第348話 【真珠】『氷の王子』の父親は『炎の女』の配偶者
「克己さん、この度は本当に申し訳ありませんでした。いまお伝えする言葉ではないのかもしれませんが、直接謝る機会があって……良かった」
心底申し訳ないという態度で、謝罪の言葉を述べた貴志。
この場には現在、
…
先ほど、「紅子がここに来ているの?」と母が食らいついた時点で、わたしの背中に冷や汗が流れたのは想像に難くないだろう。
だが、わたしの日頃の行いが良かったことも手伝ったようで、次の瞬間──天の助けが舞い降りたのだ。
天の助け。それは──美容室の着付師のお姉さんだ。
祖母から内線連絡を受けた美容室側は、体調の悪い母の着替えを優先させるべく、一刻も早く母を迎え入れようと廊下にまで人を寄越してくれたのだ。
もともと母の着替えの予定がなかったことから、わたしが使用するはずだった個室に母が入り、現在着替えの最中だ。
ピンチを切り抜けはしたものの、貴志の態度に首を傾げる。
貴志よ。
お前は一体何をしたんだ!?
──なぜ、開口一番に克己氏に謝っているのだ?
意味不明だったわたしとは違って、克己氏はすぐにピンと来たのだろう。
苦笑しながらも貴志の肩に手を置き、頭を上げるように伝えている。
「ああ……もしかして、あの件のこと? そんなに気に病んでいたの? 僕はまったく気にしていないよ。まずは顔を上げようか──貴志くん?」
鷹司克己──晴夏と涼葉の父親で、紅子の夫である『TSUKASA』の現社長だ。
わたしのなかにある克己氏は、あの理香に色仕掛けをされ唇を奪われながらも、それを脱した理性の人という印象が強い。
その人物が、諭すような声音とともに温かな笑顔を貴志に向けた。
──んん?
貴志のお尻から犬の尻尾が生え、ブンブン振り回しているように見えるのは目の錯覚なのか。
いや──あのクールな貴志に限ってそれはないだろう。うん、気のせいだ。気のせい!
だが、鷹司克己氏に対して、貴志が懐いているように見えるのは、きっと間違いじゃない。
それもそうか。
幼き頃より、あの紅子から、貴志を守ってくれた謂わば防波堤役──それを考えれば、貴志が彼を慕う理由も納得できた。
おそらく、利害関係無しで頼れる人物なのだろう。
克己氏が口を開いた。
「電話でも謝ってくれたけど、貴志くんと紅ちゃんが……って、絶対にありえないでしょう? 貴志くん、小さい頃から紅ちゃんを苦手としていたし、それに何よりも純粋な紅ちゃんが、そんな真似をすることはないよ。彼女は家族大好き人間だからね」
最後は惚気が入っていたけれど、紅ちゃんと克己くんはお互いへの愛情を確かなものとしているのだろう。
周囲の言葉に惑わされることなく、互いを信じ合える伴侶に巡り会えた紅子を、心底羨ましいと思ったのは内緒だ。
一連の彼らの会話にて、先ほど貴志が頭を下げた理由が、例の『チェロ王子、柊紅子愛人疑惑』によるものだったことも判明した。
色々な事件が同時多発しすぎて、完全に失念していたのだが……そういえばそんな噂話が巷間に流れているのだったっけ。
その直後には、歌舞伎役者兼俳優の綾サマこと咲也との男色疑惑も加わり、更に今度は幼女との婚約騒動だ。
口さがない連中にとっては、格好のゴシップネタになることは間違いない。
わたしと出会ってしまったのが運の尽きなのだろうか。
家族との和解はできたけれど、おかしな噂がつきまとう状況に、貴志に対して申し訳なさを覚える。
──本当にすまん。
と、心の中で貴志に向かって手を合わせたわたしだ。
目の前の、克己氏に視線を向ける。
氷の王子──晴夏の父親だけあって、群を抜いた美貌の持ち主だ。
上品な仕草、柔和な笑顔。そのどれもが、見ているこちらの心を捉えて離さない。
人当たりの良い態度と口調は、彼の育ちの良さから醸し出されるものなのだろう。
多分この人は、根っからの人たらしだ。
あえて言葉にするならば人間的魅力に溢れた──カリスマ──とでも言うのだろうか。
そういえば、彼は学生時代に数々のコンペティションを総なめにしたバイオリニストでもあったことを思い出す。
ちなみに、乙女ゲーム『
この人は、どんな演奏をするのだろう。
その風貌から予想されるのは、温かで愛情に満ちた音色。
こんな時ではあるけれど、いつか克己氏の奏でるバイオリンの音を聴いてみたいなと思う。
「
──んん!?
貴志と誠一パパが、克己氏をここに呼んだということなのか?
そう言えば、昨日の晩、貴志が誠一パパに連絡を入れていたことを思い出す。
父は、母と祖母の着物セット一式を美容室に搬入する際、貴志と会っていたのだろう。
その頃わたしは、紫パープルやタックン紅ちゃん克己くんという、おかしな夢を見ていたと──そういうわけだ。
「貴志くんから連絡をもらったのは、理解できたんだけど、誠一くんも一緒と言うのも珍しいなと思って。だって、誠一くん、
克己氏は、心底不思議だ、という表情を見せた。
その言葉には勘繰りや棘のようなものは見当たらない。
ただ純粋な疑問を口にしただけなのだろう。
言葉に詰まった父が、なぜか兄とわたしに笑顔を向けた。
「穂高、しいちゃん、お耳をギュッて塞いでいようか?」
父の言葉を耳にした克己氏は何かを察したようで、晴夏と涼葉に笑いかける。
「ハル、スズ──今から父さまがいいよって言うまでの間、
涼葉は耳ではなく、なぜか口を塞ぎはじめた。
妹の勘違いに気づいた晴夏が慌てて訂正する。
「スズ、それは
晴夏は両手を耳に当てる姿を見せ、涼葉もそれに倣う。
兄も柔順に両耳をおさえ、わたしも三人と同じく耳をふさぐ……フリをした──勿論、二人の会話を聞くためだ。
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