第8話 晩餐

街路樹は大方葉を落とし、枝にまばらに残る葉が頼りなく揺れている。

 迎賓館に向かう車中で、松河原総司令はなんとはなしに外を見やった。

 「いかがなされました」

「ん…」

同乗する書記官代理に鈍い反応を返す。

「狩りに行ってくれば良かったな」

「狩り、でございますか」

「気が乗らん」

彼は再び窓の外に目を向けた。

 宮城きゅうじょうの堀沿いを離れた車は西へ向かう。

 やがて、車は迎賓館の車寄せに緩やかに停車した。

 先に降りた上野が総司令側のドアを開ける。

 礼服に身を包んだ総司令は、玄関先で出迎える宇都宮大尉に声を掛けた。

「ご苦労」

「は、」

宇都宮は先に立って内部へ案内する。

「陛下は後ほどお見えになります。皇太后様もご一緒にお見えになります」

「他は?」

「各司令は既に到着しております。少将閣下も同じく」

「ん、今夜は頼むぞ、新十郎」



 総司令部創設周年晩餐会。

 毎年年末に催される、軍部主催の晩餐会だ。

 帝国の政治に参与して以降、皇帝陛下がお見えになるようになった。

 正面玄関。最も格式高い、正面の車寄せに着いた車のドアを侍従が開く。

 12、3歳の少年が降りてきた。

出迎えた総司令がうやうやしく頭を下げる。

「お待ち申し上げておりました、陛下」

 少年の燕尾服の胸に輝く日輪の大勲章。

 彼は総司令に微笑み、幼い声で言った。

「今宵を楽しみにしていたぞ、松河原大将」

 この少年こそ、この帝国の現皇帝である。

 



 晩餐会には各基地の司令、西方面総司令部の総司令も出席している。

 シャンデリアの下の大広間には幾つものテーブルが並べられ、階級に応じた礼服をまとった軍将校、並びに婦人方が席に着いていた。テーブルの島の間を泳ぐがごとく、ウェイター達が歩き回る。

 「大将は大変そうだな。軍事に国政にいつもご苦労である。摂政もそう言っていた」

 摂政とは陛下の叔父の事だ。学問を学ばせ、国民の象徴たる素養を身に付けられんが為に成人まで摂政を置くと決まっている。

 「軍が国政に助言できるのも総司令部の面々の働きあってこそでございます」

「そうか。いくら大将でも一人で全てはこなせぬのだな」

 子供っぽい容貌ながら、口ぶりは大人のそれである。

「は。上に立つ者は上に立つ者、配下には配下の役割がありますので」

「私も役目を意識しなければならないな。皇太后や摂政に叱られる」

 皇帝はリンゴジュースの注がれたガラスのコップに口を付けた。

 隣に陪席する総司令もワイングラスを手に取る。

 料理は前菜を終え、次の品が運ばれつつある。

 「時に、陛下はきな粉がお好きと伺っております」

「あっ、大将も知ってたのか?宮内みやうちがすぐ言いふらすんだ」

陛下の頬が餅のように膨らんだ。

「大人びた好みをお持ちであらせられますな」

「うーん。本当はピーナッツが好きなんだ」

語る陛下の前の皿をウェイターが下げ、肉料理の載った皿を差し上げる。

「しかし、食するときまって気分が悪くなってしまう。侍従達が『色と食感の似ている大豆はどうか』と勧めるから、きな粉で我慢しているんだ」

「左様でございましたか。しかしー、好みであられる物を体が受け付けぬのは、辛いものと推察いたします」

「だろう?」

 「陛下、」

少年の隣に座った皇太后がたしなめる。

「物の好き嫌いをあまり公にお話になるのではありませんよ」

「失礼いたしました、お母上」

 皇帝は皇太后にぺこりと頭を下げた。そして再び総司令へと体を向ける。

 「大将、代わりに軍の事について聞かせてくれないか?」

「かしこまりました」

皇帝はリンゴジュースを一口飲んでから、好奇心に輝く眼差しを向ける。

 「まず聞かせてくれないかな、なぜ我が国の総司令部は東西にある?」

「は。どちらか一方の機能が失われた場合の備えであります」

「そんな事が起こりうるのか?」

皇帝は首を傾げた。総司令はゆっくり頷く。

「かつての山城摂津やましろせっつ豪雨、また帝都震災の際は東西の総司令部が相補的に機能いたし、国民の救助、災害支援にあたりました」

 山城摂津豪雨は15年前、帝都震災はその翌年に発生した。当時東海司令部司令を務めていた松河原総司令も、それらの救援にあたっている。

 山城摂津豪雨では西方面総司令部も被害を受けた。東総司令部は、西総司令部を助ける形で情報を収集し、西を支援している。

 翌年の帝都震災で帝都周辺は大きな被害を被り、今度は東方面総司令部の建物が崩壊し、機能が一時的に停止。豪雨被害から立ち直っていた西総司令部が東総司令部を助けた。

 「山城摂津豪雨、帝都震災…。先帝よりお聞きした事がある。大変な時期だったとも仰せだった」

 どちらかも現皇帝がお生まれになる直前の出来事だ。

「直後の陛下のご誕生は国民の希望であらせられました」

 国民はご生誕を言祝ぎ、「皇太子の為に」と復興に力を注いだ。

 壊滅的な被害を受けた帝都の復興が早くに成り、震災前以上と謳われる発展を続けているのは「皇太子様に荒廃した帝都をお見せするわけには」と国民が奮起した結果だ。

 「災害など起こらねば良いのですが、自然は人の思う通りにはなりません。国防の意味もございます。ゆえに、我が国の軍は2つに分かれておるのでございます」

 「ふうん…」

 少年は牛フィレのステーキをふたつに切り分けた。

「指揮系統が一本でないと混乱する事もありそうだ。普段、両者の意見が対立する事はないのか?」

 「仰せの通り、東西の意見が対立する場合もございます。その場合は各総司令付きの書記官が調整を行ってございます」

「であるならば、書記官は総司令の機微を知る者であったほうが良さそうだな」

「仰せの通りでございます」

 答える総司令の脳裏には、療養中の書記官の姿が浮かんでいた。

 脚を貫通しかけた銃弾のせいで、歩行に支障が出ていると聞いているが、どうしているだろう。

 



 



「奇遇だな、書記官どのと同じテーブルだなんて」

 機動軍団第2師団司令連絡官、立脇彦四郎たてわきひこしろう中尉はワイングラスを傾ける。

「所詮は代理であります」

 上野中尉はそう言ってスープを口に運ぶ。

 立脇中尉は兵部大佐の連絡官だ。

 基地司令と連絡官は階級の違いから、別々のテーブルに着いている。総司令の書記官代理を務める上野も階級上、連絡官クラスの席に着いていた。

「代理と言ったって本職と遜色ない働きっぷりだろ」

 最低限の引き継ぎは受けている。が、彼は職域全てを既知していたかのごとく、代理を完璧にこなしていた。

「偽名を使う必要も無いだろうに。そんなに親父さんが嫌いか?」

「お答えは差し控えさせていただく」

上野は僅かな嫌悪をにじませた。連絡官を務める立脇も引き際はわきまえている。それ以上の詮索を避けた。

 「兵部司令は大層ご機嫌とお見受けします」

奥のテーブルを見やった立脇は「いつものことだ」とそっけなく言った。

「総司令にお会いできるからな」

 直後の立食会で総司令に突撃するのは確実だろう、と立脇は踏んでいる。

 司令の書記官にあたる連絡官も、上司を諫める事がある。

 ───うちの場合は中佐だがな。

 外で警戒の指揮を執る副司令は、兵部司令を正面から止められる、師団唯一の人だ。

 立脇にとっての平穏な時、晩餐会も七割を過ぎていた。




 佐渡少佐は依然病室にいた。

 脚の傷も癒えてきたが、松葉杖が無いと歩けない。銃弾にえぐられた筋肉の治りが遅かった。

 かといってずっと横になっていては体が衰える。医者に勧められてよく歩くようにしていたら、看護婦に止められた。歩き過ぎだという。

「せめて院内になさってください。お一人で外に出ていける状態でないのですよ?」

 少々の事で動じなさそうな看護婦は腰に手を当てて佐渡に言った。

「軍医どのに歩けと言われたんだが…?」

「程度をお考えになってください。どの先生が1日一万歩歩けとおっしゃっていましたか?」

 帝軍病院の看護婦は階級を気にしない。病院内では階級は無視される。

 


 官舎から病室に転送させている新聞を広げていた佐渡は、早朝の来訪者に怪訝なものを覚えた。

 「…何か起きたか」

 上野中尉は少佐の勘の良さに苛立ちを覚えつつも、努めて冷静に答えた。

「晩餐会の席で陛下がお倒れになりました」

「なんだと!?」

「今は宮城で医官の治療を受けておられます。直後から『毒を盛られた』との噂が生まれ広がりつつあります」

「毒…?」

「は。当時、嘔吐なされ脈が弱くなられた事を理由とした俗説でしょうが───」

「毒でない証拠がどこにある」

「それは、」

 上野は言い淀む。

 

 おかしい。

 これが答えられぬとはどういう事だ。把握しきれないほど事態が進んでいるのか、あるいは軍内部が混乱しているのか。

 

 ───これが罠か。


 佐渡の目が急に鋭くなった。ベッドから降り、壁伝いに脚をひきずりながら壁に掛けてあった軍服に手を伸ばす。

 「そのお身体で復帰なされるおつもりですか」

 目の前に立った上野に佐渡は告げた。

「分かりきった事をぬかすな千穂。貴様は理解しているのだろう。自分には手に負えぬと状況だと」

 ぎり。

 歯を噛む音がした。

「…は」

 軍服のシャツをベッドに放った佐渡は命じる。

「支度しながらでいい。貴様が知ってる情報を全て教えろ。支度が済み次第、総司令部に赴く」

「…かしこまりました」


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