第4話 世間を作る


 政権は時に言論を抑圧する。

 議会補佐の名の下、帝国の国政を実質的に担う帝国軍部は実権掌握当初から言論統制を行っていない。そのためか、国内各地に地域新聞社が存在し、この帝都にも『帝都日刊新聞』『大帝国新聞』『津々浦日報』を始めとする大手新聞社から、業界向けの新聞社まで大小の新聞社が会社を構えている。

「時に閣下、」

「ん?」

 愛読する某新聞から目だけを上げて、松河原総司令は側近の書記官、佐渡少佐を見やった。

「閣下が記事に目をお止めになる新聞はどこの新聞社が発行しているのでありますか」

「ほれ」

向けて見せられた新聞の一面を覗き込む。

『帝都新古新古新聞』

「帝都…しん、こ、しん…?」

「にこにこ、だ」

「は、」

大手新聞社の物は目を通しているし、帝都で目にする新聞は頭に入れているつもりの佐渡でも聞いた事が無い。

「閣下専用の新聞でありますか?」

閣下と完全な情報共有ができていない事に複雑な感情を抱きつつ、佐渡は尋ねた。

「読んでみるか?」

 差し出された新聞を受け取った佐渡はその場で記事を拾い読みする。

 『高校教諭の猫、発見』『浦賀沖で海豚いるか』『全国果樹種飛ばし大会始まる』

「和む記事が多くございますな」

「毎日毎日不安不穏な話題ばかり目に入れていては、まいってしまうだろう?たまには心が温かくなる出来事も知りたくなると言うものだ」

 わからないでもない。

 新聞の多くは話題性の高い物事を取り上げたり、読み手への問題提起を狙った物を選択したりする。結果、現実は平凡平和な日々なのに、事件事故ばかり起きているような気がしてしまう。

 「しかし、この新聞は聞いた事がありませんな」

 「佐渡にも知らない事があるのか」

総司令は書記官の意外な無知を面白がる。

「だったら訪ねてみたらどうだ?役に立つ事もあるかもしれんぞ」

「………何かお企みでありますか?」

「貴様の思いたいように思えばいい」


 閣下の真意は、誰かに会わせたいのだろう。

執務室に戻って新たな上奏と決裁済みの案件を処理しながら、佐渡は頭の隅でぼんやり思った。

 適当な時に覗いてみるとしよう。

 さて、次の休みはいつだっただろうか。




 



 通りの真ん中を路面電車がガタゴト走っていく。

 大通りはアスファルトで舗装された片側2車線の道路で、道に沿って真新しいコンクリート製の建物が軒を連ねている。

 『復興通り』と称される道沿いのビルヂングに、その新聞社はあった。大麻栽培に絡む記事で訪れたのも、この新聞社だ。

 背広姿で玄関に入った佐渡は受付嬢に尋ねた。

 「先にお世話になった佐渡と申します。この新聞についてお聞きしたいのですが」

 差し出した新聞──総司令からお借りした物だ──を一瞥した受付嬢はにこやかに微笑んだ。

 「お話はお聞きしております」



 


 「担当の者をお呼びいたしますので、こちらでお待ちください」

 受付嬢が去るのとほぼ入れ代わりに、記者とおぼしき男性が応接室に入ってきた。

 編集部の大和やまとと名乗った男性は黒縁の丸眼鏡を少し持ち上げた。

 「うちの新聞に興味をお持ちと聞きました。ありがとうございます」

 「いえ。他と視点の異なる記事を書かれると小耳に挟んだもので」

「よくお気づきだ。そこが家の売りなんですよ」

大和はまた眼鏡を持ち上げた。

「他と同じネタを記事にしない。世の珍事を拾い上げる。そこが新古新古新聞の売りです」

「ええ、本当に面白い。できれば購読したいと考えているのですが…なかなか取り扱っている店が見当たらなくて困っているのです」

官舎近辺、総司令部周辺、駅の売店にも取り扱いがないのは調べてある。

「家は自宅配達しかやってないものでして、はい」

 大和は落ちてくる眼鏡をまたずり上げた。

 「手続きをなさいますか?うちは仕事が早いのも売りでして。今日の手続きで明日からお届けいたします」



 で、だ。

 

 再びお借りした新古新古新聞と、自身の官舎に届いた物を机に広げて見比べる。

 「佐渡少佐、」

 眼力で穴を開けんばかりに紙面を見比べていた佐渡は生返事をした。

「何をなさっておいでですか」

「間違い探し」

「………はあ、」

 宇都宮新十郎うつのみやしんじゅろう大尉はこれまたぬるい返事をした。ちなみに彼は総司令部第二部、総務部門の連絡官である。

 皇帝陛下をお招きした晩餐会の準備に関する件を、総司令執務室から持ってきたついでらしい。

 「閣下より言伝を賜っております。『福部大佐と共に話がある。2時に執務室へ来い』との仰せです」


 






 「閣下は私を試すおつもりでしたな」

「貴様なら分かると思っていたぞ。佐渡」

常に冷静な書記官が開口一番、食ってかかってきたことに、総司令は意外性と一種の達成感を覚えた。

 新古新古新聞は2種類の新聞を発行していた。

 1つは世間一般に販売する物。

 もう一つは掲載記事を一部変えた物だ。より不可思議な件、背景に犯罪の気配をうかがわせる記事を含んでいた。2種類の新聞で掲載記事が異なるのは今日だと1件。傍目で見ているだけでは違いは分からない。

 閣下御用達の物の一か所がきな臭さを含む記事に変わっていたのだ。

 「閣下はあの新聞社とつながっておりますな?」

 「ああ、そうだ。そして貴様ともつながる。さて、そろそろ客が見えるぞ」

 総司令は書記官の明らかな不満顔を笑ってやり過ごした。


「参謀本部第10部大佐福部ふくべ、参上しました」

 参謀本部第10部は存在しない部門と呼ばれる。特別な部屋は無く、所属将校も集まることが無い。

 その正体は総司令直下の特務機関だ。将校は各部門、あるいは市井に散らばって活動し、総司令の機密案件を担当する。

 別名「ハンゾウ」。秘密裡に働く第10部は伝説の忍びの名でも呼ばれる。

 姿勢の良い若い大佐は、かけていない眼鏡を上げてみせる仕草をした。


「俺が読んでいるのはハンゾウからの報告書だ」

 机右手に控える書記官を見上げて総司令はにやりと笑う。

 「あの新聞社は第10部の一拠点でな。面白い話があったら俺に見せるように命じてある」

 新聞社には記者を通じて多くの情報が入る。記者達のコネの網にかかったネタには、記事にならない雑魚も多い。普通の新聞なら捨てられてしまう「雑魚」の中から獲物の欠片を拾い上げ、総司令に献上する。

 新古新古新聞の真の役目は、新聞を通した世上の監視。

 佐渡はきつく眉をひそめた。

 今まで私は閣下と、この新聞に踊らされていたのか?

 「───総司令、」

隣から発せられた恐ろしく低い声に松河原総司令はまずい、と思った。

 「まあ待て待て、貴様も知った事だし、これよりはお前にも同じ物を回すよう手配するから、」「お心遣いは有り難く存じますが、現状のままで一向に構いません。今までの案件ば全て゛総司令閣下が゙直接゛ハンゾウを通して私にお命じになられていたのでございますか?」

「…すまん」

書記官は怨嵯のオーラを一瞬で引っ込めた。

 いつもの顔に戻って福部大佐に向き直り、深く頭を下げる。

「お見苦しいところをお見せしました」

「…構わない」

 福部大佐は引きつった微笑を返す。

 「───すまないな、福部。本題に入ろう。佐渡と福部を呼んだのは、次の懸案に両名の協力が必要と俺が判断したからだ」


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