第5話 餌

「伊賀と福部に調べさせていた件なんだが、」

松河原総司令は黒い表紙の付いた紐綴じの調書を佐渡書記官に渡す。

前見開きの作成者は墨で潰されている。

 「モルヒネ、にございますか」

 アヘンに含まれる成分のモルヒネは麻酔に使われる。軍人はお世話になる機会が多い。が、依存性があり密造密売は裏社会の金脈と言われるほど。

 国の登録を受けた製薬会社が正規の製造販売を行っており、販売先も届出るよう義務付けられている。

 裏の摘発なら、ハンゾウを出す理由はないはずだが。

 黙々と調書を読み込んでいた佐渡の目付きが鋭くなる。

「………ここに関係者が?」

「事実と思いたくないが、事実であれば由々しき事態だ。全容を明らかにし、処罰せねばならん」

 できる事なら公表したくない問題だ。帝国を守護する軍人に麻薬に手を染めた輩がいてはならない。内々に処理できれば信用の低下も避けられる。

「それで、福部大佐も動いておられた、と」

「まあそういう事だ」

総司令は猛禽を思わせる目を佐渡に投げかける。

 由々しき事はまだあった。

 モルヒネの密売ルートは議会にも入りこんでいるらしかった。

 調書を全て読み終えた佐渡は黙ってそれを総司令にお返しする。

 「で、だ」

総司令は机の上で指を組む。

「この流れは根が深い。ハンゾウのみに働いてもらうのもありだが、佐渡も別に動けば、事の符丁が合わせやすい。それに、俺が興味を持った、と相手に知れた方が向こうの正体も掴みやすくなるだろう」

「は、」

福部大佐は敬礼する。

 佐渡は総司令の言葉で直感するものがあった。

 閣下は麻薬密売捜査を餌に、別の何かを誘き出そうとなされているのではないか。

「閣下、」

「ん?」

「すなわち自分が囮になれとの仰せでありましょうか」

総司令は下心ありげに口の端を引き上げた。

「ま、相手の考え次第だ」


 



 書記官の職務は主に3つ。総司令の裁断を仰ぐべき用件の上奏、各部門間の調整、司令の懸案の解決である。

したがって、司令の懸案の解決が職務の全てでは無い。

 他の職務も数多く書記官の元に押し寄せてくる。

 「少佐、」

 宇都宮新十郎大尉が上役の机に近づいた時、佐渡は兵部万千代ひょうぶまんちよ大佐とのやり取りを終えて受話器を置いた所だった。

「帝室武官からの答申であります」

「ご苦労」

軍部主催の晩餐会の打ち合わせだ。宇都宮大尉は晩餐会の準備を一任されている。

 『機密』の判子が押された書類を一読して佐渡は万年筆を執った。表に確認済みのサインを記し、大尉に返す。

「私事でありますが、少佐」

 書類を受け取る際に身をかがめて大尉は囁く。

「中尉とご連絡はお取りになっておりますか?」

 佐渡は万年筆を持っていなかった事を幸運に思った。でなくば線が不自然に曲がっていた事だろう。

「私事と言えども、この場で話す内容に相応しくないのではないかな、大尉」

「失礼いたしました。…軍団長が大層気にかけておいでで、少佐によろしく言うよう言伝を預かりました」

 大尉の父、帝都守備軍団長宇都宮七郎しちろう少将は佐渡と同郷の人であり、士官学校の先輩後輩の関係だった。

「…後にしよう、大尉」

佐渡は穏やかな相貌を煩わしさに歪めた。







「他に何か分かったか」

「閣下がご存知の事以上はございません」

 モルヒネの密売経路の事である。

 ハンゾウの調べで帝都駐留の下士官10名が憲兵部に拘束された。軍内部の元締めを請け負っていた、とその後の取り調べで分かっている。

彼らと接触していた出入りの軍属も、下士官らにモルヒネを販売した罪で拘束されている。

 下士官よりモルヒネを購入していた軍人も追々憲兵部に拘束される。総数は知れない。

問題は内部で隠し切れる大きさでは無くなっていた。

「面倒な事になったな」

猟場の真ん中で馬を並べて、総司令は胃の痛そうな顔をした。

 辺りの開けた環境は、内密の話をするにかえって都合がいい。

 「こちらが公表するより先に、新聞社に嗅ぎつけられねばよいのですが」

伝える側の調子に呑まれてしまう。

「…先に不逞の輩を片付けてからにしたい。残りの奴等の動きを封じる為にもな」

「間に合えば良いですが」

 黒毛の立派な馬が近づいてきた。各務大佐だ。

 「閣下、せっかくの狩猟会です。青空の下で書記官殿とくっついている必要も無いでしょう」 

意気揚々としているからに、既に鴨か何かを仕留めたらしい。

「兵部も雁を落としてございました」

「今日は獲物が多いようだな」

さっきからたまに聞こえてくる銃声は、広い狩猟場に散った各々のものだろう。

 総司令主催の狩猟会は、秋冬期に開催される。

 東方面軍東海司令部時代から続く恒例行事だ。

 「日ごろのうさ晴らしに一つ仕留めてくるか」

総司令は猟銃を背負い直した。

「佐渡も来い。でないと昼飯は無いぞ」

「お戯れを」

馬の腹を蹴り、総司令の後を追う馬上で佐渡の頭は勝手に働いている。

 麻薬販売で得た資金はどこで誰の懐に入っているのだろう。ハンゾウの報告では、議会の一議員に密売の売上金が集まっているという。密造先は調査中だ。

 軍内部の清掃にかかりっきりで目を向けていなかったが、事が議会に及ぶともなれば、軍部が被る汚名も少なくなる。

 痛み分けに着陸できれば安泰というもの。

 が、彼は妙な不足を感じていた。

 ────総司令は気にかけておられたのは、この程度の事だったのか?

 司令が炙り出そうとしておられるのは、もっと巨大なものであるはずだ。

 『興味を持ったと相手に知れた方が、向こうの正体も掴み易くなる』

 今はこちらが攻めているばかりで、相手らしい対象の動きは見えてこない。

 ────まだ、何も起こっていないのではないか?

 薬物売買という、既に起こっていた事を摘発しているだけ。新たな事件は起きていない。ならば───。

 パァン。パァン。

銃声が響く。

 佐渡か?

 あいつ、いつの間に獲物に狙いを付けていたのか。

「流石じゃないか、さわ───」

振り向いた総司令の前で、馬が跳ね上がる。

書記官の体が横に傾き、落ちていくところだった。


 

 



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