第9話 天使は愛を囁く
昼食を終え、昼の休憩もした桜来と和音は再び冒険者ギルドに戻ってきた。いよいよ冒険者の依頼を受けることにするのだ。
ギルドにはいろいろな依頼書が張り出されていて、桜来は目移りしてしまった。
「どれにする? 和音」
「こっちのパソコンでも調べられるみたいよ」
「せっかくだから見てみるか」
ギルドには数台のパソコンが置かれたフロアがあって、他にも冒険者と見られる人達が席に座って調べていた。
桜来と和音は一緒に顔を寄せ合って一台のパソコンで調べることにした。
「最初は試しに簡単なのが良いわね。難易度の一番易しい物で絞り込みっと」
和音がスパパンと手早くキーボードを弾いて検索する。難易度の簡単な依頼はいくつかあった。桜来は目についた物を読み上げた。
「弁当を届ける、庭の草むしりをして欲しい、算数のドリルを手伝って、ジャンプ買ってきて……うーん、せっかく冒険者になったんだから冒険者らしいのがしたいね。何か面白そうなの無いかな」
「これなんて良いんじゃない?」
そう言って和音が示したのは港に現れたスライムを倒して欲しいというものだった。桜来はちょっと驚いた。
「この島ってスライムが出るの? 現代日本にしか見えない観光地だけど」
「誰かがスキルで呼び出したのかもしれないわね」
「じゃあ、倒しに行くか」
「そうしましょ」
そうして桜来と和音はその依頼を受けることにして、スライムの現れるという港に向かうことにした。
港はこの島に着いた時に船から降りた場所なので知っている場所だった。それもまた依頼が簡単にこなせそうと思った理由だった。
この世界には天使がいる。現代では信じている人はあまりいないが天使は実在する。
天使の仕事とは人間に愛を伝えることだ。そして、天使の少女はその仕事をするためにこの島を訪れることになった。
空色の髪をなびかせて白い翼を広げて天使の少女は舞い降りた。彼女の名前はミンティシア・シルヴェール。天界から来た天使だ。彼女は明るく人懐っこい瞳で周囲を伺った。
「ここが最近出来た謎の島ですね。10連休もしたから余裕あるでしょなんて仕事を増やすなんて天使長も酷いです。正樹さんの面倒を見る仕事を代わってもらったキトラにもまた借りを作ってしまいましたし……さて、仕事仕事。この島に愛を広めなくては」
ミンティシアがそうして港でやる気を出していた頃、天界と対立する魔界でも動きがあった。
天界が最近現れた謎の島に天使を派遣するという話はすぐに魔界の上層部にも知られることになった。それも派遣されるのがあの天界最強の守護鳥ガルーダを退けた正樹を担当している天使とあっては見過ごすことなど出来るはずがなかった。
魔王の決断は早かった。
「天界め、何を考えているかは分からんが見過ごすわけにはいくまい。あの天使のことはトウカがよく知っていたな。すぐに向かわせるのだ」
「ハハッ、すぐに連絡を取ることにいたしましょう」
そうして、連絡を受け取った悪魔の少女トウカ・ヴァイアレートは人間の少女村咲灯花としてこの島を訪れることになった。悪魔の翼を広げて降り立ち、すぐに観光客を装って人間に紛れ込んだ。
「天使の顔を知っていると言っても、こんな何も知らない島に派遣されても困るのですけどね」
島と言ってもここは結構広い観光都市だ。すぐに行けと言われたので下調べをする暇も無かった。
命令されたから来るしか無かったが、この観光客で賑わう島からどうやって天使一人を探せと言うのか。灯花は困ってしまうのだが。
「あ」
何と港に降りてすぐに見つけてしまった。向こうもこちらに気付いた。ミンティシアはいつもの無邪気な天使スマイルをして飛びついてきた。
「灯花さーーーーん!」
「て、天使ーーー! あなたも来ていたんですね。奇遇ですね。本当に偶然です。ここへは何をしに?」
「愛を伝えるためですよ。灯花さんは?」
「か……観光ですよ」
ミンティシアは灯花が悪魔ということを知らない。灯花は目を逸らしながら誤魔化した。
さて、天界の真の目的を探るにはこの天使についていなければならない。灯花は顔見知りとしてごく自然なことのように提案した。
「ここで会ったのも何かの縁ですし、一緒に島を回りませんか?」
「いいんですか? 灯花さんと一緒出来るなんて嬉しいです。一緒に愛について語り合いましょう!」
「ええ、愛についてね」
灯花は正樹の初恋の人だ。彼女と一緒出来るのはミンティシアにとっても僥倖であり渡りに船の事だった。
二人一緒に歩くことにする。歩きながら灯花は訊ねた。
「今日はあの女……優さんは一緒じゃ無いんですか?」
「はい、正樹さんの事とは別の使命で来ましたから」
「それは好都合……いえ、せっかくの機会ですし今日はわたしと一杯話しましょうね」
「はい、あたしも灯花さんと一杯喋りたいです!」
「フフ……」
灯花は内心でほくそ笑む。ここで天使を篭絡して味方に付けられれば優位に立てる。生意気な優にギャフンと言わせられると。
ここで会った出来事は持ち帰れないなんて設定など知る由も無かった。
今日は天気が良く、絶好の観光日和だ。
本当は観光が目的では無いのだが、歩き出したミンティシアと灯花の前に立ちはだかった者があった。青くてプルプルして円らな目をしたそれはスライムだ。スライムは挑戦してきた。
「トウカ! 俺はなぜかここへ召喚されたがまさかお前と会えるとはな! 今日こそ兄弟の無念を晴らしてやるぞ!」
「ええーーー」
灯花はいろいろあってスライムの恨みを買っていた。天使はよく分からずにポカンと見ているし、周囲の人達もそれぞれの観光の話題に花を咲かせていて構ってくれそうに無いので、
「はあ、何でわたしがこんなことを」
灯花は仕方なくスライムの元まで歩いていって、
「うお、やるのかトウカ。行っておくが俺には必殺技があってだな。発動に時間が掛かるのが欠点だが……うお、何をするトウカ! 正々堂々勝負しろ!」
「ここでじっとしててください、ね!」
スライムの頭をむんずと掴んで持ち上げ(これぐらいのことなら天使でも出来る)、それをすぐ傍にあったゴミ箱の中へと突っ込んで捨てた。
「良いんですか? 灯花さん」
「良いんです。ゴミなんですから」
再び天使と歩き出そうとする灯花。だが、スライムがゴミ箱から飛び出した!
「やってくれたな、トウカ! だが、これぐらいで決着を付けられると思うなよ! 俺の必殺技のチャージは今完成したぜ!」
「チッ」
灯花はもう面倒になってこのゴミを本当に片付けてしまおうと思ったが、その前に駆けつけてきた二人の少女がいた。
「スライム発見! 本当にいたよ、和音!」
「ええ、片付けるわよ、桜来」
桜来と和音だ。桜来は走りながら右手を前に出した。
「木の棒を召喚! おお、本当に出た」
「騒ぎになると面倒だから大がかりな物は出さない方がいいわね。火の玉を召喚。発射!」
覚えたばかりの冒険者のスキルによってスライムは燃やされ、叩きのめされたがまだ生きていた。
「俺のライフはまだ尽きないぜ!」
「えい! えい!」
「蹴った方が早いわね」
「うぎゃああああ!」
スライムは叩きのめされ、蹴られて消滅した。スライム退治の依頼達成である。
「ふう、何とか終わったね」
「後はギルドに報告に行くだけね」
立ち去ろうとする二人。見物していたミンティシアはハッと我に返った。この二人はきっと特別な存在だ。そんなオーラがあった。
ミンティシアは自分の使命を始めることにした。
素早く走って前に回り込んできた少女を桜来と和音は怪訝そうに見つめた。
ミンティシアはとても元気に挨拶した。彼女はとても活きの良い天使だった。
「初めまして、この島の人達。あたしは天使のミンティシア・シルヴェール! 愛を伝えに来た天使なの! 愛、していますか!?」
ウインクをして指でハートマークを作りながらの明るい少女の発言に桜来はちょっとポカンとしたが、すぐに自信を持って答えた。
隣の和音の体を抱き寄せて
「ええ、和音のこと愛してる!」
「ちょっと、桜来。まあ、好きか嫌いかで言ったら好きだけど。愛してるわね」
その答えにミンティシアはぱあっと満面の笑顔になった。この島には確かに愛があるのだと確信が持てた。
「これからもその愛を忘れずに育んで行ってくださいね!」
そして、天使の少女は両手を広げて友達のところに戻っていった。
見送って和音は静かに呟いた。
「あの子、何が言いたかったのかしら」
「さあ、きっと素晴らしい事だと思うよ。笑顔だったしね」
そうして桜来と和音も自分達の仕事を果たすために島の道を歩いて行った。
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