【5】夜明けと砂浜と赤富士と(前)

遠くから彼の声が聴こえる。


「はるさーん?朝だよ?起きてー?」


…いや違う、遠くではない。

すぐ近くから聴こえている。

枕元に置いていたスマホに手を伸ばし

時刻を確認すると…。


『…え?まだ4時じゃん…。稜さん今日休みだよね?お願い~!少しでいいからこっちにきて一緒にゴロゴロしよ?』


お願いされた彼は警戒しながらゆっくりと

こちらにやってくる。ベッドの縁に座った

彼の顔をみて手招きをしてみた。


「…なんだよ~、はるさん?」


笑いながら近づいてきた彼の首に手を回すと

思いっきり抱きつきキスをする。


『ねぇ、稜さん?もう少し一緒に寝よ?』


彼の体温を感じ耳元で、微睡みながら

少しこもった声で囁いてみた。


「もー、はるさん!何それ?可愛いすぎる!

何でそんなに可愛いのよ~?大好き!」


よし、かかったな!これでもう少し寝れる?

と思っていると、今日の彼は少し様子が違っていた。


「でもね、はるさん。もう行かなきゃ

間に合わないの!お願い、起きて?」


何に間に合わないのか…?

とにかく作戦は失敗してしまったようだ。

まさか…昨日の求婚を断ったから?

いや、そんなことを根にもつような

タイプではないはずだ。


とにかく早く準備をするように急かされた私は荷物をまとめると化粧もせずに部屋を後にした。前日に言われたわけでもなく、突然叩き起こされたというのに素直に従がっている寝起きのとてもいい私に感謝してもらいたいと思った。チェックアウトし、黙々と出発準備を進めている様子の稜さん。


「はるさん、目覚めのキスはいかがかな?」


『うん、目覚めてるからいらない。』


「もぉー、冷たいんだから?もしかして先ほどのこと怒ってます?ゴメンね?コーヒー買ってくるから少し待ってて!!」


ホテルを出発してすぐにあったコンビニで目覚めのコーヒーとサンドイッチを買ってきてくれたのでそろそろ機嫌をなおすとしますかね。

ホテルを出た頃には黒の割合が多かった空も少しだけ青みを帯びてきた。建物が多かった風景にも時折、海が飛び込んでくるようになり、カーナビを見ると目的地【三保の松原】まで後5分ほどで到着するようだ。

ナビゲーションの女性が目的地周辺ですと任務終了の合図を告げ車は、海のそばの駐車場に停車した。彼はエンジンを切ったというのに何故かハンドルを握ったまま動こうとしない。珍しく喋りもしない彼をじーっと見ていると突然


「はるさん、行くよ!!」


と大声を出し、急いで車を降りると

助手席側のドアを開けてくれた。

ゆっくりと車を降りた私の手を掴むと

松の木が生い茂る小道を通り砂浜へと

向かっていく。5分ほど歩いたところで

ようやく砂浜に足を踏み入れた。


「はるさん、もう少し向こうに移動する

けど、手はしっかり握っておくから歩き

ながらこっちの方角を見ててね?」


言われた方向を見ながら慣れない砂の上に

苦戦しつつ歩みを進める。


「よし、ここらへんかな~?」


彼が立ち止まった場所から見える風景。


左手に富士山のシルエットが見え、東の方角にある伊豆半島の稜線が橙色やカラシ色のグラデーションに照らされて浮かび上がってきている。空の高いところには後数分で見えなくなってしまうであろう懸命に輝く名もわからぬ星たち。稜線の色が濃くなると同時に富士山の半分が少しずつ赤く染まり始めた。


「はるさん見て!赤富士!」


富嶽三十六景の話を始める彼の話を半分聞きながら、分毎に姿を変えていく風景に見とれているとついに伊豆半島の稜線の彼方から、太陽が頭を出し始める。徐々に面積を広げ高く昇り出すと、刹那、完璧な赤富士が現れた。何て素晴らしい光景なのだろうか。この国に産まれてきたことを誇りに思い心から感謝したいような気分だった。

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