5、電話

「別の電話ボックスだってえ?」

 報告を聞いた社長は驚きを隠さず大声を上げ、ブラックベースに集まっていたスタッフ一同はビクッと驚いた後、それまでの緊張がぶっつり切れ、思いっきり怠惰な空気が噴き出した。

 万條が、

「岳戸さん言ってましたよね、放っておけば悪霊になるのは時間の問題だ、って。6年前から噂があるのに今さら?って変に思ってたんですよお。あ~~あ……」

 と思いっきり白けた風に言い、

「今さらっつうか、いないんですよね? ここ?」

 と、柄田が言わずもがなな事を言った。

 高谷もしょうがないので社長に言った。

「どうします? 今から場所……変えます?」

「変えられるかよ?」

 と社長は眉を八の字にして言った。そりゃそうだと高谷も思う。

「そうですよね。俺たちはともかく……岳戸先生がねえ………」

 男たちは困ったため息をつき、万條は不満を露わにむっつりした。

「あれっだけ、大見得切って断言してましたもんね、間違いなく出ます!、って」

 口調も辛辣に嫌味だ。ま、嫌味を言いたくもなる。これまでの苦労が水の泡で、無駄な努力と分かっていてこれから「岳戸先生」におつき合いしなければならないのだから。

「いやいや、待て待て」

 社長が皆を手で制してしぶとく考えながら言った。

「いない、とも限らんだろう? 女の霊がこの辺りをさまよっているんなら、電話ボックスが無くなったからといって、それで消えて無くなったとも言えんだろう?」

 なあ?と皆に同意を求めると、

「確かにそうかもしれないですけど、ネットの書き込みで実際の目撃例は、言われてみれば2年前までなんです。後はそういう噂があるって又聞き情報で」

 と心霊データバンク万條が言った。高谷も、

「幽霊の出る電話ボックスがあったのは海水浴場の反対側ですよ? ここまではちょっと距離がありすぎでしょう?」

 と言った。優に1キロ以上ある。

「岳戸先生の霊感アンテナはよっぽど感度がよろしいんでしょうね?」

 と柳井も皮肉を言った。車内の雰囲気はどんどん悪くなる。

「ええい、うるさい!」

 社長が子供みたいに癇癪を起こして言った。

「岳戸先生が出るって言ったら出るんだ! いなきゃあいないで、呼び出してくれるさ!」

 それはもはや心霊現象の霊視ではなく、降霊術だ。

「な、翔ちゃん」

 社長が高谷を味方に付けようと呼びかけた。

「レストランの主人の名誉のために、頑張ろうぜ!」

 このおっさんが心にもないことを、と思ったが、

「はいはい。やりましょう。やるしかないですからね」

 と高谷も賛成した。

 それに、

 思い返してみれば社長は最初、2度も、正しい場所を指さしていたのだ。それを「違いますよ」と訂正したのは高谷だ。ま、社長に霊感はないようだが、自分にも責任はある。

 高谷は一応人望があるので、AD連中も渋々ながら承知した。

 こうして撮影スタッフは撮影続行を決めたわけだが、

 さて岳戸先生はというと、

 岳戸は一人広々スポーツワゴンのリング2号に待機し、灯りもついていない。ブラックベースとの間に年代物のこれもスポーツワゴンのリング1号があり、ここには今加納マネージャーが一人で待機している。ロングボディーの1ボックスカーブラックベースは、スタッフたちが交代で3つの座席と荷台と、バックドアを開いてカーテンを巡らせて作ったモニター室を回っている。一応カメラのモニターは続けていた。カーテンは雨風よけに厚手のテント生地で出来てはいるが、

 ……社長の声はでかい。

 今の事態を、実は岳戸も聞き耳を立てているのではないか?

 となりの加納はきっと聞こえていて、それでも出てこないところを見ると面倒に巻き込まれるのを避けて聞こえていないふりをしているのだろう。

 岳戸由宇先生は、

 いつ動くつもりだろう?


 1時を過ぎた。

 突然2号車のドアが開いて岳戸が降りてきた。

「行くわよ。カメラを持って付いてきなさい」

 腕を出して気合い十分に颯爽と歩いていく。

 歩道を歩き、電話ボックスが近づいてくると、4メートルほどの距離で止まった。

「わたしの霊能力は絶対よ。わたしに間違いはないわ」

 誰に言うともなく言い、顔をこちらに振り向かせた。仰せの通り茂田カメラマンが高性能3CCDカメラを肩に載せ、しっかりと捉えている。

 岳戸は力のこもった恐い目をしている。

「今、女性の霊がこっちに近づいてきているわ」

 カメラの後ろから等々力が訊く。

「先生、それはどっちの方向から」

 岳戸が指さす。

「あっち。海沿いの歩道を歩いてくるわ」

 方向は海水浴場の方。ここから100メートル離れた位置でカメラがこちらを向いて撮している。その、前か、まだ後ろか? 高谷はモニターをブラックベースで一人監視している柄田に携帯電話で訊いた。

「そっちはどうだ? 変わりないか?」

『特に何もありません』

「そうか。特に国道のカメラに気を付けてくれ。来てる、そうだから」

『了解しましたあ』

 このまま切らずに、とかっこよく行きたいところだが、電池がもったいないので切る。

 スタッフは緊張して岳戸の行動に注目した。

 その場に立ち止まったまま再び電話ボックスを向いた岳戸は、カメラに海側からボックスを撮るよう命じた。

 茂田カメラマンと柳井が走り、高谷がハンディーカメラで岳戸を撮した。等々力もハンディーカメラを持って撮しているので、高谷は等々力のフレームに入らないように岳戸の横に外れて、横顔を撮った。茂田の3CCDはカラーで撮れるが、高谷たちのハンディーは光量不足で白黒だ。

 高谷のハンディーの画面に岳戸は真っ白に瞳孔を開いてじっと電話ボックスを見つめている。


 10分が過ぎた。


 岳戸は立ったまま動かず、モニターを見る柄田からの連絡もない。

 待ち人来たらず。

 ここに、女の幽霊は、いないのだ。

 じっと電話ボックスを見つめていた岳戸の姿勢が崩れた。

「チッ」

 忌々しそうに舌打ちし、高谷のハンディーのレンズを睨んだ。

「ちょっと。切ってよ」

 高谷はカメラをオフにした。

 岳戸は等々力を睨み、等々力がカメラを下ろすと、わめいた。

「なんなのよおー? いないじゃないの? わたしを騙して、どっきりカメラでもやってる気?」

 高谷は呆れ返った。幽霊が出てこない責任をこっちに押しつけている。そもそも幽霊がいるのかいないのか視てもらうために連れてこられているという基本を完全に忘れ去っている。この人は、

 何もかもが、


 自分の思い通りになるものだ、


 と、思い込んでいる。

 さすがに等々力も持て余し気味に言った。

「しかし先生、先ほどこちらに向かっていると……」

「うるっさいわねえ! わたしが来たと言えば来る、出ると言ったら出るのよ! 出ないなら、それは最初っからいないのよ!!」

 それは……こっちはとっくに承知しているのだが…………。

「もうやめっ! 帰る!」

 ズカズカ歩いて向かってくる岳戸に、

「先生え」

 と等々力は言ったが、もはやあきらめて行く手を遮ろうとはしない。

 これでこのVは完全に駄目だ。局で作った再現ビデオは「こういう話がありました」とそれきりお茶を濁しておしまいだ。後は他のコーナーを引き延ばすなり他の没ビデオを適当に編集して穴埋めにするだろう。とにかくこっちはもうお手上げだ。



 トゥルルルルルルルル

 トゥルルルルルルルル



 どこかで電話が鳴った。

 ごく普通の、仲間内の携帯では聞かない呼び出し音だ。

 岳戸は立ち止まり、不機嫌な目で振り返った。

 等々力と万條は緊張してじっと一点を見つめている。


 トゥルルルルルルルル……


 電話は鳴り続けている。

 高谷はカメラを構え、岳戸を撮った。

 等々力もカメラを構えて、

 電話ボックスを撮った。

 撮りながら囁く。

「先生」

 岳戸は歩いてきて、さっきより少し近づいて止まった。鳴り続ける黄緑色の電話を見つめる。

「先生。どうしましょう?」

 岳戸はジロリと振り返り、万條を見た。

「出なさい」

「えっ、わたし?」

 万條は自分を指さして喜び、

「はい。出ます」

 と表情を引き締め、ちょこちょこと電話ボックス向かって歩いた。

 ドアを開き、呼び出し音が大きくなり、中に入り、等々力が慌てて追って足でドアを押さえてカメラを至近距離から万條に向けた。

 等々力の『よし、取れ』の合図で万條は受話器を取った。ガチャンと受話器を受けていたフックが上がり、呼び出し音が止まった。

 受話器を耳に当て、問う。

「…もしもし……」

 サアーーーーー……、というスピーカーの雑音を等々力のハンディーのマイクが拾う。

 茂田カメラマンは枝道と国道の交わる向こうの角の歩道から電話ボックスを撮している。

 万條は受話器のスピーカーを耳から斜めに表に向けてじっと聞き耳を立てている。カメラのマイクもじっと音を拾っている。


 サアーーーーーーーーーーー

 サアーーーーーーーーーーー

 サアアーーーーー




 サアーーーーーーーーーー

 ーーーーーーーーーーーーーーーー



 ーーーーーー



 無言が続く。雑音の向こうに何か別の音声が隠れていないかじいっと集中する。


 サアーーーーーーーーーーー


 ブツッ。


 ツー、ツー、ツー、ツー、ツー、


 万條は困惑した顔を等々力に向けた。電話は切れてしまったようだ。雑音に代わって、ツー、というスタンバイの音が鳴っている。等々力も困惑した顔を岳戸に向けた。

 高谷は岳戸の顔を撮り続けている。

 岳戸は、


 ニタアアッ、と、


 不気味に笑っていた。


「あっ」

 と万條が声を上げた。

「水」

 受話器を落とさないように気を付けながら握っていた手を開いた。

 手のひらがぐっしょり濡れていた。

 黄緑色の受話器の表面にぽつぽつ大粒の水滴が沸き、本体とつながる線に伝わり落ちている。


 来た!、


 と等々力も高谷も思った。

 等々力は

「先生!」

 と小さく鋭く不安そうに呼びかけた。

 岳戸はうっとりしたような笑みを浮かべて言った。

「ほうら、来ているわ」

 気が付けば電話ボックスの三面のガラスは下半分が白く曇り、水滴が下へ線を引いていた。

 うっと万條が口を押さえた。

「き、気持ち悪いですうー……」

「先生」

 等々力は言い、万條の手から受話器を取り上げると、下にだらんとぶら下げ、万條を外へ連れだした。

「先生、お願いします」

「お願いしますう……」

 ハンディー片手に、もう片方で万條の背を支えながら等々力は岳戸に万條を託し、万條も日頃の陰口はどこへやら、岳戸を頼ってお願いした。

 岳戸は九字を切り、指を上に開いた形の手印を結び、「オン・マカラギャ・バゾロ・ウシャニシャ……」と呪文を唱え、地面にしゃがみ青い顔で苦しむ万條の背中に何やら模様のようなものを書いた。

「オン・マカラギャ……、えいっ!」

 気合いを込めて万條の背中の上で強く手を打つ仕草をすると、パッと万條が顔を上げた。

「すっきり」

 万條は立ち上がると、

「先生。ありがとうございましたあ!」

 とすっかり元気に頭を下げた。顔を上げると目をキラキラさせて、すっかり岳戸の信者になってしまったようだ。

 高谷もいい画が撮れたなと満足した。

 無茶苦茶だが、

 やっぱり岳戸由宇は本物なのである。

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