君との明日を探して

「――」


 なにか、声が聞こえた気がした。


 怪訝に眉を顰めた俺は、路地裏に入る。微かに鼻につく血の匂い。あの日の赤が思い浮かんで、俺は少しだけ目を細めた。


 金髪の女が倒れていた。薄汚れたなりの女だった。地面は一面血だらけだった。

 震える手で、くしゃくしゃの赤子を抱えていた。赤子は生まれたてのように見えた。


 ぱちり、ぱちりと俺は目を瞬かせる。頭が回転する。女の様子を見るに、病院にかかる金もなく、安全に過ごすための家もなく、出産を迎えて力尽きようとしている――少なくとも、俺はそう判断した。

 女は、ふと、俺に気づいたようだった。落とさないように、首を支えた状態で、慎重に差し出されるのはその手に抱えていた赤子。


「誰でもいいわ」


 女は囁いた。


「本当に、誰だっていいの」


 顔は涙に濡れていて、それでも、笑みを浮かべていた。


「あの人の手が届かないほど、遠くに、この子を運んでくれるなら」


 ほとんど無意識だった。俺はその赤子に手を伸ばした。

 受け取ってしまった。


「その先で、この子を愛してくれる人がいるなら」


 女は赤子の額を血濡れた手でそっと撫でた。


「……名前は」


 俺は尋ねた。女は首を横に振った。


「わたしに、この子に名前をつける権利はない」


 女に何らかの事情があるのだろうことだけは理解できた。それしか理解できなかったともいう。

 俺は「そうか」と答えて、赤子を外套の中に抱え直した。この地域、季節は秋だ。裸では寒いだろう。赤子の身体には確かな熱が宿っていた。


「デイビス」


 俺はつぶやいた。


「ルーク・デイビス。愛されたものの息子。あるいは誰かの光」

「……ありがとう」


 べつに、俺はそう返す。

 赤子を覆った外套に触れて、女は小さな声で言った。


「愛してあげて、天使様」


 思わず笑ってしまった。


「天使様?」

「わたしにとっては、あなたが」

「俺はそんな大層なものじゃ、」


 そう言いかけて。

 いや、と俺は思い直した。


 要するに、この人は天使を必要としているのだ。俺のようなただの子供に縋るほど、この人は、天使を、そういうかたちの救いを必要としているのだ。


 だったら。

 だったら、なってやろうじゃないか。


 どうせ俺は、治らない遺伝病、天使病の罹患者だ。こんなにうってつけの運命も他にない。


 それに、一度は砕けた俺の夢を叶える存在が、この手のうちにある。

 まるで神様が誂えたかのようで。


 ――嫌われているとばかり思っていたが。


「……ああ、そうだな」


 俺は口角を引き上げた。


「安心しろよ。この子は――ルーク・デイビスは、天使たる俺が愛してやるさ」


 きっと、天使たる俺に愛されるこの子も、神様に愛されているのだろう。

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神様に愛されている 古海 皿 @OS-D

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