第11話 仲人はいばらの道

わしの娘を孫権の息子とめあわせるだと!」

 諸葛謹が危惧した通り、関羽は激怒した。

「ふざけたことを。孫権などに大事な娘をやれるものか。使者であろうと、この場で叩き斬ってくれるわ!」

 剣を抜き立ち上がった関羽を左右の側近が必死で制する。


「いけません将軍。それでは呉と事を起こさないという劉備さまの命令に背くことになりますっ」

 ぐぬぬぬ、と諸葛謹を睨みつけながら、関羽はやっと席に戻った。

「わかった。とにかく話だけは聞いてやる」


 全身から流れ出た汗が諸葛謹の周りの床を濡らしていた。

「あ、あう、あう」

 すでに魂が半分以上、諸葛謹の身体から抜け出ている。


「では、ここにらも呼べ」

 不機嫌極まりない声で、自分の子供達を呼んでくるよう命じる。


 その二人は側近に連れられ部屋に入ってきた。関羽の子供たちだった。

 一人はがっしりとした長身に無骨な鎧を身につけ、顔も関羽によく似ている。

「関平にござる」

 短く、鋭い声で名乗る。実に見事な若武者ぶりだった。


 そしてもう一人。諸葛謹はその姿に目を奪われた。

 長く艶やかな黒髪を胸辺りまで垂らし、艶やかな色調の袍がほっそりとした身体によく似合っている。切れ長の目が印象的な、端正な顔立ちだった。

「なんと美しい……」

 この方がそうに違いない。諸葛謹は、そのまま言葉を失った。


 我に返った諸葛謹は、その麗人の前に身を屈め歩み寄った。

「どうかこの方を、わが主 孫権の長子、孫登の奥方にいただきたく存じます」

「まあ、そんな!」

 少し低く、かすれ気味の声が心地よく諸葛謹の耳をくすぐった。

 顔をあげると、上気した頬を押える艶やかな姿が目に入った。


(これは、ご本人もまんざらでも無いのでは……)

 諸葛謹の胸に希望の光が灯った。


「……諸葛謹どの」

 その光をかき消すような冷風が、関羽から吹き付けて来た。

 諸葛謹は一瞬で青ざめた。


「これは、最初に言わなかった儂が、悪かったかもしれぬな……」

 ふつふつと沸き上がる怒りを抑えるように、関羽はゆっくりと諸葛謹に近づいてくる。言葉とは裏腹に、全く詫びようとする気配は感じられなかった。

 ここに来て何度目か分からないが、諸葛謹は死を覚悟した。


「この関興は……、儂のだ」

 朱に染まった顔を引きつらせ、関羽は言った。


 ☆


 どういう事だ。どこで情報が誤ったのだ……。

 諸葛謹の頭のなかは真っ白になった。いや、頭の外も一瞬で白髪になっているかもしれない。


「いや、あの。でもうちの間諜が、娘がいるって報告を」

「何?」

 関羽に睨まれて、やっと自分が危ない事を口走ったのに気付く。

「な、何でもありません」


「それとも、その孫登という男は両刀使いなのか」

「あ、いや、その。そういう噂も聞かなくはないですが……、結構流行してますし」

 これも言わずもがな、だった。


「と、ともかく娘さんがいらっしゃらないなら、この話は無かったことに……」

 床にぼたぼたと汗を垂らしながら、諸葛謹は逃げ出す口実を考えていた。

 そうだ、娘がいないなら仕方ないのだ。ここで自分が恥をかくだけで済むなら、大したことではないのだから。


「いや、娘がいないとは言っておらん、……だがな」

 関羽は隣に立つ関平と顔を見合わせた。関平も困惑顔のまま頷いた。


「この関平は儂の片腕のようなものだからな、嫁にはやれんぞ」





「…………はい?」

 長い沈黙の後、諸葛謹の発したのは疑問符だけだった。


「儂の娘は、この


 諸葛謹の魂は、完全にどこかへ抜けて行った。


 ☆


 向寵は廊下で諸葛謹とすれ違った。

「諸葛謹さま、お久しぶりです」

「は、……ああ」

 果たして彼女に気付いているのかどうか。悄然と肩を落とし、歩み去る諸葛謹の背中を向寵は見送った。


「どうしたんでしょうね、あれ」

「うむ。まあ、今のところ首と胴体は繋がっておるようだし、大丈夫だろう」

 陳到は軽くいなす。

「それより食事に行くぞ。腹が減っただろう?」

「はい!」


 ☆


 一方、蜀で苦戦する劉備だったが、ここに来てやっと朗報が届き始めた。


「張飛将軍は連戦連勝、敵将 厳顔を捕らえました」

「水軍は巴西を遡上中との事です!」

 荊州からの増援部隊が進攻を開始したのだ。劉備軍の孤立状態はどうやら解消されそうだった。


 そしてもう一つ。曹操との戦いに敗れ、漢中の張魯に身を寄せていた馬超を味方につける事に成功したのが大きい。

 謀略工作により張魯との離間を図ったうえで、荊州から呼び寄せた馬良を向かわせたのだ。馬超は弟(族弟?)である馬良の説得に応じ、馬岱ら子飼いの部隊を率い、劉備に投降した。

 

 その容姿端麗さから『錦馬超』とよばれる美丈夫でありながら、ほとんど人間離れした戦闘力を誇る馬超は、曹操を何度も追い詰めたことがある。

 だが中原の七割以上を支配する曹操との兵力差は如何ともしがたく、ついに敗走を余儀なくされていたのだ。


「これで蜀を手にしたも同然だ」

 劉備は踊り上がって喜んだという。

 その言葉通り、馬超の旗印とその雄姿を眼前にした劉璋と蜀軍は完全に戦意を喪失した。どれだけ馬超の名声が凄まじかったかが、この一事でもわかる。


 ☆


 成都はついに、劉備の前に城門を開いた。

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