第2話 踊る阿呆
総司令付書記官の職務は主に3つ。司令の裁断を仰ぐべき用件の上奏、各部門間の調整、そして司令の懸案の解決である。
その特殊性、調整能力、司令との意志疎通がものをいうことから、総司令の側近が任じられるのが常だ。
松河原総司令任官当初から書記官を務める佐渡弥八郎少佐は、総司令より4歳年上の49歳。同期より階級は低いが、総司令の右腕として帝国東方面軍で知らない人間はいない。
「総司令のお時間に余裕があるのは来週です。今ならば他のご予定はありませんので、なんとでもなりますが?」
「月曜の朝早くにお会いできないか?」
「了解しました。
「頼んだぞ、少佐」
大佐面会希望の旨の他、各部門から幾つかの要望を受けた佐渡は総司令室に足を運んだ。
「なぁ、佐渡」
片手の新聞記事をはらはら振りながら松河原総司令は好奇心に満ちた笑みを見せた。
「なんでございましょう」
「こいつ、面白いと思わんか?」
机の空きスペースに広げた記事を指差す。
嫌な予感を覚え、内心辟易しながら記事に目を落とす。
野焼きの煙を吸った猫が踊り出す。それを見ていた農夫達も腹がよじれて堪らなくなって笑いころげた―――。
新聞記事にもならないような内容だ。どうしてこの記事が通ったのかもわからない。編集もこの煙を吸ったのか?
「これが、なにか…?」
「マタタビはこんな場所に生えないぞ?」
マタタビは山中に生える蔓性の植物だ。帝都近郊は丘陵こそあれ、切り開かれて畑になっている。記事の場所のような野原に自生すると思えない。
「別の植物か、あるいは…」
「平地でマタタビを育てようとした奴がいた、か」
司令は片肘をついた手の上に顎をのせ、下心ありげに書記官を見上げる。
「焼かれるような場所で育てるか?普通」
年下の上司をちら、と見下ろした佐渡は息を吐いた。
「マタタビもどきの正体を調べよ、と仰せになりたいのでしょう閣下は」
「さすが佐渡。早速そうしてくれ」
閑暇を見つけて新聞社に赴いた佐渡は、記事を書いた記者から場所を聞き、その足で現場に向かった。
帝都の外れ。丘陵の合間を通る街道から山一つ外れた地は畑しかない。
だだっ広い畑の一部が焦げ、そこが目的に場所だと一目で分かった。
農道から畑に入った彼は燃え殻を掴み上げた。
炭化した草を手のひらに広げる。
手のような形の葉「だった」物が、触るたび乾いた音を囁く。それと黒こげの茎の一部。
手の燃え殻を払い落とした彼はしゃがんで地面を物色する。
葉と、燃え落ちても強度を残す茎と、もしゃもしゃした塊。
マタタビを窺わせる蔓も、握り拳位の果実も、見当たらない。
とすると…。
炭で真っ黒になった手をぱたぱた叩きながら彼は思案する。
「そこでなぁになさってる?」
声に振り返った佐渡は微笑む。
「お邪魔して申し訳ない。畑が気になったもので」
肩に鍬を担いだ農夫は、背広姿で畑に突っ立つ中年の紳士に怪訝な顔を向けた。
「畑?先日焼いちまいましたよ」
「何を育てていたんですか?」
「麻」
憚る事なく農夫は言った。
麻は古くから繊維を衣類に、種子を薬味に利用しており、栽培する農家は多い。
「焼いてしまって良かったので?」
「いいんですよ」
佐渡より一回り──ちょうど各務大佐と同じ位の年齢──の農夫は面倒そうに頭をかいた。
「天気やらごたごたやらで時期を逃しちまったんでね」
「残念です」
「野菜と米の片手間にやってた物だから、気にしちゃいないですよ」
佐渡はそれとなく本題に移る。
「焼いた時におかしなことは起こりませんでしたか?例えば、笑いたくなるとか気分が良くなるとか」
農夫はちょいと天を仰いだ。
「俺は何にもなかったが、一部の仲間が、馬鹿騒ぎしてたかな。何が面白いのか訊いてみたがまともな答えが返ってきやしなかった。…あんたも不思議なことを訊いてくるもんだ」
佐渡は穏やかな微笑を浮かべた。
「上司が知りたがり屋でして」
後日。
総司令執務室。
「当畑で栽培されていた植物は麻でありました」
「麻?」
松河原総司令は眉をひそめた。
「麻燃やして笑い転げるのか?」
「仰せの通り、ただの麻ではございません。薬用の麻です」
総司令は険しい表情に変わった。
「大麻か…」
繊維用に栽培されている麻は陶酔成分が低く、加熱した葉を吸入しても何も起こらない。一方、陶酔成分を多く含む“薬用”の麻は「大麻」と呼ばれ、栽培が制限されている。
「当地は大麻の栽培許可の出ていない土地でありました」
農夫は何も知らなかったらしいが、事の事実はこちらの調べる事ではない。
「無許可の栽培、警察を出したほうが良さそうだな」
「既に手配済みでございます」
佐渡は脇に抱えたノートから一枚の書類を取り出す。
「これを」
差し出された書類を受け取った総司令は書面に目を通す。
警察長官伊賀重四郎宛の書簡だった。あとは司令のサインを待つばかりの状態である。
「相変わらず仕事が速いな佐渡」
にやりと笑って松河原総司令は万年筆を手に取った。
その後の捜査で、焼け残りから外国産の大麻が見つかり、地主が逮捕された。
地主は大麻の密売に関わっており、小作人に大麻を麻と偽って栽培させて、刈り取った物を小作料として納めさせる腹積もりだったらしい。
「安定した収入があるのに、危ない橋を渡るものだな」
「楽な収入がある故に、やもしれません。生活に余裕がある為に小細工を思いつく」
「かといって庶民の余裕を無くすのは愚だしな…」
執務室の机で松河原司令はむむと唸る。
「あの地主はどうなることやら」
佐渡は呟いた。
「俺の知ったことじゃない。決めるのは裁判官だ」
「総司令閣下とあろう御方が、陛下より賜りし職務を投げ出されますか?」
「こんな些細な案件まで回されたら倒れるぞ」
だったら些細な好奇心で腹心を走らせる閣下はどうあられるのかー。
分かるように顔に出すと、やはり司令はお気づきになった。
「なんだその顔は───」
やや切れ長な目で総司令を見やった佐渡はからかい気味に微笑した。
「閣下はいつまでもお若い心をお持ちでうらやましい」
「ああ?」
遠まわしに「子供っぽい」と言われたわけだが、40を超えた総司令は気にしていなかった。
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