霊能力者紅倉美姫7 海辺の電話ボックス
岳石祭人
1、取材班
木立の向こうに赤いスレート屋根の頭が見えてきた。
「おっ、あれ、あの屋根だろう?」
「え…、違いますよ。肝心の電話がないじゃないですか」
釣られて右にハンドルを切りかけて、ドライバーの高谷翔(たかやしょう)は砂利の敷かれた駐車場を横目に車線を元に戻した。幸い右へ緩いカーブになっている。
「ありゃ、ほんとだ。わはははは」
「頼みますよ、この間も同じ所で間違ったでしょうが。もうちょい先ですよ」
高谷の運転しているのは大型のスポーツタイプワゴン、愛称「リング2号」=株式会社「アートリング」の所有する3.5台の車の中で一番の高級車だ。中古ではあるが、現行の新型だ。
株式会社アートリング。
映像コンテンツの制作を請け負う主にテレビ局の下請け会社で、社員7人、内、社長と副社長が夫婦で、人手がいるときは高校生の娘さんをアルバイトに雇う、極めて家内制手工業的会社だ。所有する車の「.5」は奥さん私用のオモチャみたいな軽だ。
主にオカルト番組の制作を行っている。
ドラマのVTRも生中継のロケも、オカルト、お化け物ならなんでもござれだ。
社長が根っからの好き者なのだ。
等々力力(とどろきちから)
という、こわい髭モジャの熊みたいなおっさんだ。この場合の「こわい」は「硬い」と書き、顔自体は太い眉が丸く下がって、マンガみたいな、いつも笑ってるような愉快な顔つきをしている。
……今、高谷のとなりの助手席に座っている。
あーあ、こんなむさ苦しいおっさんじゃなくかわいい女の子だったらなあと思う。
……女なら乗っている、後ろの広い座席を占領して。かわいくはないが。
岳戸由宇(がくとゆう)。
そこそこ有名な「美人」霊能師だ。
この場合の「美人」は主に本人の強い意向によって冠されている。
美人……ではあるのだが、
世間一般にあまりそうした人気はない。一部に熱狂的なファンはいるようだが。
岳戸由宇は……
ドカッと後ろから背もたれが蹴られた。
「まだあ? いつまでこんな狭い車に乗ってなきゃならないのよお?」
社長が厚苦しい愛想笑いの顔を後ろに向けてなだめる。
「すいませんね、先生。もうしばらくです。もうじき着きますんで」
岳戸はフンと腕を組んでそっぽを向いた。
岳戸由宇は、性格が悪いのだ。
東京から高速に乗り、途中で下りて海沿いの国道を走り、午後2時過ぎに出発してちょうど2時間ほど。3日前、土曜の午後に来たときには渋滞に捕まって4時間もかかったのだから「いつまで」と背中を蹴られるのは心外だ。どうせ自分だって大した「広い」車には乗っていないくせに。
東海地方の某県
としておこう。具体的な地名を記すのはいろいろと差し障りがある。そもそもこの急ぎのV作りは1週間後に放送を控えた「本当にあった恐怖心霊事件ファイル」で流す予定だったとある心霊ドキュメントが、依頼者の親戚の「とんでもない!」という烈火のごとき猛抗議で放送を見合わせざるを得なくなり、こうして急ぎ代わりを準備する羽目になってしまったのだ。
ここ数年来テレビ局はこうした「個人情報」に関するクレームに非常に神経質になっている。
左手に海を望み、右手に樹木茂る丘の連続を眺めながら走る。
シーズン前でウインドサーフィンの帆が2、3見えるくらいの砂浜を過ぎ、
じきに、
今度こそ目当ての物が見えてきた。
先ほどと同じように樹木の上に、黒い、やはりスレート葺きの高い屋根が見えてきた。
緩いカーブを曲がり、枝道へ右折して入る。少し入って左へ寄せて車を止める。
2台後続が入ってきて、後ろについて止まった。黒い年代物のスポーツワゴン「リング1号」とこれまたずいぶん側面が傷んだ年代物の黒いミニバン「ブラックベース」だ。ちなみにこうした特撮系の愛称を付けるのは社長の趣味だ。
2台から続々スタッフが下りてきた。
「着いた着いた。よし、今日は時間があるな。柳井、歩くぞ」
と言ったのはカメラマンの茂田充(しげたみつる)。社長といっしょにアートリングを立ち上げたお友だちだ。もっともこの人はただのカメラ好きで、カメラを覗いていなければただの恐がりのおじさんのようだ。頬がこけて、自分の方こそ死神博士っぽい。
茂田カメラマンに呼ばれて「はい」と重いボックスケースとリュックとがっちりした三脚を担いだのはカメラ助手の柳井泰介(やないたいすけ)。なかなかスタッフが定着しない中、3年目の24歳だ。茂田カメラマンには素直なのだが。
「社長。車、どうしましょう?」
とリング1号の運転席から顔を出しているのが入社1年目の柄田昌樹(つかだまさき)。映像系の専門学校を出ているから使えるかと思ったら、実はアートリングのもう一つの仕事、売れてない……もとい、ブレイク前の、アイドルをリポーターにした旅行ビデオ「美女と秘湯」シリーズ目当てのただのエロガキというのが判明して以来ビシビシ鍛えてやっている。でもまあ根を上げずいつかアイドルと秘湯で混浴するのを楽しみに頑張っているのだから根性は立派なものだ。
「あん? レストランの駐車場があるだろう? そうだよ、翔ちゃん、なんでここに止めちゃったんだよ?」
「いや社長」
翔ちゃんというのは女の子みたいで止めてほしいのだが。
「レストランは駄目ですよ、こないだ喧嘩になっちゃったでしょう?」
「喧嘩なんて大げさなものじゃないだろう?」
等々力は呆れたように言った。
高谷はふっと白々したため息をついた。人の感情に無頓着な人だから相手も自分と同じだと思っている、と思っている。
高谷は道路を横断していった茂田と柳井の師弟コンビを目で追った。茂田が構える中型の肩載せカメラが狙う物を見る。
1台の電話ボックスが立っている。
銀色のフレームの、中の電話は黄緑色の、古いタイプの電話ボックスだ。
ここに幽霊が出るというので取材に来たのだ。
ネットでは目撃報告が多く載っているが、すぐ近くのレストランの年配の主人は、そんな物は出ないと言った。
ご自分で見たことがなくてもお客さんなんかからそうした話を聞いたことはありませんか?と食い下がったところ、つまらん噂話を立てないでくれ!、と、すっかり怒らせてしまったのだ。
……怒っていたよなあ……、と、高谷は思う。
ま、怒ってしまったのは土曜の夜だというのにお客が1人もいなかったせいかもしれないが。
あんまり流行っていないのかもしれない。
ここは海沿いにずうっと国道が走り、国道は海から2メートルから3、4メートルほど切り立った崖の上を通っている。
車道の陸側をブロックに囲まれた灌木(かんぼく)の植え込みで分離されてサイクリング道路と歩道がずうっと平行して走っている。
サイクリング道路の陸側は道路を切り取った跡の壁が所々ある丘がずうっと続いている。6月現在木々が青々と葉を茂らせてこんもりしている。
海側に目を向ければ、崖が続いているが、所々下に砂浜が広がり、夏になれば海水浴場としてにぎわうことだろう。砂浜の周囲は土地が開けて店やホテルが建っている。
サイクリング道路を車道から守る植え込みは元々の地形に合わせてか所々広がって、脇道に入る三角州は見晴らしを確保するために裸の土になっている。
そうした広い三角州の一つであるここに、その電話ボックスは立っている、というわけだ。
脇道を入り、ずっと上っていくと丘を越えて住宅地と、市街地に通じているはずだ。今回はとにかく急ぎなので実際目で確かめている余裕はない。
坂道の途中、丘の上に階段を上がってそこそこの大きさのレストランが建っている。場所柄シーフードを売りにした洋食店で、店名を「船上のまな板」と言い、主人の心意気は大いに感じるが、お客がいないのは第一にこの店名によるのではないかと、是非改名することをお勧めしたい。
レストランの下に車6台分の駐車場がある。ここにこうして路上駐車を続けるわけにもいかず、あそこに止めさせてもらえればたいへんありがたくはある。駐車場は空で、今日も「船上のまな板」はきっとガラガラだ。
「ねえっ」
岳戸が不機嫌な声を上げた。
「あたしの出番は夜なんでしょ? それまでどうしてろって言うのよ? 加納っ!」
岳戸はマネージャーを呼びつけた。大きなカバンを抱えた女性が慌てて寄ってきた。細かなソバージュのロングヘアーにおしゃれっぽい大きなメガネをかけているが今一決まっていない。岳戸の所属する芸能事務所の社員である加納夏美、25歳。彼女も以前はお笑い芸人をしていたが、芽が出ず、裏方に転向し、今や気の毒に岳戸由宇の一番直接的な被害者だ。
「髪が傷んじゃうわ。ショール出して」
岳戸は加納が慌てて出した薄紫色のショールを頭からかぶった。彼女は紫色が大好きで、今日も全身を黒の濃い紫でコーディネートしている。紫は霊的に最上級の高貴な色なのだそうだ。偉い坊さんの袈裟といっしょだ。そういえばこれでも彼女は数年間きちんと寺で仏道の修行を積んでいるのだとか。それにしてはずいぶんな破戒僧ぶりだが。
「どうすんのよ? まさか夜まで車で待機なんて言わないでしょうね?」
いかにも不機嫌を露骨に表していた岳戸が、ふっと、猫なで顔になって言った。
「せっかく海に来てるんだから、海岸を歩いてあげましょうか? 欲しいでしょ、そういう画?」
社長がいかにも嬉しそうな笑顔を作って言う。
「歩いてくれますか? いやあ、欲しいなあー! しかし、まだ寒いですよ? お願いできますか?」
いかにも申し訳なさそうに言う社長に
「そりゃあ、是非と頼まれれば断れないわ」
岳戸は演歌の大御所のような寛容さを見せた。
「先生っ、是非っ、お願いします!」
狐と狸の化かし合いだ。アホらし。
岳戸は、まっ、いいわよ、と快く応じ、社長は高谷に言った。
「海の画を撮ったら先生にはレストランでお休みいただくから、おまえエリちゃんと交渉してこいよ」
「はい。了解しました」
高谷はチーフADで、技術チーフの茂田カメラマンは別として高谷の好きな「スタートレック」風に言えばクルーの「ナンバー1」だ。だが……
「じゃ、エリさん、行きましょう」
「はいはーーい」
軽いノリ返事をしたのがエリちゃん……ADの万條絵里子(まんじょうえりこ)。背が低く、そばかすだらけの丸顔で、子供のように好奇心にキラキラしたまん丸い目をしているが、28歳、高谷より1つ上だ。せっかく一流企業の正社員だったのに、「情熱が抑えられず」退社して去年アートリングに転職してきた変わり者で、その正体は社長と同類のオカルト大好きっ子だ。高谷はその手の知識に関しては完全に彼女に負ける。
高谷自身はといえば、元々テレビの仕事がしたくて、大学在学中にテレビ局のアルバイトをして、その時知り合った社長にここに引っ張り込まれて……オカルトには特に興味はないが、テレビはテレビなのでこの仕事は面白くて好きだ。
というわけで苦手な交渉ごとも仕事の内で、女の子の万條を連れてレストランへの階段を上がった。
岳戸の方は社長が茂田カメラマンを呼んで「ささ、海に明るさの残っている内に」と海岸へ下りていった。
高谷はレストランの茶色いガラス戸を押した。チャリーンと鈴が鳴って、「いらっしゃいませ」と主人が出迎えた。
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