第3話 腐った林檎

帝国軍部の責務は国防に止まらず、国政にも及ぶ。

東と西に分かれた総司令部は合同で政策助言を行い、政治は議会、軍部双方の意見を淹れた形を取る。

 総司令直下の参謀本部も国政に参与する。各方向から収集される情報を元に、軍の意見をまとめる、言わば総司令の外部知能の働きをなすのだ。

 この男も外部知能の一部である。

 「佐渡ー」

入室した途端、窓を背にした机越しに総司令閣下は紙切れをお振りになられた。

「は、」

机の前に立った佐渡に、ハンカチよろしく振られていた新聞が突き出される。

「見ろ」

 『窃盗団アジトから林檎りんご100箱』『盗難品か』

「───何でしょうこれは」

どうでも良いような記事に目を留める総司令の才能に唖然としながら、彼は問うた。

「間抜けだと思わんか?帝都を荒らし回った泥棒共が、林檎を盗んで捕まるなぞ」

総司令は指を組んだ。

「が、もう一つ間抜けな点がある」

「────腐っておりますな」

 林檎は腐ったり虫に喰われたりして、ほとんど商品にならない物ばかりだという。廃棄する物を勝手に処分してくれたようなもので、農家が害を被ったとは思えない。

 「仰せの通り、不自然な件ではあります」

新聞を畳んで机上に置いた佐渡は僅かに首を傾げた。

「警察に当たってみたほうがよろしいでしょう」

「珍しく乗り気だな、佐渡」

 変な物でも食したか?との仰せを聞き流して、彼は総司令の予定専用の手帳を開いた。





 伊賀重四郎いがじゅうしろう。帝国の警察トップの警察長官を務める彼は、かつて軍に属した経歴を持つ。

 「また、閣下の気紛れですかな、少佐どの」

経歴に似合わぬ温和な面立ちの長官は、応接室で佐渡に穏やかな眼差しを向ける。

「どの件に目を付けられましたかな?」

「11月2日、港で窃盗団アジトを捜索した件です。その資料、押収された品を見せていただきたいのですが」

風間かざま一味の件ですか」

伊賀は表情を険しくした。

「あれはこちらも気になっていた」

「他に不自然な点があると?」

ええ、と伊賀は頷く。

「資料をお見せします。ご案内しましょう」



 部屋の床に並べられた押収品は、大量の箱と盗みの道具、それと腐ったり穴の空いたりした林檎だ。

 林檎の甘い香り漂う室内で、佐渡は木箱と手元の写真を見比べる。

 林檎を運ぶにしては大き過ぎる。

 果実の運搬に使われる木箱は立方体に近い直方体で、大人の肩幅より少し小さい。

 林檎の収められていた箱は長細く、縦の長さは1m位。一人で持つのは力士でないと難しい。

 写真内の林檎は長細い箱いっぱいに詰められている。

 次いで、床一角に丁寧に並べられた林檎の一団に注目する。

 「伊賀長官、林檎はこれだけですか?」

「と聞いています」

「一味が捜索時に捨てた様子は?」

伊賀は傍らの警部に目配せした。

「ありません」

警部の答えに、佐渡は眉をひそめる。

 合わない。

 林檎の量と箱の数が一致しない。目の前の数の林檎では、多く見積もって10箱、箱全てを埋めるにはあと3部屋の床を林檎が占領していなければならない。

 再び佐渡は写真を注視した。

 果実の下にぼんやり白く写る物がある。

 「警部、箱に入っていたのは林檎だけか?」

「はっ。いえ…。下に詰め物があったと記憶しております」

「調書を見せていただきたい」

背広姿の警部は緊張した面持ちで紐綴じの調書を手渡す。

立ったままページをめくる佐渡の手が止まった。

 『藁状の木くず』

 「如何されましたかな、少佐」

調書を読み流す目つきの変化に気づいた伊賀が声を掛ける。

 「林檎だけではなかったのですか」

「はい。しかし、林檎だけを運ぶなら詰め物は必要ない。憶測ではあるが、林檎は何かを隠す為の物だったのではと考えたくなるのです」

 佐渡には思い当たる節があった。



 1週間前。

 総司令は各務平八郎大佐から報告を受けていた。

 師団基地に保管されていた銃200丁が盗まれたという。

 軍の信用に関わる問題の為に事は公にされず、憲兵部が捜査を続けていた。



 「時に長官、賊の取り調べは進んでおられますか?」

長官は首を横に振る。

「それがよくわからない。奴等、『気紛れで売れない林檎を片付けただけだ』と言うばかりで。他の盗みは認めていますが、この件だけは口を閉ざしています」

 ふむ、と唸った佐渡は次の瞬間、険しい表情で伊賀に向き直った。

「長官、私からも見ていただきたい写真がある」



 「────まずいな…」

総司令は深い溜め息をついて、組んだ指の上に額を載せた。

 各務大佐、伊賀警察長官、佐渡少佐は総司令執務室で押し黙る。

 風間一味のアジトから見つかった林檎入りの箱は、軍基地から盗まれた銃の収納箱と一致した。

 この証拠を突きつけられた逮捕者は銃の盗難を認めた。

 果物市場で廃棄されていた林檎を上に被せてアジトまで運んだという。

 が、200丁の銃の行方はわかっていない。

 殺傷力の高い銃が帝都に霧散したとなれば、いずれ犯罪に使われる。となれば盗難の事実も国民の目に晒され、隠蔽との批判を受ける。国民の信用を失うのは必須だ。

 「囮を用意してあぶり出せれば良いのですが」

「死ぬ気のある者を用意…できるわけもない」

各務が前に進み出る。

「ここに」

「馬鹿言うな」

「基地司令は俺です。今件の責は司令の俺にあります」

 確かに『無傷の各務』の異名をとる彼なら弾をよけそうではある。

「しかしな…」

下手をすれば総司令本人の首が飛びかねない重大案件だ。



コンコン。


ノックの音が重苦しい空気を揺らした。

「何か」

総司令傍らに立っていた佐渡は声を掛ける。

 若い将校の声が返ってきた。

「第10部部長より至急の電報です」

ドアの前に寄った彼は身体の幅だけ扉を開ける。

 内部の空気を感じとったか、将校はおずおず紙片を差し出した。

 二つ折りの紙片を開き、文を確認した彼は表情を変えずに、ご苦労と応じてドアを閉めた。

 「参謀本部第10部より電報を受け取りました」

 載せろといわんばかりに向けられた手のひらの上に紙片をそっと差し出す。

 頬杖ならぬ額杖をついたまま、総司令は紙片を広げた。

 「ふっ、」

「閣下?」

「ハンゾウから知らせだ。『箱の中身を押さえた』そうだ。我々の首はつながった」

「なんと!」「良かった…」

各務は驚き伊賀は安堵の本音を漏らす。

閣下はというと。

書記官は総司令の口辺に微かに浮かんだ笑みを見逃さなかった。




「手を回しておられましたな」

 二人きりの執務室で書記官と総司令は言葉を交わす。

「当たり前だ。打てる手は打たんでどうする」

「閣下も保身をお考えになられますか」

「保身と言うな。………今、国政を見れるのは軍部だけだ。信用を失えば国民の期待は怒りに変わる」

 議会と軍部の両立の形を取りつつ、実際は軍が政治を行っている。

 行わざるを得なかった。

 さる一件で議会の権威は失われ、軍が補佐という名目の主導をしなければ政治が上手く行かなくなっている。

 「銃の箱だと何故気づいた?」

 話題を変えるように総司令は訊いた。

「緩衝材であります」

 銃は藁状に細かく裂いた木のくずを敷き詰めた箱で運搬していた。おがくずより粗く、白詰草より細かい。

 ほとんど軍専用に使われているので、民間で使用される事はまず無い。

 裏を返せば、それを軍と無関係の場所で見た時点で犯罪の可能性に気づける。

 もっとも、特殊な緩衝材に見慣れてしまった普通の軍人が気づいたかどうか。

 「貴様らしいな、これだから貴様は面白い」

次はどんな無理を任せてみようか、と松河原総司令は思うのだった。


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