第14話 関羽、出陣

「まったく、貴様らは言い訳ばかりだ。謝罪はいらん、兵糧を運び込めと言っておるのだ!!!」


 また怒ってる。向寵は部屋の外で顔をしかめた。首筋の毛が逆立っている。

 大きく響くのは関羽の怒鳴り声だ。その合間に小さく涙声がするのは、期日までに兵糧輸送ができなかった傅士仁ふしじん糜芳びほうだろう。


「将軍、最近は長雨もありましたし、遅れたといってもほんの数日のことではありませんか。そこまで仰らなくとも……」

 だれかが取りなしている。関羽相手に恐れを知らない男がいるものだ、向寵は興味が湧いて部屋の中を覗き込んだ。部屋の奥では、そう大柄ではない痩せた男が関羽と向き合っていた。


「誰かに似てるな、あの人」

 よく日焼けしているが、溌溂とした感じは受けない。どこか、この世のことは諦めました、と言いたげな雰囲気だ。エセ仙人みたいな諸葛孔明より、よっぽど仙人っぽい。そう考えたところで、この男が誰に似ているのか気付いた。

「あ、孔明さんにそっくり」


 うわーん、と泣きながら二人の将軍が部屋を走り出ていった。

「あーあ。大の大人を泣かせちゃって、関羽将軍は」

 向寵は困り切った顔で首を振る。


「将軍、これからはん城攻撃に向かうという時に軍内に敵を作ってどうするんですか」

 残った一人が、まさに向寵が言いたかった事を言ってくれた。

 だが関羽は彼に背を向け、窓際に立った。


 男はため息をついた後、小さく頭を下げ部屋を出る。

「おや、あなたは。向寵さん、でしたっけ。にゃお族の」

 廊下に出たところで男は向寵に気付いた。



「関羽さまは自分に厳しい方ですから」

 その男、諸葛均はまた溜め息をついた。

 向寵はその横顔を見ながら納得した。それは孔明に似ている筈だ。かれは諸葛孔明の実弟なのだそうだ。

「でもそれだけに、部下は能力以上の努力を求められるのです。げに、すまじきものは宮仕え、ですよね」

 そこで同意を求められても困る向寵だった。


「僕もね、兄が大人しく荊州の役所で働いてくれていたら、のんびりと晴耕雨読の生活が出来ていたのに……」

 がっくりと肩を落とす諸葛均。どうやら兄の身代わりとして関羽の幕僚になる事を命じられたらしい。


 ☆


「向寵さんは呉に行かれたんですよね、呂蒙という人を知っていますか」

 諸葛均に訊かれた。荊州との境に駐屯していた魯粛に代わり新たに赴任してきた武将だという。呂蒙……? 聞いた事があるような、無いような。

「ああ、思い出した」


 あの張りぼて要塞の人だ。ちょっと、バカっぽかったが。

「見かけより、まともな人でした」

 むむ、と諸葛均は考え込んだ。向寵は申し訳なく思ったが、他に情報が無いから仕方ない。


「虚と実の使い分けができる、という事ですね。なるほど関羽将軍には後方に注意するよう進言します」

 驚いた。この人、結構鋭いのかもしれない。


 ☆


 劉備が蜀を手に入れ、荊州に残っていた夫人たちは揃って蜀へ向かう事になった。向寵は陳到と共に、その護衛を命じられた。

 

「では出発だ。続け、皆の者」

 いつの間にか場を仕切っているのは孫尚香だった。さすがに騎乗はしないが、馬車の中から指令を下している。その周囲はいつものように武装した侍女軍団が固めていた。


 列の後方から大きな音がし始めた。向寵が振り向くと、巨大な四つ足の機械が起き上がるところだった。多分木製なのだろう、牛か馬のような形状をしている。その機械四足獣は立ち上がると人の背丈を越えた。

 勢いよく蒸気を噴き上げる背中の、頭部に近い方に小柄な女性が乗り込んでいた。彼女は見送りの列に手を振っている。


義姉ねえさん、お元気で」

 泣きながら声を掛けているのは諸葛均だった。という事は、あの女性は諸葛孔明の奥さんの黄氏に違いない。両方の目の前に、透明な丸い硝子を枠にはめたもの(メガネ)を掛けているのが少し不思議な感じだ。


 前衛は陳到が務め、向寵は後衛に回る。

「大丈夫かな、関羽将軍」

 向寵は何度も振り返った。


「無茶しないで下さいね!」

 叫んだ声は届いたのだろうか。関羽は軽く右手をあげた。


 ☆


「何を心配する必要があろう。魯粛に代わった呂蒙はまだ無名の若輩。孫権に至ってはわが娘を嫁に欲しいなどと媚びて来ているではないか」

 関羽は傲然と言い放ち、関平、廖化を先陣として襄陽を発した。傅士仁と糜芳は少数の兵だけを与えられ、呉との州境守備に残されている。


 関羽の軍は、曹仁の守る樊城を包囲した。


 樊城を囲んだ関羽軍に対し、魏の援軍 于禁うきんが側面から猛攻をしかけた。関羽が先陣に立ち一度は撃退したが、続く龐徳ほうとくの逆撃によって後退を余儀なくされた。精鋭とはいえ関羽の手勢だけで樊城を陥とすのは容易ではないようだった。


 関羽と于禁、龐徳はそれぞれ軍を纏め、樊城郊外で対峙した。


「何か決定打となる策はないか」

 関羽は幕僚を見回した。だが誰も関羽を畏れ口を開くものはなかった。関羽の眼が諸葛均に止まる。最後まで出陣に反対していた諸葛均だが、それだけに彼の意見を訊きたかった。

 諸葛均も関羽を真っすぐに見返した。

 もうここまで来たからには勝たねばならない。彼も覚悟を決めた。

 

「ここは、水攻めがよかろうかと思います」

 すっと目を細めた表情は諸葛孔明に酷似していた。


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