第3.5話 猫集め



 軍が帝国の政治に参与する現在において、東西総司令は兼任大臣、参謀本部はその内閣に近い役目を担っている。書記官は大臣補佐官といったところか。

「佐渡、」 

 毎朝の予定報告を終えた書記官佐渡弥八郎少佐を松河原総司令は呼び止めた。

「は」

 いささか深刻な顔をなさっている。

「頼みがある」

机に肘をついて手を組んだ総司令はそこに顎を乗せる。

「───兵部の加減が良くない」

 機動軍団第2師団司令、兵部万千代ひょうぶまんちよ大佐の体調不良は彼も知っている。

「存じております」

「様子を見てきてくれ」

 閣下のご予定に私的外出の余裕が無いのは、書記官たる彼が一番承知していた。

「かしこまりました」


 機動軍団第2師団は帝都南方に基地を持つ陸軍部隊だ。第2師団司令、兵部大佐は軍団司令の中で最も若い。帝国軍士官学校を飛び級かつ首席で卒業。文武両道で顔も良い。

才色兼備の彼は没落士族の出で、父親を早くに亡くして苦労したという。

「そうですか、閣下が………。忝く思います」

 官舎を訪問した佐渡を迎えた兵部大佐は表情が暗かった。「奴の好物だ」と総司令から渡された菓子を見て一瞬明るくなったものの、すぐ暗い顔に戻ってしまった。

 体調不良というより、気落ちしている、といった様子だ。

「少佐もご足労をおかけします」

兵部はやや赤みがかった髪を持つ頭を下げた。

「いえ。私も私的に心配していたところでした」

 佐渡の妻と兵部の妻は伯母と姪の関係にある。

 「失礼ながら、お風邪ではないように見受けられるようですが」

「仰る通り、身体に不調は無いと医者に言われています」

兵部は暗いため息をついた。

 「とするとお心を煩わす事が?」

「ええ………」

兵部は目を伏せる。憂いに覆われた顔さえも、世の淑女の胸をときめかせるだろう。

「お力になれることがあればお手伝いいたします」

 それも閣下の御命令の内だと佐渡は理解している。でなくば自分を行かせる必要が無い。

「少佐も見舞いの品とお考えのようですな、閣下は」

 相手も意図を察したらしい。僅かに笑みが戻った。

「少佐も大変でしょう」

「閣下の仰せであれば何とでもせねばならぬ職でありますので」

 少佐らしい、と苦笑を含んだ声で呟いてから兵部は言った。

「私事ではあるのですが───」


 猫が餌を食わない。

兵部の猫は散歩に出ていく。毎日の散歩から帰ってくると主人に飛びついて餌をねだる。

が、このところそれがない。静かに戻って来て居間に寝転がる。餌を置いても興味を示さない。毛並みはいいし、怪我もない。抱き上げて見ても孕んでいる様子でもない。

「何やら見捨てられた気がして」

飛びつかれるのを鬱陶しいと思っていたにも関わらずだ。

「お察しいたします」

佐渡はそう応じた。

「どこかで餌をもらっているのかもしれませんな」

「ええ。美しい猫ですから好かれるのでしょう」

わが子を自慢するように兵部は微笑む。

「しかし、誰かのところにいついてしまわれては困る。あれがどうあれ、俺は夜叉が愛おしい」

『夜叉』は愛猫の名だと彼は言い足した。本当の名は『白夜叉』だとも。





 

 「兵部の病は悋気りんきか」

「御意」

「ったく…」

報告を受けた総司令が悪態をついた。

一個師団の司令ともあろう者がやきもちに身を焦がされ体調を崩すなど話にならない。それも猫に。

 「愛情の対象は人間とは限りませぬゆえ」

「分かってる」

むっすりした顔で応じた総司令はやおら引き出しを開けた。乱暴に新聞紙を広げて一つの記事を指し示す。

「おい」

『猫だらけ』

 野良猫急増を報ずる記事だった。

 猫の自由気ままな生き様に惚れる人は多い。が、気ままな奴が増えるのは問題だろう。鳴き声がうるさかったり、ダニやノミの問題もある。

 「あいつの猫もこれじゃないだろうな」

「と仰せになりますと?」

「あいつの家の隣の地区だ。猫の縄張りでもおかしくない」

「………餌付けされているとお考えでございますか?」

餌を与えてくれる人間がいると、他の猫も集まってくる場合がある。兵部の猫も他から餌を貰っているのかもしれなかった。

「佐渡、調べろ」

「は、」

返事をしておいて彼は伺いを立てる。

「調査に際し兵部大佐の協力を受けたく思いますが、お許しいただけますでしょうか」





「夜叉を尾行する………?」

2日後に再び現れた書記官の提案に兵部はきょとんとする。

「はい。餌をもらっているのなら場所を突き止めた方がよろしいでしょう。家人へ礼も殴り込みもできましょう」

「殴り込みか…」

兵部は容姿端麗、文武両道の逸材である。しかしあだ名は「鬼兵部」。危険をいとわず自ら最前線で指揮を執るのが彼のやり方だ。

 「確かに後を追ったほうが早そうだ。俺も付いて行きます」



 

 首輪の鈴が澄んだ音を発する。

 弾むような足取りで、真っ白な猫は塀の上を歩いていく。少し離れて歩く二人の紳士。

曲がる角は偶然にも猫と同じだ。

 「人の庭を通っていかないのか。行儀が良いなぁ、夜叉は」

 帽子の下で兵部は目を細めた。彼は片時も目を離さない。

 官舎を出てどこにも寄らないあたり、行き先は彼女の中で決まっているらしい。通り沿いに池のある邸宅にも、屋根上で寝そべる三毛猫にも興味を示さなかった。

 道沿いの家の並びが雑然としてきた。高台と高台の間の谷間に家と家がひしめき合って立つ、昔からある町屋の並びだ。

 迷路のような路地を夜叉はとことこ進んでいく。

 「こんなところまで………」

兵部は顔をしかめた。彼の住む高級住宅地に比べれば統一感が無い。

「さして遠くはございませんが、場所が場所ではありますな」

 タッと夜叉が駆け出した。男二人も足を速める。

 白い塊は一軒の家の敷地に駆け込んだ。

 古いトタン屋根の店舗兼住宅。店は廃業しているらしく、木枠のガラス戸は埃っぽく曇っていた。

 奥に伸びる路地に入った夜叉を追って兵部が入っていく。

 路地の奥は開けていた。庭代わりの場所なのだろう。隣家との塀沿いに廃材が置かれて見通しが悪い。

 縁側の濡れ縁に飛び乗った白夜叉はそこにちょこんと座る。

 にゃぁ。

 がたがたとガラス窓が揺れる。ようやく開いた窓の内から、絵に描いたような老婆が現れる。

「あら、今日も来たのね」

やや困った顔をした老婆は身をかがめ、猫の前に小皿を置く。

 赤茶色のふわふわした物───鰹節だ───が乗った猫まんまである。

 うにゃうにゃ言いながら猫まんまに口を付ける愛猫の姿を、家の陰から伺う兵部は不満げだ。

 俺のほうがよっぽど良い物を与えている、何が気に入らんのか、とぶつぶつ囁いている。


 

 突然、黒い影が猫に覆い被さった。

「貴様!!」「えっ!?」

麻袋の隙間から白い塊が飛び出す。

 姿を晒した兵部は男に詰め寄った。

「どういう気か!!答えろ!!」「ひぃぃ!」

鬼の形相と剣幕に男はへたり込んだ。

「答えろ!!返答次第では───」

「違う違うんです!仕方なかったんです!!」

「仕方ないわけあるか!!」

 軍刀を帯びていたら男は物言わぬ体にされていただろう。でなくとも取って食らわん勢いだ。

 「兵部さん、猫を」

 若い紳士を自然に横にやる形で中年の紳士が現れる。猫を捜し始めた若紳士に代わり、白髪混じりの紳士は帽子を取って非礼を詫びた。

 「勝手にお邪魔した事をお詫びします。あの猫は彼の猫でして。どこへ行くのかと追っていたのです」

「ああ、いや………」

へたり込んだ男の顔から怯えが薄れていく。

「ところでお困りの様子とお見受けしますが」



 

 

 

 「売るつもりだったと?」

「はい」

 集まった猫を売って生活の足しにするつもりだった、と老婆の息子は白状した。

 昨年秋に起きた台風の被害で家も家族も失い、親戚を頼って帝都に避難してきた親子は空き家を譲ってもらい暮らしていた。貯金を切り崩して生活していたが、定職に就けず貯えも残り少ない。加えて母が猫を可愛がるので余分に食費がかかる。仕方なしに容姿の優れた一匹二匹を売ってしのごうとした、と。

 「勝手な話だ」

 報告を受けた総司令は吐き捨てる。

「自分の猫なら仕方ない。他人の猫に餌付けして困窮するなど馬鹿げている」

「男の母は『喪った猫を思い出して餌を与えたくなる』と申しておりました」

「かといって許される話じゃないだろう。兵部はどうした?」

総司令の前に立つ佐渡は淡々と告げる。

「烈火のごとくお怒りでございました」

「だろうな」

 廃材の陰に隠れた白夜叉を発見した兵部は佐渡を残して先に戻ってしまった。

 「地方行政が働いていないのか」

「被害が広範囲でございましたゆえ、住人の支援まで手が回せないのでございましょう」

 当該地方を流れる3本の大河が氾濫し、東方軍も救援救助に近隣基地の部隊を派遣した。被害は市町村を跨いでおり、道路、鉄道は完全復旧に至っていない。

「帝都の役所で当災害の救済援助を設けていた筈だったな?」

「は、」

総司令の意図を読み取った佐渡は続ける。

「彼らに伝えてございます」

「ん。ご苦労。他は?」

「念のためではございますが、彼らの身辺情報も控えてございます。お考え次第で伊賀長官にお伝えする事も可能でありますが」

「ん、」

総司令は鷹揚に頷いた。

「猫が急に減るようなら知らせればいい。…あ、いや待て。『問い合わせに目を光らせておけ』と伝えろ」

「かしこまりました」

総司令はふと暗い顔をした。指が口に近づく。

 「───閣下?」

総司令は爪を噛んだ。

「我々も考えが甘い。毎年の事だというのにな………。議会の連中と変わらん」

 台風被害は例年の事とはいえ、昨年今年は被害が大きかった。

「閣下はご自覚があられるだけ、ましでしょう。あとは長期的な対策を講じるのみであります」

「考えがあるのか?」

「帝国全土の地質を調査した上で、河川の改修、山地の植林等を行ってはいかがでしょう」

「時がかかるな」

何もしないよりかはましだが、と総司令はぼやく。

「第五部と国土省の力を借りればよろしいと考えます」

 第五部は参謀本部の後方支援部門であり、災害派遣時は道路復旧計画を立てる。国土省は文字通り帝国の国土を管理する行政機関だ。

「傍観していては国民の信を失う。掛け合ってみろ」

「はい」

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