耳を澄ませたその先
戦争の音が聞こえる、と彼は言った。新聞に目を落としたままだった。俺は彼の背中に寄りかかりながら「どんな音だよ」と尋ねた。
「比喩だよ」
彼は答えた。新聞をぺらりとめくって、目を通している。
「ルーク・デイビス、覚えておくといい」
彼の細い指が新聞の文面を辿った。とん、と指先が紙面を叩く。
「新聞はいろいろ揃えておくことだ。国どころか、会社が違うだけで書いてあることがだいぶ変わる」
「たとえば?」
「たとえば、そうだな……」
俺は彼の背中に乗り上げるようにして、新聞を覗き込んだ。重いぞ、と笑いながら彼は新聞を広げ直した。
「この新聞の会社のスポンサーの元を辿れば、マルクス議員に行き着く。そういうわけで、マルクス議員の派閥にとって不利なことは書かない。だから、こっちと比べてみると……」
「……ほんとだ、全然違う」
「なかなか、面白いだろう?」
からからと笑いながら言った彼の言葉は、普通の子供には少し難しかったかもしれない。
あいにく、俺は普通よりも少しばかり賢い子供だった。事実として。
彼は、何気ないふうを装って、生きるに少し余計だが、賢く立ち回るには便利な術を俺に教えていた。きっと、俺が生きられるようにするためだった。
きっと、そのすべてが、俺がいつか自分の力で羽ばたくためのものだった。
もしかしたら、彼がいなくとも。
もともと小さい頃から、俺は兵器の強さに純粋に憧れていた。軍人の敬礼をみるのが好きだった。
軍服の図鑑を眺めて楽しんでいる俺を見て、彼は古着屋と雑貨屋を漁って、縫い合わせて、軍服に似た衣装をプレゼントしてくれたことがあった。成長期だったから一年も経たずに着られなくなったが、今でも捨てるに捨てられず、衣装箱の奥底に眠っている。
そんな俺が世情の見方を学んで、国における軍の機能、役割などを真の意味で理解するようになって、そうして軍人になりたいと思い始めるまでにそう時間はかからなかった。
「軍人、ね」
俺がそのことについて彼に訴えた際、彼は少し考えるそぶりを見せたが「いいんじゃないか」とあっさり頷いた。
あまりにもあっさりすぎて、俺が驚いたくらいだった。
「ほんとうに?」
「逆に、嘘言う必要あるか。ないだろ」
呆れたように彼は笑う。確かに、嘘を言う意味はないだろう。けれど。だって。
混乱のままに俺がつぶやくと、彼は「それともなんだ」と言葉を続けた。
「止めてもらいたかったのか?」
「違う」
考えるより先に口を衝いて出た。だろう、と彼は同意してみせる。違う、だって、俺は本当に軍人になりたいのだ。
けれどこのご時世、別に国には差し迫った危険もなく、むしろ軍事は忌避される。
もしも子供が軍人になりたいと言い出したならば、難色を示す人間の方が多い。だって、軍人という職業は危険だ。愛されている人間ほど、その道に進むことに反対される。
彼は俺の頭を撫でた。
「好きなように生きろよ。どうせ未来なんてわからない、好きなように生きた方が何かと得だろうさ。……大丈夫、お前は神様に愛されている。この世界の主人公は、お前だ」
歯を見せて笑う。
そうすると一段と幼く見えるのは、相変わらずのことだった。
「それに、天使の祝福もついているんだ」
彼が二十五、俺が十五のときだった。
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