到は苦笑した。

「これは大変失礼した」

 街の中心部にある目立って大きい建物が沙摩柯の王城だという。


 ほあー、沙摩柯に謁見した向寵は口を開けたままになった。

 彼は蔓植物を編んだ座に胡坐をかいていたが、それでも向寵の背丈をはるかに超えている。これで立ち上がったらどれだけの長身なのだろう。

 そしてその顔中には色鮮やかな模様が描かれていた。これはまるで。

「呉の甘寧さんみたいだ」


 向寵のつぶやきに沙摩柯は反応した。

「ほう、娘。甘寧を知っているのか。わしも奴とはいずれ決着をつけねばと思っていたところだ」

 そうか、この世に半魚人は一人でいいという事か。向寵はそう納得した。


 馬良が贈り物を手渡し、来訪の意図を告げると沙摩柯は大笑した。

「それは渡りに船というものだ。先程も言うた通り、いつか呉とは戦いたいと思っていたのだ。喜んで参戦するぞ」


 沙摩柯は立ち上がり、馬良、陳到、向寵の肩を順に抱いた。

(立ち上がってもあまり身長が変わらないのか)

 向寵は可笑しかった。沙摩柯は短い足で上体を揺らしながら座に戻った。


 ☆


「ほら、もっと飲むのにゃ。大王のくせに、このわたしの酒が飲めにゃいと言うのか。大王としてだらしない奴にゃっ」

「お、おい向寵。そんな無理に飲ませたらダメだ」

 向寵の周りではすでに何人もの男が酔いつぶれていた。今度は沙摩柯をターゲットにしている。

「こんな絡み酒だったとは……」

 陳到は顔を覆った。しかし、いつの間にこんなに酒が強くなったのだ、この娘は。


「にゃはははは」

 夜半まで向寵の笑い声が響いていた。

 

 ☆


 翌朝、青白い顔で沙摩柯は蜀の一行を迎えた。まだ目の焦点が合っていなかった。

「うむ、では呉討伐に発つ際には連絡をくれ」

 兵は集めておく、沙摩柯は言葉少なに言った。

「ありがとうございます、大王!」

 一人だけ元気そうな向寵は、笑顔で一礼した。

「こ、声がでかい……」

 堂内の男たちは揃って頭を押えた。


「ああそうだ、先日、呉の使者も来ていてな。断交ついでに、これから斬ろうと思っているのだ。見ていくか?」

「いえ、そんな趣味はないです」

 向寵は謝絶する。


「あ、でも」

 呉の使者といえばいつも諸葛謹さんだが、今回もそうなのだろうか。だとしたら、放っておくのも悪い気がする。


「うむ。まあ使者というか、近くの県に赴任してきた県令だというのだが。どうせ同じようなものだろう」


 はあ、県令。

 何かが向寵の中で引っ掛かった。

「あの、ちょっとその人の顔だけ見させてもらって、いいですか」




「やあ、向寵じゃないか。久しぶりだね」

 牢獄のなかの青年は彼女を見て目を瞠った。それは向寵も同じだった。向寵はこの青年をよく知っていた。 


陸遜りくそんくん?!」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る