第4話 心構え

 武蔵霧導学園が新学期を迎えて約一ヵ月の月日が流れた。桜は散り新緑の候を迎える。冬の名残りでもあった肌寒さも形を潜め、ひとたび風が吹き抜けば心地よさを感じさせる暖かな気候だ。


 一方で集中力が著しく低下する時期でもある。新生活の環境に順応を始めて余裕が生まれた頃に春特有の気怠さが襲う。いわゆる五月病と呼ばれる症状である、そしてそれは社会人でも学生でも同じこと。


 武蔵霧導学園でも授業中に居眠りする生徒や集中力に欠けた生徒の姿が見受けられた。欠席者や授業をサボるといった重症者はいないが、戦闘訓練のカリキュラムがある霧導学園では僅かな気の緩みが大怪我に繋がる。そこで学園側は五月病対策としてクエストと称した特別授業をこの時期に始動するようにした。


 クエストとは学園の外に出没した霧の怪物を関連とした任務の総称だ。任務を発行するのは学園の他にも国軍や私設組織といった様々な組織が名を連ね、クエスト内容も討伐から調査に至るまで幅広い。学園生は任務を通じて実戦経験を積んでいく。


「つまり最悪は命を落とす可能性もあるということさ」


 一年生を限定とした集会で教壇に立った創は生徒に注意点を伝えた。対して生徒たちが見せる態度は様々だ。真剣な表情で耳を傾ける生徒もいれば、欠伸やよそ見など集中力が散漫とした生徒も多く見受けられる。なかでもひと際、目立ったのが談笑する生徒だ。周囲の迷惑や教官への礼儀などを無視した行為に待機していた教官と生徒会のメンバーが動く。談笑する生徒を囲むように立つと鋭い視線を落とした。談笑していた生徒は怯む様子を見せるも、口頭で注意されるだけだと高を括って態度を元に戻す。


 それが引鉄だった。教官と生徒会メンバーは談笑する生徒の襟元を掴んで持ち上げると、問答無用に教室の壁に放り投げた。その威力は凄まじく、まるで野球ボールを投げたかのような速度を保ったまま壁に衝突した生徒たちは痛みでその場から動けない。背中を打ち付けた者は呼吸もままならないようだ。


 ダメージが軽微で済んだ生徒は両手を膝に置いた姿勢で立ち上がると、教官と生徒会メンバーに怒声を浴びせた。


「うるさい」


 一人の女性教官が問答無用に怒声を浴びせた生徒の頭に拳を下ろした。拳骨程度に軽く振り下ろされたと思われた一撃は爆発物を使用したのかと疑いたくなる轟音を響かせた。無防備の状態で拳を頭に受けた生徒は全身から床に叩きつけられた。その威力は容易く意識を刈り取る程に強烈なものだった。


 女性教官の同僚が生徒の体を揺らす。


「あちゃー、完全に気絶してやがるわ。こりゃあダメだな……」


 白目を剥いた生徒の頬を何度か叩くも反応がないことから当分、目を覚ますことはないと結論を出した。それから生徒を気絶させた同僚に振り返る。


「あのなあー……少しは手加減しろよ。まだ実戦経験もないひよっ子だぞ? こいつらは」


 新入生たちを指差しながら呆れた表情で叱る。女性教官はばつの悪い顔をしながら新入生たちを見ると、事の顛末を見ていた新入生たちからは脅える様子がはっきりと伝わってきた。


(さて、どうしたものかしらね……)


 女性教官は今後の対応に悩む。気絶させるつもりはなかったと謝罪をするのは簡単だが、謝罪一つで生徒が納得しないだろう。何事も謝罪すれば解決できると勘違いされても生徒の為にはならない。


 ならば、と女性教官は覚悟を決めた。


「危機意識が足りないのよ」


 謝罪するのではなく、厳しい鬼教官を演じることにした。たとえこの選択で自分が嫌われ者になったとしても教え子たちが成長する契機になればいいと考えたのだ。


 女性教官は生徒たちに振り返り、胸の前で腕を組んで威圧感を増幅させる。


「いい、その耳をかっぽじって聞きなさい。学園は最大限に貴方たちの命を守る行動をするわ。でもね……実戦になれば絶対はない。私はもちろん、他の教官や先輩たちも命を落とすかもしれない。最強と謳われる学園長だって例外ではない――」


 女性教官は一呼吸を入れて再び話始める。


「戦場とはそういう場所なの。少しの油断が命取りになる。それが自分の命を落とすだけならばまだいい。だが一人の油断が他人を危機に陥らせる。

 いいか! 霧奏者と霧導者の役割は人類の剣と盾。我々が敗れるということは即ち人類の敗北であると自覚しろ!」


 女性教官の熱弁が終えると、講堂は静まり返った。生徒の顔を窺えば演説前にあった脅える表情は形を潜め、その代わりに引き締まった真剣な表情を浮かべていた。そこから女性教官の言葉を真摯に受け止めたことが分かる。


 熱弁を済ませた女性教官は静寂した講堂の空気に居た堪れない気持ちに襲われる。悟られないように毅然とした態度は保つも、内心は手助けを求める。その不安が視線という形で動きを見せた。


 視線にいち早く気づいたのは創だった。両手を打って音を鳴らす。パチン、と乾いた音が静寂を打ち破って全ての視線が創に集まった、


「――この様子だと東雲しののめ教官の言葉はしっかりと届いたようだ。

 東雲教官、ご指導の方ご苦労様でした」


 創は熱弁をした東雲に労いの声を送った。東雲は姿勢を正して頭を下げた。それは労いの言葉と救いの視線に応じてくれた感謝、それと一悶着を起こした事に対する謝罪を全て込めたものだ。


 創は再び生徒たちに視線を戻す。


「さて。言葉は心に届いた。だが実戦から学ぶことに勝るものがないのも事実だ。だから君たちにはこれからクエストを受けてもらう」


 生徒たちにどよめきが生まれた。本日はクエストの説明だけで終わると聞いていたからだ。


「君たちの先輩たちも経験してきた道だ。我々、教官陣も付き添うし、数あるクエストの中から新入生でも解決できる難易度を選んでいる」


 初陣に配慮したクエストであることに新入生たちは安堵の息を漏らす。それで気を緩めてしまうことを良しとしない創は警告する。


「難易度が低いと言えど実戦であることに違いはない。毎年、負傷者が出る危険は孕んでいる。過去には死者も出たことがあるほどだ」


 新入生たちの安堵した表情が凍り付く。死をイメージして顔面を蒼白にする者もいれば、全身を恐怖で震わせる者もいる。その様子を創を含む教官陣は観察していく。


(約半数といったところか……)


 創たちが観察した上で心境に変化を見せなかった新入生の数だ。例年より随分と多い。なかには実戦を既に経験した空気を纏う新入生も何人か確認できた。


(相当な粒ぞろい。果たして卒業までに何人生き残れるだろうか……)


 一指導者として若き者たちの将来を創は憂いながらも学園長として務めを果たすべくクエストの開始宣言をするのだった。


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