その4
俺は待合室に置かれたベンチの端に腰かけていた。
何となく居心地が悪い。
そりゃそうだろう。
助産院なんてところは、何といっても女性だけの場所である。
結婚もしたこともない、勿論女房も持ったことのない俺のような男にとっては、女風呂に押し込められたのと同じようなもんだからな。
俺は腕を組み、壁にかかっている大きな掛け時計とにらめっこをし、女性たちの目線を誤魔化していた。
午前中最後の診察が終わり、妊婦たちが全員帰ってしまった。誰もいなくなった待合室で、掛け時計を眺めていた俺に、
『お待たせしましてどうもすみません。先生は今診察室にいらっしゃいます』と、 さっきの彼女が俺に声をかけてくれた。
診察室は幾分クラシックではあったが、清潔で診察台などがきちんと整頓されている。
壁に沿って何枚かの感謝状や表彰状が掛けられているのが、数少ない色どりと言えばいえる。
その前のひじ掛け椅子に、一人の女性が腰かけていた。
かつて『女王様』と呼ばれた女性である。
こういう場合、
今更断るまでもないが、俺は私立探偵だ。
探偵たるもの、他人様にウソを伝えるわけにはゆかない。
俺の目の前の椅子に腰かけていたのは・・・・かつて『女王様』と呼ばれていた時と同じくらい、いや、それ以上に美しかった。
確かに都会的な流麗さや、若さと言う点からすれば比べ物にならないが、しかし、色白の肌。目尻や口元の小じわが、年相応の美しさに磨きをかけている。そんな感じだった。
俺はもう
訪問の目的を明らかにした。
彼女はかなり長い間(といっても五~六分程ではあったが)、さっきの若い女性が運んできてくれた紅茶を飲み、何も答えずじっと黙って考え込んでいた。
『むこうは、取材に応じてくれれば、それ相応のものを提供するといっているんですが』
嫌な言い回しだ。幾ら依頼を受けたとはいえ、こういう言葉は、まるっきり好きになれない。
彼女はほうっと息を吐き、そしてゆっくりと話し始めた。
『探偵さんなら、私の事、色々お調べになったでしょう?女王様、そう呼ばれていたのは知っています。自分の才能に溺れ、自分の為に世界が回っている・・・・いえ、冗談ではなく、本当にそう思っていたんですの』
『でも、貴方に才能があったのは事実でしょう?私も著書を幾つか拝見しましたが、それだけは確かだと・・・・』
『才能、ですか・・・・』彼女は紅茶をまた一口飲み、微笑む。
『私、あの世界を退いてから、本当に色々な世界を体験しましたの。そんな経験を積み重ねてゆくうちに、自分が如何に思い上がっていたかを知らされました』
別に気負った感じではない、あくまでも静かな口調だった。
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