帝都書記官
参河旺佐
第1話 黒い影
彼の朝は早い。
登庁してすぐさま、前日夜から朝にかけて提出された報告書に目を通す。
給仕の出した茶を片手に書類箱の書類をひっかきまわしていると、執務室のドアがノックされた。
入れ、と声を掛ける。
「はっ」
重厚な両開きのドアの片側が開く。軍服に身を包み、白髪交じりの髪をオールバックに整えた中年将校が滑りこんだ。
音を立てずドアが閉まる。
年齢に見合わぬ機敏な動きで向き直った少佐は通例通り敬礼する。
「
帝国東方面総司令部参謀本部少佐、佐渡弥八郎。武闘派揃いの東方司令部では異色の頭脳派である。彼は松河原総司令付の書記官だ。
「貴様も早いな。年のせいか?」
帝国東方面総司令部総司令、
華麗に無視した少佐は脇に抱えていた黒い手帳を広げた。
「閣下の本日の予定をお伝えいたします。午前10時より参謀本部会議。その後12時より昼食。午後1時からは関東各方面司令からの月次報告が予定されております」
「ん」
黒革の背もたれに目いっぱい寄りかかって腕を組んだ総司令はむっすりと天井を仰ぐ。
「尚、終了時刻は未定でございます。閣下におかれましては今宵料亭に行こうなどとお考えになりませぬよう」
淡々と告げて佐渡は静かに手帳を閉じた。
「なあ、弥八郎」
「は、」
机の側に寄るよう手で示して、家康は机上に散らかった書類の中から新聞を引っ張り出す。
「これをどう思う」
一面の記事を指でトントン叩く。
『相次ぐ置き石』『悪質ないたずらか』
線路上に止まった機関車と捜査中の警官らしき人数が写っている。
このところ帝都近郊の路線で置き石事件が相次いで起きていた。幸い脱線などの惨事には発展していないが、どれも帝都中央駅を起点とする主要路線で起きており、警察が捜査に当たっている。
「なんだと思う?」
「と、申されますと」
「犯人の目的」
口の端を持ち上げて、総司令は紙面を覗き込む佐渡を見やる。
「何を企んでいるのだろうな」
人命を奪う事を考えているのなら、バラストを置くよりレンガを積むほうが成功するだろうし、愉快犯ならもっと市街に近い場所で犯行に及ぶほうが人目に付きそうなものだ。
置き石現場は全て、都市部から離れた郊外の田園地域なのだった。列車の運転手曰く、線路の下に敷くバラストがレール上に載せられていたらしい。
「佐渡少佐、」
またいつものアレか、と佐渡は総司令を横目で見る。
予想通り、好奇心満々の笑みを浮かべておられる。
「この事件は面白い。調べよ」
後日、佐渡弥八郎少佐は郊外に車を走らせた。
置き石現場近くの道に車を止め、未舗装の道に降りる。
幹線道路から外れた畑の真ん中を突っ切るように、線路が東へ延びている。
遠くに集落が点在する静かな農村地域だ。
どこも同じか。
佐渡は手にした新聞の切り抜きの束を見やる。
ここまで置き石現場を回ってきたが、どの場所も田畑の中を列車が走る場所だった。
事故を起こさせる目的で石を仕掛けるには回りくどい。
畑仕事の農家の姿も見受けられ、人目に付きにくいわけでもない。
ふむ、と首を傾げた彼は畦を通って線路際に近づいた。
閣下は面白いだろうが、休日返上で付き合わされるこちらはあまり良い気分ではない。
線路を覗くと、白っぽいバラストがレールの下に敷き詰められている。遮るものがなく延々とレールが続いていく様は、なんとはなくすがすがしい。
…?
線路の先に影を見つけ、佐渡は首から下げていた双眼鏡を構えた。
ほう。貴様が、か。
彼は口の端をくいっと上に持ち上げたのだった。
「で、どうなった。置き石の件は?」
総司令部執務室。
机に両肘をついて指を組んだ松河原家康総司令は、報告に訪れた書記官
「結論から申し上げますと、事件でもなんでもございませんでした」
「ん?」
眉を持ち上げた総司令は続きを促す。
「犯人はカラスであります」
「カラス?」
「は。カラスがレールの下に餌を隠していた場面を目撃いたしました」
「ちょっと待て、それでカラスが犯人の理由が分からん」
総司令は身を乗り出した。
「カラスは餌を巧妙に隠します。動かした物は草、小石まで元の通りに戻しておかねば気が済みません。私が目撃した個体も、レール下の石を線路上に置いた後、魚を隠してその石を元通りに戻しておりました」
考えうるに、と佐渡は続ける。
「カラスが餌を隠している最中に列車が近づいてきた為、カラスは石を戻す暇が無く逃げた、為に石は放置されたと考えられます。念のため、当該列車の運転手に直前の様子を尋ねたところ、全員がカラス、または黒い鳥が線路上にいた、または黒い影が飛び立ったのを見た、と話していました」
「………」
「よって、本件は偶発的に起きたもので、事件性はございません。以上、報告を終わります」
総司令は立てていた腕を寝かせ、黒革の背もたれに身をもたせた。
つまらないのかと思いきや、口辺に愉快げな笑みを漂わせている。
「鳥というのは予想外だったな。まあいい」
彼はいたずらを思いついた悪ガキそっくりの笑みを見せた。
「次も頼むぞ、佐渡」
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