第13話 漢(おとこ)の嫉妬はこわいのだ

 蜀の成都では新たに劉備軍に加わった馬超の噂で持ち切りだった。

 颯爽とした風貌と鍛え上げられた肉体。明朗快活な中で、時折見せる憂いを帯びた表情に女性たちは心を蕩かし、彼の行く先々に群がった。


「はー、すげえ人気だな。まあ、あれだけ格好良ければ当然だわな。なあ、趙雲」


 大勢の女性を引き連れ通り過ぎていく馬超を見ながら、張飛は呆れたように口を開けた。険しい表情でそれを見詰めていた趙雲は、はっと我に返ったようだ。


「え、ええ。ですがわたしは、女などに全然興味はありませんから」

「いや別にそんな事を訊いてはいないけど」

 趙雲は背中に藁人形のようなものを隠したが、張飛は見ないふりをした。


(まあ趙雲はなんとか大丈夫だろうが、問題は関兄だな)

 女たらしはともかく、馬超の武人としての評判はもう荊州まで届いた頃だろう。まだ馬超が張魯の元に居た時に、衆人環視のなかで張飛は馬超と一騎打ちをした事があるのだ。おそらく戦史に残るだろう、凄まじい戦いが繰り広げられた。

 そして、その結果は全くの互角だった。


「関兄でも、やはり互角か、あるいは……」

 張飛は苦い顔になった。

 かつて関羽は張飛以上に無類の強さを誇ったものだが、度重なる怪我の影響だろうか、最近ではややその強さに翳りがあるように思われた。

「最近、肩が上がりにくくて、とか嘆いていたが。この噂を耳にすれば、関兄の事だ、きっと戦いたがるだろうな」


 張飛の不安は的中した。

 荊州から早舟が到着し、関羽の使者がやってきたのだ。劉備に拝謁したのは関羽の娘、関平だった。


 ☆


「実は私、結婚を申し込まれまして」

 突然の報告に唖然とする劉備と諸葛孔明。

「もちろん断りましたよ。だって私は武に生きる女ですから」

 どこか得意げに関平は言った。

 そ、そうか…それは…だったな、と劉備は言葉を濁した。


「ああそうだ。父上からの伝言がございます。こちらが本題でした」

「ほう。何じゃ、聞かせてみよ」

 えーと、と関平は関羽の書いた手紙を拡げた。


 拝啓、劉備さま。蜀という異郷の地でいかがお過ごしでしょうか……。に始まり、時候の挨拶が延々と続いている。結構な美文ではあったのだが。


「それにしても長いぞ、関平。つまり手紙の内容はなんだ」

 関平自身も読むのに疲れたようだ。簡単に要約してくれた。


「要するに、馬超と闘わせろと、父は申しております」

 誰がこの世で一番強いのか、決着をつけるのだ、と。


「おお。それは面白そうです」

 諸葛孔明が声をあげた。

「劉備さま、さっそく成都に円形闘技場ころっせおを造らねばなりませんぞ」

「なぜそんなに乗り気なのだ、軍師どの」

 劉備は冷や汗を拭いている。


「だって天下一武闘会みたいで、心躍るではありませんか」

 どうやら、各国の最強武将を一堂に集めて戦わせるつもりらしい。

「ああ、それは見てみたくもあるが……」

 曹操親衛隊長の許褚と張飛の戦いなど、さぞ見ものだろう。

「でも来てくれないだろう、こんな所まで。敵国だぞ、ここ」


 諸葛孔明は微かに笑みを浮かべ、首を振った。

「劉備さまが天下を統一なされば良いのです。そうすれば蜀も魏もなく、すべてが漢になります」

「おお、確かに」

「漢、すなわち『おとこ』の世界が繰り広げられるのでございます」

「なんと素晴らしい!」


「すみません。父上と馬超の件はどうなりましたか」

 関平がおずおずと口をはさむ。

「たぶん、うちの父は、そこまで気が長くないと思うので」


「なんだ関平、若いのに夢が無いのう。確かにわしとて関羽と馬超の一騎打ちを見てみたくはあるが、そこはどちらも大事な家臣だからな。よし、軍師どの。関羽を宥める手紙を書いてやってくれ。わしが本当に大事なのは、そなた、だぞ♡ とな」

「ちょっと気持ち悪いですな」

 孔明は一礼して呟いた。


 ☆


「ほう、馬超などわしの敵ではないか」

 孔明からの手紙を読んだ関羽は気色満面で、その手紙を見せて回っている。

「どうじゃ向寵。あの孔明がわしの事をこんなに褒めたたえておる」


「ああ。それさっきも見ましたから」

 向寵は鬱陶しそうに、差し出された手紙を押し戻す。


「いやあ、すごいな、わし。ほれほれ、馬超といえど未だ美髯公(ヒゲどの)には及びますまい、と書いてあるぞ」

 浮かれて人の話を聞かない関羽に、向寵は肩をすくめた。

「でもそれ、ヒゲどの、が、ハゲどのになってますよ」

「な、なんと」

「嘘です」


 冷静になった関羽は西の方を見やり、大きなため息をついた。

「わしも一緒に、兄者の漢中王就任を祝いたかったのう」

 諸葛孔明からの手紙にはあわせて、今、成都では劉備の漢中王就任に向けた準備が行われている、と記されていたのだ。


 漢中。

 漢の高祖 劉邦も、この地に封じられてから天下人への階梯を登り始めたという、縁起のいい土地である。


 自称とはいえ、劉備が漢中王となったことで、三国鼎立への機運は急速に高まっていった。


 ☆


「ここはひとつ、荊州からも華々しい祝いの品を送らねばなるまいな」

 祝いの品? 向寵は首をかしげた。荊州の特産品でも送るつもりだろうか。でも、そう珍しいものは無いと思うけれど。

「いったい、何を送るつもりです。関羽将軍」


 関羽はぎらり、と目を光らせた。

「決まっている。……曹操の首よ」


「にやっ?!」

 向寵の顔から血の気が引いた。




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