第7話 チュウイ

 一度目覚めた覚えがある。

 確か手術室とおぼしき場所で、白衣を着た医師に呼びかけられたような。

 すぐに意識は飛んだ。

 

 今はどこにいる?どうなっている?

 まず、私は生きているのか?

 

 コンクリートの天井と梁。

 アルコールのような、ツンとした匂いがする。

 ………病室、だろうか。

「………生きて、いる…?」

 「はい、残念ながら」

 足元より聞こえてきた声。

 発声源を確かめようと、佐渡は身を起こそうとした。

 「っ!!」

 腹部に焼けるような激痛。起き上がれない。

 「うう…っ」

 人がいるのを忘れて思わず呻く。

 「どうやら、ご自分の状態を分かっておられないようで」

 冷ややかな声が飛んできた。

 「当たり前だ…」

 激痛は彼の脳を完全に覚醒させるには役立った。

 足側の壁に立っている相手が誰なのかも、彼の頭脳ははじき出している。

「何故お前がここにいる、“佐渡”千穂中尉」

天井を見たまま、佐渡少佐は別の意味で呻いた。

「松河原少将閣下の御命令であります。『帝都総司令部に赴き、書記官補佐をせよ』と」

冷ややかな声の主はまた答えた。

「必要ない、生きているのならすぐに復帰できる」

「であれば幸いでしょうな」

カツカツ、と靴底が床を蹴る音が近づく。

視界の隅から青年将校が現れた。

 東洋人にしては白い肌に、黒髪をオールバックに整えている。目の奥に人を近づけさせない鋭さを宿した将校は、濃紺の軍服とあいまって鷹のような印象を与えていた。

 「腹部に一発。左大腿に一発。内、大腿部の弾丸は反対側に達す。落馬による右肩打撲。すぐに動こうなどとお考えになりませんよう」

恐らく左大腿の傷が重いのだろう。なにやら固い物で固定されている。

「傷が塞がるまでは安静にするよう、軍医どのが申しておりました」

「どれくらいかかる」

「少佐の体力によります」

「さっさと答えろ」

枕元に立った中尉は淡々と告げる。

「1カ月はかかる、と」

年末の晩餐会への同行は不可能か。佐渡はため息をついた。

 撃たれて命が助かっただけでも良しとしなければなるまい。

 「詳細は軍医どのよりお聞きになったほうが正確でしょう。参謀本部中尉゙上野゙、退室します」

姿勢を正して敬礼し、上野中尉は踵を返した。

「待て、欧州からいつ戻った?」

「…少将閣下と同じ船便であります」

上野は諦観を含んだ言葉を吐いた。

 

 病室の引き戸が音も無く閉じる。

 よりにもよってあいつか。

 佐渡は再びため息をついた。

 総司令部参謀本部第一部所属中尉上野千穂うえのちほ

 佐渡の息子である。仲はお世辞にも良いとは言えない。

 中尉は2年前から、欧州駐在武官松河原英忠まつがわらひでただ少将の供で欧州に渡っていた。

 少将は一週間前に帰国し、今は浦賀で検疫を受けておられたはず。

 検疫期間が明けたというわけか。

 佐渡はようやく思い至った。

 総司令閣下も戯れが過ぎる。復帰したなら経緯をお尋ねしてみよう。

 早期復帰にあまり期待できないが。

  しかし、何故私が狙われた?

 

 

 自らを撃った者の詳細を彼が聞いたのは、次に中尉が現れた時だった。

 「外したわけではなさそうだな」

 現時点の調査結果を聞いた佐渡はそう漏らした。

 当時、総司令との距離が10メートルは離れていた事、狙撃犯が下士官階級であり、下士官試験の射撃の成績が悪くなかった事から、総司令を狙うつもりは無く、初めから自分が標的だとはっきりしたからだ。

 「推戴派か…」

 佐渡は眉を寄せた。

 自分の知る限り、狙撃という手段を取る程過激な一派では無かった筈だが。

 「過激な者の単独犯か、または少佐への私怨か、とも愚考致しますが」

 少佐の呟きを聞きとった上野中尉が述べる。

 「愚考だ」

 「失礼致しました」

 私怨があるなら素性を隠して襲うだろう。

 「閣下も推戴派の犯行とお考えなのか?」

「存じません。ただ…」

中尉は佐渡の枕元に寄った。ベッドの背に上体をもたせている佐渡へ身をかがめる。

「…明日、閣下がお見えになります」

「自ら?!…うっ…」

 起き上がれるまで回復しても腹部の傷は塞がり切っていない。急に動いた彼は布団に突っ伏す羽目になった。

 「閣下は憲兵部の報告を疑っておられます。少佐のご意見もお聞きしたいと伺っています」

「…人が、苦しんでいる、間に、重要事項を、伝えるな…っ!」

腹を押さえて佐渡は呻いた。

「麻酔が効いていると勘違い致しました」

悪びれる様子も無く中尉は淡々とした表情で答えた。


 



「無事だったか、弥八!」

 病室に現れた松河原総司令は真っ直ぐ書記官の傍らに向かった。

 ベッドの上に身を起こしていた書記官は詫びる。

「このような見苦しい姿をお見せし、申し訳ございません」

「気にするな、無事ならそれでいい」

 ベッドの端に腰掛けようとした総司令に、上野中尉が椅子を差し出す。

 「しばらく養生が必要らしいな」

「ご迷惑をおかけ致します。できるだけ早くお側に戻るよう療養に努めます」

「あまり急いで傷が膿んでもまずい。無理はするなよ」

「は、」

「心配するなよ、中尉はよくお前の代わりを務めてくれている」

「その事でありますが、」

佐渡はゆっくりと身を総司令に向ける。

「なぜ中尉をお呼びになったのでありますか」

 壁際に控えた上野中尉が思いきり顔をしかめた。

「新十郎は晩餐会の準備で手が回せん。万千代は基地司令だ。この上書記官の務めを任せては融通が利かなくなる。平八郎も同じくだ。一時ひととき手の空いている少将の所で一番よく働く者、となったら千穂しかおらんだろう」

「しかし…」

「実際よく働くぞ、千穂は」

佐渡は溜め息をついた。

皮肉にも彼が適任者だったということか。

「かしこまりました。どう使っていただいても文句はいいますまい」

 病室の入口横から飛んでくる冷たい視線を、佐渡は軽くいなす。

「さて、本題に移ろうか…中尉」

「はっ」

上野中尉は脇に抱えたファイルを佐渡に差し出した。

「ハンゾウの調査結果だ」

 昨日、憲兵部の結果を聞かされている。独自に調査を命じたとなれば、閣下は憲兵部の調査を信用されていないらしい。

 報告書を読み進めた佐渡は思わず声を上げた。

「これは…」

 曹長が議会議員秘書と接触していたというのだ。

 軍内部のモルヒネ事件。密売資金が集まっていた先は、議会議員清南栄蔵せいなえいぞう。彼の秘書と佐渡を狙撃した曹長が密会していた。

「推戴派の仕業と見せかけて、私を消そうとしたのでしょうか」

「らしいな。恐らく、佐渡の存在しか見ていないのだろう」

総司令の命令と知れていたなら、曹長は総司令を狙っていたはずだ。

 議員がモルヒネの密売に関与していたと世間に出れば、議会への風当たりはますます強くなる。逮捕される前に先手を打ってきたのかもしれなかった。

 「これで一つつながりましたか」

「うん。尻尾は掴んだ」

 先を読め、と総司令は目で書記官を促す。

 

 「───であれば、私が狙われた価値もあるようです」

 報告書を読み終えた佐渡は閉じたファイルを上野に渡す。

 議会に軍部に反抗する不穏な動きがあるという。

 軍部に補佐の名目で国政権を握られている議会において、現状をよく思う議員は多くない。過去の過ちを顧みれば、致し方無い事ではあるのだが。

 清南議員の関与は現時点で不明であるが、密売資金が企てに使われている可能性も否定できなかった。

「相手は焦って更なる行動を起こすだろう。本当に恐れているのはその行動だ」

 総司令は声を潜めた。

「議会がこちらの優勢に立つには、軍が失態を犯すように仕向ければいい。国民の信頼を失うような大失態をだ」

 「まさか、」

 晩餐会か。

 総司令は軽く頷いた。

 皇帝は国民の絶対象徴。晩餐会で変事が起これば責任は主催者たる軍部にあり、国民に弓引いたに等しい。信用を失墜させるには十分過ぎる場だ。

 「宇都宮にはシェフ、ウェイターに至るまで目を配れと言ってある。もちろん警備もな」

「それが良いでしょう」

万全を期して時を待つ。

「密売事件はその後に合わせて公表すればいい。調子に乗る輩に懲らしめるにはちょうどいいだろう」

総司令は意地悪い笑いを浮かべた。

 「閣下、」

 横にひかえていた上野が発言を求めた。

「どうした」

「公表を早めるべきかと考えます」

「なぜだ」

「仮に議会の企てが存在するとしましても、それを待っては対応が後手に回ります。相手を黙らせるには密売容疑と書記官暗殺未遂で十分ではないでしょうか」

「ふむ。先に牽制しろという事か」

総司令は面白そうに言って脚を組んだ。

「佐渡はどう思うか」

「首肯致しかねます」

目で促されて佐渡は続ける。

「それでは、企ての全てを把握する事ができなくなります。閣下のお考えは仕掛け人らをあぶり出す事でございましょう。中途半端に彼らを逃がしては意味が無い」

 佐渡の反論に総司令は僅かに口の端を持ち上げる。

 「…出過ぎた事を申し上げました」

 不満だらけの顔で中尉は頭を下げた。


 

 「中尉、」

 総司令に続いて部屋を出て行きかけた上野は書記官に呼び止められた。

「私の代理をよく務めようとするなら、感情を顔に出さないほうがいい。貴様は顔に出し過ぎる」

「…肝に命じます」

再敬礼して去っていく中尉の背を見つめて、佐渡は微かな不安を覚えるのだった。




 

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