ノストラダムスの大予言

気分上々

僕と恵那と、恐怖の大王

太陽を、まるでガラス細工のように、壊れないように、大事そうに両の手で支えている。黒く大きな人影は、蜃気楼のようにぼやけていながら、しかしはっきりとした輪郭を保ちつつ、圧倒的な存在感で魅了していた。



一九九九年七の月、空から恐怖の大王が舞い降り、アンゴルモアの大王を蘇らせるだろう



一九九九年四月。もうすぐ、世界は滅ぶ。ノストラダムスが予言した時期は、もうすぐそこまで、手を伸ばせば届きそうなほどに近く、迫っていた。


僕は大学の4年生になったけど、最近じゃ大学に行くことも少なくなっている。正直、勉強にもバイトにも、ましてや遊ぶことにも興味が湧かない。


なぜ。


だって、もうすぐ世界は滅ぶから。



その日は大通りにあるオープンカフェで、恵那と待ち合わせをした。

恵那は僕の恋人で、もう付き合って1年以上になる。恵那は僕の一つ歳上で、今年から社会人として忙しい日々を送っている。


三車線の一方通行道路を、たくさんの車がビュンビュン走る。生き急いでいるのか、生活に追われているのか、かわいそうだな、と同情する。


約束の時間から三十分遅れて、恵那は到着した。

「ごめん、待たせたね」

あまり、悪びれることなく、恵那は謝罪をした。

「ううん」僕は首を横にふる。「全然、待ってないよ」


カフェラテとカフェモカをオーダーした。


「どう?」恵那が訊いてくる。

「何が」なんのことかわからない。

「まだ、大学、行ってないの」

「うん。だって、後、三ヶ月しかないんだよ」

後三ヶ月で、世界は滅ぶ。僕には大学の講義を受ける意味がわからない。だから大学にも行かない。

「恵那の方こそ、いつまで働くつもりなの」

恵那が働き始めてから、僕たちが会う回数はめっきり減ってしまった。

「そうね。今のところ、辞めるつもりはないわ」

恵那は、目を合わさずに、悲しそうに、力なく笑った。

「そう」僕は、それ以上、何も言わなかった。



もし明日、世界が滅ぶとしたら、どうする? 豪遊しよう、と考える人がいる。助かる方法を探そうと必死で足掻く人がいる。そして、おそらく、大半の人は、大切な人と限られた時間を共有したい、と考えるのではないか。


僕も大半の人と同じで、世界滅亡までの三ヶ月、恵那と同じ時間を共有したいと考えている。


もうすぐ世界は滅ぶというのに、世界は、人々は、何もおきないと思っているのか、いつも通りの生活を送っている。頭がおかしいとしかいいようがない。


今、すれ違った忙しそうに歩くサラリーマンの男性は頭にウジがわいている。スーパーでレジ打ちをしているおばさんは、気がふれている。重い荷物を運ぶ宅配の運転手は、尋常じゃなく頭が悪い。


もうすぐ世界は滅ぶのに。働くことに、意味などないのに。


恵那も、そんな大半の人と同じ位置にいる。まるで世界が滅亡しないと思っているかのように、社会の歯車に組み込まれ、日々に追われ、無駄な時間を過ごしている。


僕は、そんな恵那を解放してあげたい。社会から、日々の喧騒から。そして、世界の終末までの時間を共に過ごし、世界の滅亡の時を共に迎えたい。



今日はオープンカフェで会って以来、約一ヶ月ぶりに恵那と会う。学生時代は、毎日恵那と一緒にいたというのに、今ではこんな有り様だ。


この一ヶ月、当然僕は何もせず、恵那は忙しく働いていた。早く恵那を解放してあげないと。という想いが、日毎に強くなっていく。


だってもう五月だ。世界の滅亡まで、後二ヶ月。



八階建てのビルの屋上にある南国をイメージしたレストランに、僕と恵那はいる。

ヤシの木のオブジェがあり、タイマツをイメージした炎が燃えている。屋根はなく、見上げれば空がある。夜だが、空に星はなく、薄く、赤く、燃えているかのような色をしている。

都会のビルの屋上にある原始的な風景は、そのアンバランスな雰囲気からか、世界の滅亡をイメージさせる。


料理と飲み物が運ばれ、僕はビールを、恵那はカシスウーロンを持ち、乾杯をした。

何に。もちろん、世界の終わりに。


「最近、やっとプロジェクトに参加させてもらえるようになったの」

嬉しそうに、恵那は言う。

それがどうした、と僕は思うが、「よかったね」と、心にもない言葉を発音する。

「それでね、まだまだわからないことばっかなんだけど…」

「恵那」僕は、恵那の言葉を遮った。

このままじゃ駄目だ。

このままじゃ恵那は、世界が終わる瞬間まで無駄な時間を過ごす羽目になる。

「いつまで、今の生活を続ける気なの」

恵那の大きな瞳は、すっと細くなり、肩の力も抜けたように見える。

「君こそ」

と言いながら、恵那はテーブルにあるワニの肉の唐揚げを、箸でつつく。

「一体いつまで」

箸でつまむと、ゆっくりと口に運ぶ。

「世界から逃げているつもりなの」

ワニをゆっくり咀嚼しながら、言う。

恵那の顔は、うっすらと笑っている。僕のことを、哀れんでいる。見下し、嘲笑しているように見てとれる。

「僕が、逃げているって」

手に持っていたビールを置く。

「何から、逃げているって」

つい、高圧的な言い方をしてしまう。

「さぁ」と首をかしげる。「もし、世界が滅びなかったらどうするの」

「滅びるさ」

「だから、もし、滅びなかったら、君はどうするのよ」

恵那は笑っているが、瞳には強い意思を感じる。

ああ、と思う。残念だ。悔しくて、悲しい、と思う。

恵那とは、わかり合えない、ということがわかった。なぜ理解してくれない、と何度言ったところで、ずっと平行線のままだろう。


勢いよく立ち上がる。座っていた椅子が倒れ、思った以上に大きな音がして少し動揺するが、動揺していない素振りをして言う。

「恵那は、僕のことを理解してくれると思ってた」だした声は、想像以上に震えていた。

「それは残念ね」

恵那の表情は変わらず、僕とは目も合わさない。遠くを見ている。

僕はレストランを後にした。



世界が終わる前に、僕は恵那と別れることになってしまった。あまりに呆気なく、あまりに突然で、思考回路がうまく働いてくれない。

他人事のように、僕は今、恵那と別れたことが悲しくて、恵那が僕のことを理解してくれなかったことが悔しくて、恵那と一緒に世界の滅亡をむかえることができなくなってしまって悲しんでいる、と思っているだろうなと、思っている。


一週間、何もせずに自堕落に過ごした。家にいた。


実感がわかず、虚無感のみが、積もりに積もる。


世界の終わりまで、後二ヶ月。とにかく時間は進む。何をしても、しなくても、恐怖の大王は待ってはくれない。二ヶ月後、必ずやってくる。


僕は、何もしない、ということを決めた。何もせず、二ヶ月を過ごし、ひっそりと世界の終わりを迎える。


最低限の栄養を摂取して、排泄や入浴などの最低限の行動だけをした。テレビもつけず、睡魔の限界を通り越して、意識を失うまで寝なかった。何もしない、ということだけを、した。


部屋の掃除は一度もしなかった。ゴミ出しもしない。一週間もあれば、部屋は散らかり放題になり、一月が過ぎる頃には、足の踏み場どころか、ベッド以外の空間がゴミで埋まってしまった。


六月。世界の滅亡まで、あと一月に迫った。

部屋にこもりはじめて、一度も髭をそっていない。眠ったのか眠っていないのか、よくわからない。長い間、入浴もしていない。

鼻の中はアカだらけで、呼吸がうまくできない。服はずいぶん昔に脱ぎ捨ててしまって、素っ裸でいる。髪の毛は脂で固まり、爪も長い。噛んで、噛んで、先がギザギザになっている。

この方が、より原始的で、世界の滅亡にふさわしいという気になっていた。


世界の滅亡を目前に控え、自分がどうあるべきかを、自問自答する日々が続いた。


七月になった。運命の七月。


飲もうとした牛乳は腐り、液体から固形物に変わっていた。サナギが蝶に変わるようで面白かった。

飲んでみると、腹を下した。もう、トイレに行く意味もわからず、ベッドで排泄した。


すべてがどうでもよくもあり、すべてがどうでもよくもない。今、この一瞬、一瞬、すべてが、世界の終わりにむかっているのだと、感じる。


薄暗い部屋のカーテンの隙間から、太陽の光が射し込み、宙に舞うホコリをキラキラと照らし出す。ホコリは、ゆらゆらと行く宛もなく不規則に宙を漂っている。何も感じず、何も考えず、ただ、その様子だけをずっと眺めていた。


時間だけが過ぎていく。僕は動かず、時間だけが動く。陽はのぼり、しずみ、またのぼり、しずむ。カーテンの隙間を、ずっと眺めている。


八月になった。


一九九七年七月は過去となり、始まるはずのない八月が始まった。


世界は、滅びなかった。




言葉がでてこない。感情も追い付いてこない。

「ふはっ」数ヵ月ぶりに声をだしたから、喉がいがらっぽい。


世界は滅びなかった。


世界は滅びなかった。


世界は滅びなかった。


世界は滅びない。


僕は、明日を、生きるのか。

恵那は、未来を生きるのか。


げほっ。げほげほげほ。せきを、する。


この二ヶ月を、思い返す。


僕は部屋に閉じこもり、なにもしなかった。牛乳は腐り、それを飲んだ僕は腹を下した。

カーテンの隙間をじっと眺めていた。


なんのために。世界の滅亡のために。


しかし、滅びなかった。


「ははっ」と、声に出して笑う。

世界は滅びなかった。じゃあなぜ、僕はこんなことをしたのか。簡単だ。僕は、世界が滅びてほしかったんだ。だから、滅亡を夢見た。

牛乳は腐ったのではなく、腐りたいと望んだから腐ったのだ。腐りたいから腐り、僕は飲みたいから飲んだ。世界は、それと同じだ。

世界は、生きたいから生きた。滅びたくなかったから、滅びなかった。


世界は思ったより簡単だった。

恵那は未来を生きたいから、生きている。

そうか、シンプルだ。簡単だ。


じゃあ、僕は。自問する。ぼくにとって、恵那が全てだ。僕にとっての世界は、恵那だ。


それから僕は、家の中を掃除する。ゴミを捨て、掃除機をかけて、風呂に入り、髭を剃る。

すべてを綺麗にすると、恵那に電話する。


「世界は、滅びなかったね」

恵那は、電話にでるとすぐにそう言う。

「うん。そうだね」と、僕は言った。

「恵那、わかったことがあるんだ。僕にとって、世界は、恵那だ。僕にとって、恵那がすべてだったんだ」大きく深呼吸をする。「今から会えないかな」

「わかった」すぐ、恵那は返事をしてくれた。


夕方、恵那と会う約束を交わし、僕は家を出た。


駅前で待ち合わせをした。スクランブル交差点の歩道橋をわたる。

すると、恵那が前を歩いていた。


「恵那」僕は大きな声で呼ぶ。駆け足で恵那に近づく。


恵那は、僕を見つけて、はにかんだように笑った。


「会いたかった」そう言うと、「私も」と、恵那は言った。


僕は両手を恵那の太もものあたりにまわし、グッと持ち上げる。

「ちょ、ちょっと」

恥ずかしそうに恵那は笑う。

夕暮れ、帰宅ラッシュの時間帯。足早に通りすぎる通行人たちが、何事かとこちらを見ている。


僕は、恵那を持ち上げたまま、ぐるぐるとまわり、そのまま歩道橋の下にむかって放り投げた。


ガッシャン、と音がなった。


下を覗くと、恵那は走っている車に轢かれたようで、大の字というより、犬の字のように横たわっていた。


ノストラダムスの大予言は、外れたのではなく、世界は滅びたくなかったと大半の人が望んだから、滅びなかったのだ。それは、腐ることを望んだ牛乳と同じことだ。

僕は、滅びたい。恵那と共に世界の終末を、迎えたいと望んだ。だから、共に滅びようと思う。恵那は、僕にとっての世界だから。


僕は、歩道橋の手すりによじ登る。ふらふらになりながらも、バランスをとって、立ち上がる。前を見た。


赤い夕陽が、目の前にあった。

最後に赤い夕陽を、目に焼きつけようと眺めていると、おかしなことに気づく。

太陽のまわりの雲が、ゆらゆらと集まりだし、大きな人影を造り出した。

太陽を、まるでガラス細工のように、壊れないように、大事そうに両の手で支えている。黒く大きなその人影は、蜃気楼のようにぼやけていながら、しかしはっきりとした輪郭を保ちつつ、圧倒的な存在感で魅了していた。


そうか。世界は滅びなかったのではなく、もうすでに滅びていたのだ。


「恵那、一緒に行こう」


僕は満足し、足に力を込めると、世界の滅亡にむかって、思いっきりジャンプした。

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