死神の足音を聞いた
国に戦火が広がる。おぞましいほど美しい戦の気配。東の隣国との戦争が始まっていた。
軍人の俺たちはよく前線に駆り出され、戦場を駆け巡っていた。その日も、すでに戦火の灯る街に足を向けた。増援が必要であるとのことだった。
俺は誰にも気づかれないように、少しだけ、ほんの少しだけ、細く短く息を吐き出した。
仲間の誰にも話していないことがひとつあった。
その街は、つい先日、彼を含めた見世物小屋の人々が訪れたばかりの街であることを、俺は俺の心のうちだけに秘めていた。
パララララ、と銃声が鳴り響く。焔が燃え上がり、街を舐めるように焼き尽くそうと迫る。
俺たちは戦場を駆けて、敵を殺し、逃げ遅れた民を助け、そうしているうちにある情報が齎された。
――天使様が、我々を逃がそうとしてくれた。
血の気が引いた。
彼は賢い人であったから、すでに逃げていると、勝手にそう思っていた。
考えてみれば、当たり前の話だ。彼は人を愛する人なのだから、愛する人々が危険に晒されて、のうのうと逃げ延びるわけもなかったのだ。
「ルーク、まさか」
「……おそらくは彼だろうな」
ラファエルの言葉に、俺は努めて冷静に返した。声は震えていなかったはずだ。
「最後の連絡の所在地はこの街だった」
隣からもたらされる、心配を含んだ視線を敢えて無視する。私情を挟んでいる暇はない。
俺も、彼も、神様に愛されている。だったら、きっと、この試練も乗り越えられる。
そうだろうよ。
防空壕のある位置を民から教えられた。敵兵がいちばん多く、すでに取り囲まれているような位置だった。
だが、それだけだ。敵は侵入に手間取っている。
何故、と首を捻ったうち、一人が手を挙げて敵陣の視察を果たす。
血相を変えて帰ってきた。
――彼がいた。
いつもは隠している翼が服の隙間から覗いている。頭から血を流して、最後に会ったときよりもだいぶ細身になった彼は、それでも笑っていた。
「ルーク」
無意識に走り出そうとしていたらしい。腕を掴まれる。掴んだのは、この戦場が初陣のコリンだった。
「あれがルークの天使様?」
「……ああ、俺の、」
そこで俺は言葉を止めた。
コリンの表情は明らかに強ばっていた。
「なにが……?」
「――そこを退け!」
敵兵が叫ぶ。
「何故だよ」
軽やかな声が風に乗って響いた。
「俺を殺して、その屍を踏み越えていけばいい」
彼の嘲笑は初めて見た。
「そんなこともできないで、街を焼こうなどと……笑わせてくれる」
「うるさい! 穢らわしい病原菌が何を言ったところで……!」
「その病原菌に怯えてるくせして」
――病原菌?
ばさり、と彼が翼を大きく広げれば、敵兵たちは怯えたように後退った。同時に、コリンも思わずといったふうに一歩後退した。
コリンの唇が、震えて、言葉を紡ぐ。
「てんしびょう」
「俺を殺せよ! 俺を拘束しろ! 俺の屍を越えて行け! お前たちの無事は、保証はしないがな!」
高らかに彼は謳う。
まるでいつものように、舞台に立ち、観客たちを目の前にしているかのように、声を張り上げる。
「さあさあお立ち会い、こちらの男は世にも珍しい天使病という名の奇病の感染者でございます! その病気に感染すれば、肩甲骨は大きく歪み、肌を食い破って翼のような奇形を形成することでしょう! 年々翼は大きく、美しく成長し――そして宿主は代わりに、痩せ細り、弱り、やがて儚く死に行く病」
「は、」
彼の顔が歪む。どうやら笑ったようだった。苦痛に耐え忍んでいるようにも見えた。
「天使の
銃声が響いた。ラファエルの銃弾が、正確に敵の指揮官の頭を吹っ飛ばした証でもあった。
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