第347話 【真珠】「なぜ、お前がここにいる!?」


「真珠? そろそろ行くぞ」


 貴志の声が聞こえ、振り向くと、目の前に手が差し出された。


「あれ? 結納は?」


 わたしの言葉を耳にした貴志が、眉間に皺を寄せた。


「何を言っているんだ? たったいま、終わったところだろう? 寝ぼけているのか?」


 いつの間にやら、結納は予定通り進行し、恙無く終了していた。

 早く終わらせようと誓いはしたが、記憶を飛ばすほどの勢いで完遂するとは思っていなかった。


 まずい──何も覚えていない。

 式の最中、自分がどうやって動いていたのか、それさえも思い出せない。


 混乱の渦中で心ここにあらずだったとはいえ、結納中の意識がスッポリ抜け落ちていたことに愕然とする。


 何か粗相でもしていないだろうかと焦ったものの、祖父母と藤ノ宮ご夫妻からは「幼いのに良く頑張った」というお褒めの言葉を頂戴した。


 恥ずかしながら、まったく記憶にございません状態ではあるけれど、それなりのことはこなせたのだろう──とは言っても、周囲の手助けがあったからこそ、なんとかなったのだと思われる。


 まあ、それもそうだろう。

 この身体は、悲しいくらいにチビッ子だ。


 新婦という主役級の扱いで臨んだ婚約式ではあるが、周囲にいる人間から「この子は、これが何を意味しているのかさえわかっていないのだろうな」と、軽く憐んで見られるくらいには幼い外見をしているのだから。



 いや、実際のところ、心底気の毒にと思われているのはわたしではない。

 間違いなく、貴志の方だ。


 見目麗しいだけではなく優秀。加えて資産家とくれば、引く手あまたのモテ人生を爆進できるはずだった彼。


 それなのに、期間限定とは言うものの、こんなに若い身空で幼女相手にすべてを捧げる約束を交わすことになってしまったのだ。


 ここから前途揚々たる人生を歩む予定が、対外的にも男女交際の自由を縛られることにもなる。

 残念なことに周囲の人間からは、彼の身に突然降りかかった悲劇と認識されていても、おかしくはない。



 貴志よ。

 お主は今、第三者的視点から見ると『突如不幸に見舞われた御曹司』になっているはずだ。絶対に。


 薄幸の美青年か。

 なんだか、その二つ名に絆されて群がってくる女性もいそうで少し心配だ。



 いやいや、そんなことよりも!

 今のわたしには、恋愛脳に染まっている余裕もないのだった。


 もっと気にかけなくてはいけないことが、目の前に横たわっているのだから。



 わたしはチラリと美沙子ママを視界に入れる。

 母の顔色は、相変わらず良くない。



 貴志の手を引っ張りながら、いそいそと母の元に向かって歩く。


「お母さま。この後は藤ノ宮ご夫妻を交えての会食と聞いています。その前に、わたしと一緒に美容室に戻って、着物から洋服に着替えませんか?」


 わたしは昼食前に、和装から洋装へ着替えることが決まっている。

 子供ゆえ、食事中に着物を汚すだろうとの判断が下され、晴れ着が惨事に見舞われるであろう事態を未然に防ぐため、前もって組み込まれていたお着替えタイムだ。

 これを母にも活用してもらおうと、一緒に美容室に行って着替えようと誘ってみたのだ。


 格式高いホテルへやってくるために、母が自宅から着ていたワンピースも素敵なデザインだった。

 そのことを思い出したわたしは、あの格好ならば失礼にはならないだろうと提案してみたのだ。


 母の体調がこれ以上悪化し、万が一にも葵衣をこの場に呼ばれるのは困る。

 だが、そんな思惑以前に、やはり妊娠初期の母の身体が心配だった。


 お節介かもしれないが、普段着慣れていない和服より、いつもと変わらぬ洋服になった方が身体自体も楽だろうと思ってのこと。


 母本人は「大丈夫よ」と口にしたたけれど、誠一パパと祖父母、それから藤ノ宮ご夫妻にも着替えを勧められ、美沙子ママも一緒に美容室へ戻ることになった。


 会食までの間、藤ノ宮夫妻は祖父母がもてなす役割を引き受けてくれた。


 わたしはホテルの廊下を貴志に抱き上げられたまま移動する。

 本来であれば、貴志は祖父母と一緒に残り、父がわたしを美容室に連れて行くれるはずだったのたが、母の体調の件により予定変更になったのだ。


 今日に限っては、父が最も気を配る相手は、体調不良の身重の母。

 父は母を支えるようにして歩き、母も父を頼るようにして寄り添っている──ように見えるのだが、なんとなく二人の様子がおかしいことにも気づく。


 わたしの預かり知らぬところで、何かあったのだろうか?


 兄はそんな両親を気遣わしげに見上げながら彼らの隣を歩き、わたしたちは家族総出で美容室へ向かった。



 エレベーターを降りると、目の前にはレンタルドレス用の店舗が現れた。

 ショーウィンドウにはウェディングドレスやカクテルドレスが飾られ、花嫁向けの衣装がディスプレイされている様子はとても華やかだ。


 そのショーウィンドウの前に、目を引くひとりの男性の姿を認める。

 中腰になって、その奥にいる小さな子供と話し込んでいるのか、楽しそうな笑い声が廊下に響く。


 子供の姿は男性に隠れて見えないけれど、薄紅色の服が見えたので、もしかしたら父娘で花嫁衣装のドレスを見ながら会話中なのかもしれない。


 わたしたちが美容室に向かって歩き、その父娘連れに近づくにつれ、少女の顔がハッキリと見えた。


「──あれ!?」


 わたしが驚きに声をあげると、貴志と両親、それから兄がわたしの視線の先を追った。


 同時に、その少女もこちらに反応する。


「あれ!? シィちゃん!? 父さま、シィちゃんよ──ハルちゃん、あそこ見て! シィちゃん、昔のお姫様みたい!」


 少女──鷹司涼葉すずはは、雛菊のような可愛らしい笑顔を見せた。


「やっぱり、スズちゃん!? あ! ハルもいた!」


 晴夏は父親と思しき人物の隣にいた。

 どうやらこちらからは死角になっている位置に立っていたので、目に入らなかったようだ。



「あらっ 克己かつみくん? あなた……どうしてこんなところにいるのよ」

「なぜお前が、今、ここにいるんだ!?」


 母が首を傾げ、父の機嫌はなぜか急降下だ。


 両親共に、晴夏と涼葉の父親と旧知の仲なのだろうか?


 紅子の夫だから、母と克己氏が顔見知りなのは分かる。

 そういえば今朝方見た夢の中でも、母と紅子、それから克己氏は幼馴染みのような関係だった。


 けれど、父も彼と知り合いであるかのような態度を見せたのが不思議だったのだ。

 母の友人である紅子。その夫という関係だけで、夫婦揃っての付き合いがあるとは到底思えない。


 いや──普通の夫婦であれば、仲の良い妻同士の関係から、家族ぐるみでの付き合いがあったとしてもおかしくはない。

 だが、月ヶ瀬家の若夫婦に関して、それは当てはまらない。

 なぜなら、彼らはここ五年以上に渡って、仮面夫婦のような間柄だったから。


「美沙ちゃん、誠一くん、久しぶりだね。紅ちゃんを送ってきたあと、待ち合わせまで時間もあって……娘もお嫁さんの着るドレスを見たいと言っていたからホテルの中を探検しながら散歩をしていたんだ。ここで会うとは思いもよらなかったよ」



「──待って。紅子が来ているの? ここに?」



 母が克己氏の「紅ちゃん」という言葉に食いついた。





【後書き】


■克己、登場です■

ちなみに執筆2周年記念で執筆した完結作

『くれなゐの初花染めの色深く』

〜僕が恋と気づくまで、君が恋に落ちるまで〜

の主人公であります。(カクヨム未転載)

https://ncode.syosetu.com/n1747hc/

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