第346話 【真珠】「謎はすべて解けた!」とか言ってる場合じゃない!
洋風造りのホテルだが、小さめの和室や宴会ができる大きな座敷も複数あり、さまざまな用途に対応できるよう設備が整えられているとのこと。
ホテルスタッフより、祖父母が先に会場へ入ったとの連絡を受け、わたしは両親と兄、それから貴志と一緒にその部屋へ向かうことになった。
廊下を歩く道すがら、貴志は誠一パパから今日の進行上の変更点を告げられているようだ。
今回の結納の体裁を保つために、祖父の古くからの友人ご夫妻が急遽仲人を買ってくれ、現在祖父母がそのお二方をもてなしているらしい。
仲人?
──もしかして、その人が祖父の言っていた『真珠』が真似っ子遊びをしていたという有名人?
モノマネ遊びといえば、芸人?
いや、それとも女優……なのだろうか?
でも、コントはおろか演技の真似をした覚えすら『真珠』の記憶の中には一切ない。
祖父の勘違いなのだろうか──と、わたしは更に首を傾げた。
座敷へ足を踏み入れた瞬間、大人たちの間に、目には見えない緊張感が走った……ような気がした。
わたしは不思議に思いながらも、部屋の中央で祖父母と共に談笑する初老のご夫妻の姿を視界に入れる。
そのお二方から滲みでる気品に、わたしは思わず息を呑んだ。
おそらく
粗相のないよう行動しなければと、自ずと気合いも入る。
──あれ?
じゃあ、ご褒美の有名人は、また別にいるってこと?
ひとつ謎に近づいたと思っていたのだが、またその答えから遠のいてしまったようだ。
──ん?
ちょっと、待って!
よく見ると、その男性の姿には見覚えがあるような?
んんんんん!?
その直後──『真珠』の記憶と、とあるテレビの映像が重なり、わたしの脳天目掛けて激しい電撃が走り抜けた。
それは、ものすごい衝撃だった。
今まで点と点でしかなかった謎たちが、ビリビリと振動しながら力技で束ねられ、ひとつの答えに結びつけられたのだ。
──貴志から教えてもらった、祖父からの『ご褒美』の言付け。
──少し前に出会った藤ノ宮紫織が口にした謎の言葉の数々。
そのすべてが収束した先にいたのは、目の前の初老の男性。その存在に向かって一直線に伸びた線が、あっさりと正答を導きだしてしまったのだ。
こ……これは……非常にマズい。
『ナゾはすべて解けた!』
とか、言っている場合でもない。
激しい動悸に見舞われながら、わたしは母と貴志の様子を盗み見た。
朝からの体調不良も重なり、胸元をおさえながら必死に笑顔を保つ美沙子ママ。顔色がますます悪くなっている気がするのは、気のせいじゃない!
母を気遣う誠一パパは、なぜかいつもよりも母への対応が丁重だ。
瞠目する貴志に至っては、一言も無く、呼吸すら忘れて茫然自失状態だ。
それもそうだろう。
昨夜、紅子からの忠告を受け、お互いに鉢合わせしないようにと細心の注意を払っていたのに、そのすべてをぶち壊しにされたも同然の状況が目の前に広がっていたのだから。
使い物にならなくなった大人たちの中で、詳細を知らない穂高兄さまだけが母のために動き出す。
「美沙子さん、大丈夫ですか? 飲み物……必要ですよね? 僕、お水を買いに行ってきます」
そう言って、兄が結納を執り行う部屋を飛び出していこうとしたとき──室内に足を踏み入れた新たな人物が兄と衝突した。
「うわっ……あの──申し訳ありませんっ 僕、前を見ていなくて」
兄が謝罪の言葉を告げ、勢いよく頭を下げる。
「いや、こちらこそ失礼しました。君は……穂高くん……なのかな? そんなに慌てて、どうしたの?」
兄に声をかけた男性が着用しているのは、黒いスーツに空色のネクタイ。眼鏡をかけた生真面目な表情の男性は、心配そうな声で兄に問いかけた。
そう、この部屋に現れたのは──先ほど会ったばかりの、藤ノ宮
紫織に対して、一瞬だけ警戒心をあらわにした兄。
けれど、この室内に入れる人間ということはホテル──もしくは、結納の関係者だと即座に判断したのだろう。
すぐに態度を軟化させた兄は、部屋から飛び出して行こうとした理由を、紫織へ伝えはじめる。
「あの、美沙子さ……母に水を。少し具合が悪いようで……
兄の言葉を受け、紫織が廊下に出ようとしたのだが、タイミング悪く──部屋の中央から彼を呼ぶ声が届いた。
「紫織──そちらの準備は終わったようだな。ご苦労だった。さあ、式の前にお前も一度、月ヶ瀬会長に挨拶しておきなさい」
威厳のある声の主──それは、現内閣官房長官である政治家の藤ノ宮喜助氏のもの。つまり、久我山葵衣の実父が、この場にいることを意味しているのだ。
祖父がわたしの姿を見つけて、好々爺の表情になり「真珠、こっちにおいで」と手招きする。
わたしは困惑しつつも、これが祖父の言う『ご褒美』である可能性にも気づき、身体の震えが止まらない。
一向に歩き出さないわたしの手を取った貴志が、祖父の元へ連れて行く。
「藤ノ宮先生、わたしの孫で今日の結納の新婦役になる真珠です──真珠、お前がよく真似をして遊んでいただろう?──新元号発表のときに、あの額縁を持っていた藤ノ宮先生ご本人だ。お会いできて嬉しいだろう?」
真似──したつもりはなかった。のだが、確かに……遊んでいた。
でもまさか、額縁を持って新元号を披露するアレをモノマネと思われていたなんて、誰が想像できるというのか!
あの記者会見の『ごっこ遊び』をすると、祖父母と木嶋さんが「おお!」「あらあら」「とっても素敵ですよ」と拍手をしながら褒めそやしてくれたのだ。
なんだか偉くなった気分で楽しいな、とも正直思っていたけれど、喜ぶ三人の顔を見るのが嬉しかったからこそ続けた遊びだった。
幼い『
まさかそれが、この場でご褒美という名の罰ゲームになって返ってくることになるなんて──人生、何が起こるのか、まったくわからん!
それにしても、孫へのご褒美に大物政治家先生を呼んでしまうお祖父さまって一体ナニモノ!?──と、斜め上の対応に開いた口が塞がらない。
いや……完全に忘れていたが、そういえば祖父だって、日本の経済界を背負って立つ傑物と言われていることをやっとのことで思い出す。
……普段とのギャップのあり過ぎる祖父の二つ名に、わたしの心がついていかない。
「は……はじめまして。月ヶ瀬真珠と申します。ほ……本日は、仲人を買ってくださり……ま……誠に、ありがとう……ございます……」
蚊の鳴くような声で、必死に声を絞り出し、藤ノ宮夫妻に挨拶するが、心は軽くパニック状態。
礼儀正しく挨拶したわたしに対して、ご夫妻からはなにやらお褒めの言葉を頂戴していたようだが、わたしの耳にその内容は届いていない。
なぜならば、美沙子ママのいるこの場で、葵衣の名前が出ないことだけを必死に祈っていたからだ。
名前は出ていない──けれど、既に母の心には、葵衣が想起されていると考えておいたほうがいいだろう。
わたしは顔面蒼白になり、吐き気さえ催す始末。
微動だにできずにいたわたしは、流されるようにしてお祖父さまの膝の上に座ることになった。
貴志はその隣に控えると、今度は祖父が貴志の紹介を始めたことだけは、彼らの身振り手振りで理解できた。
ひと通りの挨拶が済むと、各界の重鎮──いや、海千山千の老獪二人は、突然ワハハハハッと豪快に笑いはじめた。
「まったく……やめてくれよ、
「それを言うなら、
政界のドンこと藤ノ宮喜助と、財界の
だから、突然の結納に関わらず、大先生たる喜助氏がすんなりと仲人役に名乗りをあげてくれたのだろう。友人特権とでも言うのだろうか。
紫織がわたしの名前を知っていた理由──それは、この結納に関わる情報を事前に入手していたから。
別れ際に「また後ほど」と貴志に声を掛けたのは、紫織自身がこの場で再会することを予め知っていたから。
渦巻く疑問の答えを、この場で全問正解してしまったわたしは、必死になってこの危機を脱する妙案を探しつづけた。のだが、あまりの衝撃を受けた脳ミソは、何ひとつ良い考えを生み出してくれない。
紫織のその様子から、そうと悟られないよう手短に挨拶を終わらせ、母を気遣ってくれた様子が伝わった。
祖父母と共に藤ノ宮夫妻が美沙子ママを心配するが、母は気丈にも微笑みを見せ「悪阻の一種なので、お気になさらず」と言って背筋を正す。けれど顔色が悪いのは一目瞭然だ。
喜助氏が囁くような声量で、紫織に耳打ちする。
「葵衣は、そろそろホテルに着く頃だろう? もし美沙子さんの具合が悪くなるようなら、葵衣に
紫織は一瞬の
紫織のその様子から、もしかしたら彼は──葵衣と美沙子ママの間にあった過去のトラブルについて、何か聞き及んでいるのではないかと、察したわたしだ。
貴志も紫織の様子を事細かに追っていたため、おそらくそのことに気づいたのだろう。
貴志は神妙な顔を見せると、顎に手を当て、静かに頷いていた。
──あれ?
でも、待って?
葵衣に診てもらうってどういうこと?
いやいやいや。
なんだかよくわからない理由ではあるが、それだけは絶対にダメだ!
美沙子ママと葵衣を会わせてはいけない。
だから母の具合が悪化する前に、なんとしてでも自宅に戻らなければ!
ここで本日、わたしに課せられた有り難くない任務が判明だ。
ひとつ──愚図らず、
ひとつ──何がなんでも、一刻も早くこのホテルから離れること。
己が全うせねばならぬ使命は、絶対ゼッタイこのふたつで間違いない!
悲しい哉──どうやらわたしには、昨日に引き続き、平穏とは縁遠い一日が待ち受けているようだ。
……泣きたい。
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