第344話 【真珠】紫の『ゆかり』?

【クローンサイトの件もありましたが、落ち着いてきたようなので公開&更新を再開いたします。お待ちいただいた皆さまに感謝申し上げます。ありがとうございました。2021年9月20日 青羽根 深桜】



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 貴志の部屋へと移動中、誰かがこちらに向かって走ってくる音が聞こえた。


「あの──すみません! 月ヶ瀬……いや、葛城貴志くん……ですよね?」


 廊下の後方から、自分の名前を呼ばれたことに気づいた貴志は、わたしを抱えたまま振り返った。


 手をあげて駆け寄る男性は、先ほど美容室の入り口ですれ違った人物だった。


 ──貴志を追いかけてきたの?

 やはり知り合いなのだろうか。


 首を傾げて貴志の表情を確認したところ、貴志自身も何が起きているのかまったく理解できていないように見える。


 それにしても、この男性。

 貴志の子供の頃の本名──月ヶ瀬貴志──を、口にしかけたことが気になった。


 なぜ、そんなレアな名前を知っているのだろうと、頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。


 二十代半ばに見えるこの男性──猛暑の最中さなかだというのに黒いスーツをピシッと着こなし、張りのある白いワイシャツと空色のネクタイには清潔感が漂っている。

 掛けているメガネの印象から、少し神経質そうにも見えるのだが、その立ち居振る舞いには隙がない。


 いかにも真面目クンといった風貌で、おそらくお堅い職業に就いているだろうことが想像できた。


「なぜ、わたしの名前を? 大変失礼ですが……どこかでお会いしたことがありましたか?」


 貴志の声は少し遠慮がちで、困惑しているようだ。

 その男性に向けて、訝しげな眼差しを送っている。


 わたしを抱き上げる腕の力が強くなり、額近くの匂いを彼が即座に確認したことにも気づく。

 不自然にならない程度の動きで、念の為わたしに『聖水』が振り掛けられているのか確かめたのだろう。


 『聖水』の放つ微香を捉えた貴志は、男性に対する警戒の態度を幾分和らげたように見えた。


「ああ、これは突然申し訳ない。美容室の入り口で『葛城』と『月ヶ瀬』の名前を耳にして、私もやっと気づいたくらいで……だから、貴志くんが私を覚えていなくても何の不思議はないんだ。大きくなったね……いや、それはお互い様かな?」


 その男の人はそれだけ言うと、胸ポケットから名刺入れを取り出して、その中の一枚を貴志に手渡した。


 その仕草は洗練され、メガネの奥に見える瞳には穏やかな光が宿る。


 礼儀正しい所作に優しげな口調。そこに美青年という項目が加われば、その好感度も自ずと上がる。



 貴志の手に渡ったその名刺を覗き込んだわたしは、書かれていた名前を読み上げた。


「──藤ノ宮……紫織しおり?」


 わたしの声を耳にした男性の動きが、なぜかピシリと固まった。


 ──どうしたのだろう?


 そう思った次の瞬間、男性は声の調子と態度を突然変えた。

 その豹変ぶりは、まるで『ジキルとハイド』だ。


 男性の喉から出された声は、地獄の底から響くような剣呑としたもの──先ほど見せた瞳の柔和さは、微塵もない。


「シオリと呼ぶな──くそガキ……むらさきを織ると書いて『ゆかり』と読むんだ」


 へ!?


 な……っ

 な……!?

 なんだコイツは!!!


 二重人格なのか!?


 180度ガラリと変わったその態度に、わたしは目を剥いた。


 『紫織と書いてユカリおとこ』は、先ほどの礼儀正しい態度を自ら殲滅しつくし、地獄の番犬ケルベロスのような眼光で威圧してくる。


 本物のケルベロスなんて見たことはないけれど、実在するとしたら、きっとこんな凶悪な目をしているに違いない。絶対だ!


 コイツは今──可愛いお子様のわたしを捕まえて、糞ガキと口にしたのだ。

 その態度の変化にも驚愕したが、初対面で罵られたことにも茫然としてしまう。


 深く関わってはイカン!

 頭のおかしい人なのかもしれない。


 だから文句を言ってはいけないし、聞かなかったふりをしよう。万が一、言い返して逆上されたが最後。こんなホテルの廊下で、凶行に走られでもしたら大変厄介だ。


 貴志の警戒警報も再び発令され、身構える動きがわたしの身体に伝わる。


 わたしと貴志の間に、ものすごい緊張感が膨れ上がった瞬間──その男性はハッとしたように息を呑み、顔面蒼白になった。


 慌てたように頭を下げ、今度は平謝りが開始された。


「わたしは……っ 幼気いたいけなお嬢さんに対して、なんということを! もっ……申し訳ありません。まさか、がここで発動するなんて……っ 失礼な態度をとってしまい、大変、大変、申し訳ありませんでした」


 今にも土下座をしそうな勢いで、謝罪し続ける男性を唖然としながら凝視する。


 こ……これは──マジもんの『ジキルとハイド』か!?


 わたしは貴志とその『ユカリ男』を交互に視界に入れた。



 貴志!

 貴志よ。


 変な男が出現したぞ!

 一刻も早く、この場から立ち去ったほうがいい!


 いや、一も二もなく、即刻逃げるべきだ!!!


 何をしている。貴志よ!


 なぜ、『一目散に逃げる』のコマンドを即時選択しないのだ!



 いや?

 まさか──怖くて足が竦んでいるのか!?


 ならば、わたしが貴志を守ってやらねば!



 そんな思いを込めて、わたしは彼の首にギュッと抱きついたけれど、貴志は眉間に皺を寄せ、名刺を見ながら何事かをブツブツ呟いている。


「紫に織るで『ゆかり』……苗字は──藤ノ宮……? 内閣官房長官付、首席私設秘書?」


 藤ノ宮は、久我山葵衣の旧姓だ。

 内閣官房長官は、葵衣の実父──藤ノ宮喜助きすけ氏。


 昨夜の貴志の話と、夢の中の出来事が突然結びつく。


 『音楽戦隊ウィンディーズ』と『弦楽戦隊ストリンガーズ』のトンデモ話がフラッシュバックし、わたしは唐突に声をあげた。



「あ!──ゆかりパープルだ!」



 そう──月ヶ瀬家に時々現れ、貴志が一緒に遊んでいた正体不明の年上の少年。


 たしか──ゆかりパープルだったはずだ。


 紅レッドの紅子。

 青いブルーの葵衣。

 ミサミサ姫の美沙子ママに、克己シルバー。


 そこに貴志のブラックが加わり、戦隊ヒーローごっこをしていたと聞いたのは貴志からだったか?


 ん?

 夢の中の話も混じっている?


 どこまでが実話で、どこからが夢だったのか、思い出せない。


 だが、わたしの考えと、貴志が自分で導き出した答えも一致したのだろう。

 彼は、驚きに目を見張っている。


「まさか──ユカ……? ユカ君、なのか!?」


「そうだよ、タックン。ユカだ! 覚えていてくれて、嬉しいよ!」



 『ユカリ男』改め──藤ノ宮紫織ゆかり



 この見目よい男性は、貴志に自分の右手を差し出した。


 貴志がその手を取って握手を交わすと、紫織はその輝くばかりの笑顔を惜しげもなく披露した。


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