2、目撃例

 レストラン「船上のまな板」オーナーシェフ、

 堂之丘 圭輔(どうのおか けいすけ)氏

 62歳


 は、一昨年、長年勤めた商社を定年退職後、一念発起し、空きレストランだったここを買い、趣味の釣りから極めた魚料理を自ら振る舞う海鮮洋食レストランを1年前に開店させたのだ。

 しかし、心配していた通り6つのテーブルに客の姿は1人もなく、本日も開店休業状態が続いているようだ。

「あっ、なんだ、またあんたたちか」

 堂之丘氏は露骨にがっかりした顔をした。土曜日にはいたパートらしき女給さんも今日はいないようだ。

 高谷は気の毒になって言った。

「一応僕らお客になりに来たんですが」

 土曜日は到着が遅くなって、撮影準備に忙しく、「お化けの噂」を訊ねられた主人もすっかりへそを曲げてしまって、食事は出来なかった。

「へえ、そうなの。そういうことなら、いらっしゃい」

 堂之丘氏は多少気まずそうにしながらも嬉しさを隠しきれない顔で言った。

「味には自信があるんだよ。どうも場所が悪いみたいでなかなかお客さんが来てくれないんだけれどねえ」

 とさっそく席に案内してくれようとするのを止めて高谷は言った。

「いえ、僕らはもう少し後で、交代でおじゃまします。先に、しばらくしたら女性をお連れしますので。舌の肥えた方ですから、よろしくお願いします」

 よろしく、に力を込めた。堂之丘氏は

「任せたまえ」

 と気を引き締めて胸を張った。テレビの取材だから、……オカルトではあるけれど、芸能人のお客はよい宣伝になるだろう、……と、可哀想に期待させてしまった。岳戸由宇が自分で自慢するほどグルメであるかは高谷は知らない。

「あと、スタッフの分も、僕らも入れて7人分、ご主人のお薦めをお願いします」

「合わせて8名様ね。承りました」

 堂之丘氏は、久しぶりのお客なのだろう、嬉しくて堪らないようだ。是非番組のブログで宣伝してあげたいところではあるのだが……

 予約も入れたことだし、堂之丘氏の上機嫌を頼んで話を振った。

「あの、それでですね、海沿いの道の電話ボックスなんですが……」

 堂之丘氏はたちまち嫌な顔をしたが、こちらはお客なので今回は一方的にはねつけるようなことはしない。

「だからね、そんな話、知らないよ。ただの噂話か、別の場所の話なんじゃない?」

「でもでも」

 オカルト大好きっ子の万條が目を輝かせて言った。

「◯◯市の××海水浴場から国道を1キロほど行ったレストランの麓の電話ボックス、って、あそこのことですよね?」

 万條は楽しくて仕方ないように展望ガラスの向こうに見えているはずの電話ボックスを指さして言い、堂之丘氏も忌々しそうにチラッと見て、

「1キロも離れてないがねえ……」

 とぼそっと言った。残念ながら夏の浜のにぎわいも、ここまでは恩恵に預かれそうにない。

「それじゃあ」

 高谷は考えて言った。

「ご主人がここに店を開く前の話でしょうか? こちら開店してからまだ1年ほどですよね?」

「うん、そうかもね」

 堂之丘氏は渋々認めながら、でも言った。

「しかしわたしは見たことも聞いたこともないよ。それが本当なら……」

 苦り切って恨みがましく言った。

「不動産屋め、ろくでもない物件を押し付けやがって」

 おやおや、と高谷は思った。おそらく、こんな店名を付けるくらいだから、堂之丘氏は海を眼下に眺めるこの場所を気に入って開店しただろうに、どうやらお客が来ないことに相当まいっているようだ。

 不動産屋にしても、わざわざ近所に出没する迷惑な幽霊のことを教えてやらなければならない義務はないし、この建物自体におかしなことが起きるわけでもない……んだよな?

「この店の前もここはレストランだったんですよね?」

「ああ。そうだよ」

「いつ、なんで閉めたんでしょう?」

「3年前に、主人の家族が病気になって、看病しなくちゃならないということで閉めたそうだ」

「前のお店は、流行っていたんでしょうか?」

 堂之丘氏はとても嫌な顔をした。

「ああ。なかなか評判だったと言ってたよ。閉めるときは常連客が惜しがって、だからここで店をやればすぐにお客が付くだろうということだったんだがねえ……」

「その常連客たちはこの店になってから来ましたか?」

「来た……みたいだったなあ……」

 ああ、やっぱり料理が駄目なんだ、と高谷は思った。

「おっかしいよなー、なんでお客が来ないんだろう?」

 と、堂之丘氏はあくまで店が流行らない理由を他に求める姿勢を変えなかった。……まあ、認めてしまったら店を畳むしかないだろうが。

 高谷は思う、店の、前に、幽霊が出るからといって、お客が寄りつかないだろうか? むしろ若者なんかが面白がってわざわざやってきそうに思うが。

「まあ、今日は霊能師の先生がいらっしゃってますから、いずれにしろはっきりするでしょう」

「霊能師の先生ってもしかして、」

 堂之丘氏は期待に目を輝かせて言った。お気の毒様。

「紅倉美姫さん?」

「いえ。岳戸由宇先生です」

「岳戸……。ふうん、そう……」

 高谷は時計を見てそろそろかなと思った。

「それじゃあ、そろそろ来ると思いますので準備をお願いできますか?」

「もちろん。腕によりをかけて料理するよ!」

 堂之丘氏は嫌な話から解放されて張り切った。

「僕も楽しみにしてます」

 高谷は万條といっしょに挨拶して表に出た。

 5時を回って多少空が暗くなってきた。

 レストランの窓には温かそうなオレンジ色の明かりが灯った。


 階段を下りながら万條に訊いた。

「幽霊の噂ってのはいつ頃からあるんです?」

「チーフ、いつまでもそんな改まった言い方しないでいいですよー」

「ああ、うん、そうだな」

「業界慣れしてませんねー、まじめなんだからあー」

 万條に笑われて高谷は苦笑した。たしかにこの業界特有の変に馴れ馴れしいところは嫌いだ。そのくせ腹の中ではろくでもないことを考えているのだから。

 オカルト大好きの万條は、今はきらびやかなテレビの仕事をしているというのが楽しくて仕方ない状態のようだ。

 このアートリング=等々力組は、いい職場だなあ、と思う。お給料はもうちょっと頑張ってほしいが。

「それで、いつ頃から?」

「6年前の書き込みが見つけた最初です。そこで『噂で』と書いてありましたから、それ以前からあったんですねえ」

 万條が頭の中の心霊データバンクから情報を引き出して言う。

 通常番組に宛てられた視聴者からの情報を元にこうしたVは作られるのだが、今回はとにかく急ぎで、はっきり言ってしまえば穴埋めだから、パソコンの情報リストから手っ取り早く取材できるものを選んだのだ。

「『噂』ばかりじゃなく、実際の目撃例もあるんだよね?」

「はい。8件ありました。いずれも白いワンピースを着てずぶ濡れで電話ボックスの中に立っている若い女の幽霊です」

「白いワンピースのずぶ濡れの女、ねえ……」

 実際の目撃例として8件は多い方だが、白いワンピースでずぶ濡れの女、とは、いかにもクラシカルで典型的な幽霊だ。

 これだけ典型的だと8件の目撃例というのも信じてよいのかどうか怪しいところだ。

 駐車場を抜け、低木の生える軽い丘の脇の歩道を歩き、電話ボックスの所まで来た。

「ずぶ濡れの女……」

 高谷はボックスの中を見た。昨夜は中央テレビ近郊の「いつもの所」で局の三津木ディレクターが俳優を使って再現ビデオを撮影したはずだ。こちらが提供した海岸道路を走る「リング1号」のVとつないで、もう編集も済んでいるだろう。

 電話ボックスを見る。

「で、どんな風にしているんだっけ?」

 今一度確認すると万條は待ってましたと喜々としてしゃべった。

「まずですね、

 目撃者は自動車でこうやってきます」

 手で国道をぶうーーんと、自動車が走ってくるのを表現する。

「するとですね、暗い中を……ああ、目撃されたのはみんな深夜2時前後のことなんです」

 これまた典型的だ。

「暗い中を明かりが灯っているんで自然と目が行くわけですね。するとですね、」

 万條はいかにも楽しそうに笑い、

「白いワンピースを着たずぶ濡れの若い女が、受話器を耳に当ててじいっと恨めしそうに通り過ぎる車を睨んでいるんです」

 イヒヒと笑った。

「しかし、それじゃあ幽霊とは分からないじゃないか? 本当に女の人がずぶ濡れでタクシーでも呼んでいたのかもしれないだろ?」

「そうですよねー?」

 万條はあくまで嬉しそうに言う。本当に女等々力だ。

「別のパターンもあるんですよ。別のパターンでは物凄い顔で何かわめきながらガラスをバンバン叩いているんです!」

 高谷はボックスを見ながらその画を想像した。

「夜中の2時ですよ~? 普通じゃないですよね~? 怖いですよ、ねえ~~?」

 たしかにそれはかなりギョッとして、怖いだろう。しかし、

「それも、例えば誰か悪い奴に追われていて、見つけた電話ボックスに避難して、通りがかった車に必死で助けを求めていたのかもしれない」

「そうですよね? それで車を止めて確認に向かった勇気ある人がいたんです。きっと助手席の彼女にいいところを見せようとしたんですね? うふふ。

 ところが、どうしました?、と声を掛けながら電話ボックスに近づくと、女の人はふっとわめくのをやめて、じいっと近づいてきた人を見るんだそうです。すると電話ボックスの天井の電灯が消えて、真っ暗になったと思ったら、またついて、でも女の人はもう中にいないんだそうです」

「出ていったんだろう?」

「そうですよね~? そう思いながら車に戻って、発進して、ふとバックミラーを覗くと、また電話ボックスの中で女が道路に向かって何かわめきながらバンバンガラスを叩いているんですって。ね? これはもう完全におかしいですよね? その人もこれはもう絶対ふつうの人間じゃないと青くなって走り去ったそうです。ね?」

 万條はこれで満足ですか?と高谷の顔を覗き込んだ。

 たしかに話としては合格だ。三津木班のビデオの仕上がり具合が楽しみだ。

「それぞれのパターンの目撃数は?」

「電話を掛けているのが4件、わめいているのが2件、あと2件は不明です」

 ふむと高谷は頷いた。取材の裏付けとしても一応合格と見ていいか。

 話が本当かどうかなんて分かりようがないから、ま、どうでもいいのだが。

 これは視聴者に叱られた(「くだらない番組をやってるんじゃない!」)場合の、いわば制作者側のアリバイ証明だ。

 高谷は道路の向こうに広がる海を眺めた。

 ざああ……ざああ……、と、穏やかな波の音が繰り返されている。しかし遠くの海はそろそろ黒くなってきた。


 待っているとリング2号とブラックベースが走ってきた。

「よお、翔ちゃん、どうだった?」

 リング2号の運転席から社長が顔を覗かせて言った。後ろには左=海側に岳戸が乗り、右にカメラを持った茂田カメラマンが乗っている。車中でも岳戸の横顔を撮ってきたのだろう。

「オーケーですよ。予約取っておきましたんで岳戸先生を食事にお連れしてください」

「オッケー。ほらな、別に怒ってなかっただろう? 翔ちゃんは神経質なんだよ。こっちはやっぱり海をバックに歩く岳戸先生を撮りたくて、けっきょく砂浜の方まで行って来たよ」

 幽霊の現場がここなのにわざわざ霊能師のイメージショットを撮ってどうすんだと思うが。

 まあこれで岳戸先生が快く「霊能師」の仕事をしてくれるならそれもよいが。

「おまえらもいっしょに来て食べちゃえよ。カメラ班はもうちょっと粘るってよ」

 とのことで、茂田カメラマンを下ろしたリング2号はレストランの駐車場に入り、ブラックベースも駐車すると夕食お預けのAD2名は道具を担いでカメラマンの下へ急いだ。リング1号も高谷が駐車場に入れた。



「本日のお薦め、炙りサーモンのサラダ、5種類の魚のお造りに、ワカメたっぷり魚貝出汁の豆乳スープ、メインディッシュはスズキと蛤のワイン蒸しでございます」

 テーブルには主人が腕によりをかけて作った盛りだくさんの料理がずらりと並べられた。

 岳戸は1つのテーブルを独占し、1杯だけの約束でロゼのグラスワインを付けられている。等々力と高谷、加納と万條の組み合わせで2つのテーブルに着いた。

「どうぞお召し上がりください」

 ニコニコ笑顔の主人に促され、社長の

「いっただっきまあーす!」

 の言葉で皆ナイフとフォークを動かし出した。

「・・・・・・・・・・・」

 空腹は最高の調味料と言う。高谷たちは黙々と手と口を動かした。主人はその様子をニコニコ見ている。

 ロゼワインを優雅に口に含み、さて、料理を一口食べて岳戸由宇は言った。


「まずい」


 取材班が駐車場を追い出され、流浪の民となったのは言うまでもない。

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