6、メッセージ
電話ボックスの床は今や水浸しで、台座の下の地面へ染みは広がっている。ドアが閉まり密閉されたガラスの内側は、四面とも天井近くまで真っ白に曇り、だらだらと水滴が線を描いている。
誰もいない電話ボックスでこれだけの結露など通常考えられない。これは明らかに怪奇現象だ。
高谷は携帯で柄田に掛けた。
「モニターはどうだ?」
『周囲に変化はありません。そっち、面白そうですね?』
二台のカメラにも当然万條と等々力の姿は写っている。
「道を、何か来た様子はないんだな?」
『ありませんよ』
ということは。
「幽霊が電話を通じてやってきたってわけか」
さすが岳戸由宇、本当に幽霊を呼んでしまった。
これは穴埋めどころか、メインで2時間行けそうだ。まあ「調査続行!次回へ続く!」は「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」お得意のパターンだ。
今ガラス戸を白く曇らせている気体、
これは電話を通じてやってきた幽霊そのものに違いない。
今、電話ボックスの中には幽霊がいるのだ!
「先生」
等々力が押し殺した声で訊く。
「あれは、目撃されている女性の霊なんでしょうか?」
岳戸は右腕の肘を左手で支え、立てた右の人差し指を唇に当て、顔を斜めにポーズを取った。
「ええ、そうね……
元々この辺りをさまよっていた女性の霊に違いないわ。
環境の変化で、
安住の地を追われて、相当怒っているわ」
宵に撮ったコメントとは微妙に内容が変わっているように思うが、
絶対に駐車場でのスタッフの会話を聞いていたに違いない。
「彼女が訴えたかったメッセージは、先生、お分かりになりますか?」
「待ってね」
岳戸は右の手のひらを電話ボックスに向け、目を閉じた。
「男と……車に対する強い恨みが感じられるわ。
雨の道を歩いている彼女のイメージが見えるわ。
ずぶ濡れになって。
夜、男とドライブデートをしていて、途中で喧嘩になって、男は彼女を雨の中に放り出すと、そのまま車を運転して行ってしまった。
ずぶ濡れになりながら道をとぼとぼ歩いていた彼女は、走ってきた車にひかれて、亡くなってしまったんだわ」
その女性は歩道を歩いてはいなかったんだろうか? 万條の調べでは過去10年遡ってもこの辺りで若い女性が被害者の交通事故は起きていないが。
「彼女は亡くなるとき、近くに電話ボックスを見つけたのよ。その電話で助けを呼びたかったけれど、もう体が動かず、無念の内に彼女は亡くなったのよ」
そういうことにしておこう。深く突っ込むと必ずぼろが出る。
「なるほどお」
と等々力は感心した声を上げた。
「それでこうして電話に執着しているんですねえ……。
先生え、いかがでしょうか、こうして巡り会ったのもご縁です、彼女を成仏させてあげられませんか?」
等々力もぼろが出る前に切り上げる腹づもりらしい。
「ええ。わたしは仏門で修行した修験者ですから、この世を彷徨い苦しむ魂をあの世へ導くのが使命です」
あの世から無理矢理呼び出した張本人という気もするが。
岳戸は電話ボックスに向かって合掌すると、
「南無妙法蓮華経」
と厳かに経文を唱えだした。仏門に入って修行したという真実を示す滑らかな舌の回転ぶりだ。格好が罰当たりな気がするが、たいがい仏像は薄い衣を纏って胸をはだけているから、案外これで正しいのかもしれない。
深夜2時。すっかり通る車も少なくなり、遠く、ざあー、ざあー、と波の音が静かに響いてくる中、岳戸の艶めかしい読経の声が流れる。
すると。
「おおっ、先生っ!」
等々力が思わず声を上げた。
岳戸はふっと読経をやめ、電話ボックスを見た。
真っ白に曇ったガラスを伝う水滴が、不自然なカーブを描きながら落ちていった。
それは1本1本はただの曲線だが、2本3本が重って太くなり、線と線が合体し、いくつかの文字を横に並べて描こうとしている。
等々力は完成されていく文字を左から読んだ。
「し・・ね・・ブ・・ス・・・・・・」
岳戸由宇の顔が、くわっと、鬼女の面に変わった。
「んだとお~、この、アホたれがあっ!!」
岳戸由宇は、信じられないことに、ボックスに近づくとガラスを思いっきり蹴りつけた。
バン、と厚いガラスが揺れて、中で白い気体が揺れたかと思うと、
ババンッ、ババンッ、ババンッ!
と、中から2つの手が思い切り叩きつける音が響き、実際白く曇ったガラスの人の頭くらいの高さに丸い跡が付いて「びちゃっ、びちゃっ」と水が跳ねた。
内側からの激しい連打は続き、はっきり「びちゃっ」と手形が叩きつけられた。
「すげえ……、幽霊の手形だ……」
高谷も思わずつぶやいてしまったが、
ババンッ!ババンッ!
と、はっきりとボックスを揺らして何物かの連打は続き、飛び散りだらだらと流れる大量の水滴に洗われ、曇りで見えなかった内部が見えだした。
フックに掛けられずぶら下がっていた受話器がぶらんぶらん揺れ、
「・・・・
うう、
うわわうわああううおあああ
ああああーーー
・・・・・」
と気味の悪い、
男の……
わめき声が聞こえてきた………
……女じゃないじゃん…………
「うるせえ、バーーカっ!!」
激高した岳戸は負けじとガンガンガラスを蹴りつけ、足を上げてキックまでした。
高谷は、幽霊相手に子供みたいな喧嘩をする人間を初めて見た………ま、ふつう一生お目にかかれる代物じゃないだろう。
「ちょ、ちょっと、先生、岳戸先生、落ち着いて」
と言いつつ自分はしっかりカメラを構えて撮り続けながら等々力は女性二人、万條と加納に、なんとかしろと合図を送った。たいへんなことになっちゃったなあ……と思いつつ、高谷もしっかり撮り続けている。
「岳戸先生、落ち着いてください! きゃあっ」
万條と加納は二人掛かりで暴れる岳戸を後ろから両腕を取って、なんとか電話ボックスから引き離した。
岳戸は、
「バッキャローーッ!!」
とわめいてキックの足で宙を掻いた。
「ええーーいっ、放せっ!!」
乱暴に暴れて二人を振り払い、
「腐れ外道がっ! 地獄に落ちやがれっっ!!」
金切り声を上げ、
両手を上に上げて、何か思いきり投げつける仕草をした。
バシンッ!
と電話ボックスが大きく鳴った。
うぎゃぎゃぎゃぎゃあああああああ・・・・・・
思わず首を縮めてしまうような悲鳴が聞こえた気がして、
電話ボックスは静かになった。
だらだらと水滴はそのままに、白い曇りは急激に透明になっていった。
ブウーーーーーーン………
と受話器から電子音が漏れていて、等々力に促されて高谷はドアを開け、受話器を、本体のフックに掛けた。
静かになった。
はあはあと荒い息をしていた岳戸由宇は、乱れた髪がかかった顔でフフッと笑うと、
「ざまあみろ」
と勝ち誇った。
なんというか…、
無理矢理呼び出された幽霊も気の毒だし、
ざまあみろ、なのは岳戸由宇の方のような気もするが……、
ま、面白い画が撮れたから、テレビ的にはオッケーだ。
お疲れさまでした。
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