昨日を見つめる日々
この子の病気は治らないんですか。
親は医師に訴えかけた。医師は静かに首を横に振った。残念ながら、と医師は首を横に振った。三十年は生きられますから、と励ましになっていない励ましをされた。
天使病を根絶せよ。
周囲はそう叫んだ。俺の住んでいた村の住民たちだった。優しくされていたが、恐怖には敵わなかったらしい。
天使病は感染する病ではない。
医師が大声で訴えかけるのを聞いた。
お前も感染したんじゃないか。だからそういうことを言って、庇うんじゃないか。
まずは医師が殺された。
親は俺を連れて逃げた。だから次に親が殺された。俺も殴りつけられて、頭から血を流した。
自ら殺そうと危害を加えたくせに、俺が血を流したのに恐れ慄いた彼らは、踵を返して逃げ去った。感染したくなかったからだ。
幼い俺はその状況を理解していた。親の死体の下敷きにされて、頭は朦朧としたまま、このままでは本当に死ぬかもしれない、ということも。
――いやだ。
白状しよう、笑うといい。その頃の、幼い俺の夢は、誰かと家庭を築くことだった。その頃の俺にとって、家族とは暖かく優しくて、だから、それ以外の誰かとも家族になりたかった。
幼くも拙い夢だった。きらきらと輝くだけの夢だった。
夢を叶えられないまま死にたくないと、思っていた。
そして俺はたまたまそこを通りかかった見世物小屋の人間たちに拾われた。
見世物小屋の人々は西方の出だったから、天使病の存在を知らなかったのだ。
親は助からなかった。すでに事切れていた。俺は頭を下げた。できることなら、親を埋葬してくれと、拙い言葉で訴えた。
恩人たちは快くそれを聞き入れて、そして、身寄りのなくなった俺を見世物小屋の一員として招き入れた。それはもちろん、翼を持つ俺は有用だから、というのはあっただろう。
思考は透けていたけれど、俺は何も言わなかった。
当然の話だ。恩人相手、それに、それを断ったとして、無力な子供がたった一人で何ができるというのか。天使病のタイムリミットよりも早く死ぬ未来があることを、俺は、本能的に察知していた。
捨てられないように慎重に行動しながら、徐々に、経験と知識を得ていく。
そうしてやがて理解する。
天使病が遺伝病だという意味。
俺は、俺の夢を叶えることができない。
天使病は伝染病だというデマは、東方には根強く残っている。幸い、見世物小屋の人々は俺の言うことを信用して、東方への興行をしないようになったから、それだけが救いだった。
そも天使病自体が滅多に見られない西方でなら、きっと、遺伝病に理解を示して、寄り添ってくれる人もいるかもしれない。
けれど、俺はそのために、俺の傷を晒せるとは思えなかった。仲良く過ごしていたはずの人々に裏切られ、手を差し伸べてくれた人は殺され、ぬるい死体の温度が冷めていくあの感触を。
とはいえ生は続く。
見世物小屋の家事手伝いをし、各地を巡り、よく舞台に立ち、日銭を稼ぐ。それだけを繰り返す日々。
その日も俺は舞台に立って、そのあと、街を巡っていた。翼を隠して、化粧を落として、街の人々と交流する。好印象であるよう努めた。たとえ天使病罹患者であることに気づかれたとしても、早々殺されたりしないように。
時折、今までの世界が一変した光景を、鮮明に思い出す。
一面赤に染まった世界が、だんだんと黒くなっていく。体内から流れ出た血の酸化。錆びていく。
同時に、心の一部も、血を流して、錆びていくような気がした。
涙は出ない。喪失を抱えて生きていく。微かな未来への希望に縋り付いて、その未来の絵図すら砕け散った。
特にどうとも思わない。ただ、錆びついた心が微かに軋むような気がした。
それだけだ。
たった、それだけだ。
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