第341話 【閑話・真珠】夢か現(うつつ)か?


 大人姿の貴志が、心配そうな表情でわたしの顔を覗き込んでいた。


 汗がにじんだわたしの額に、彼がハンドタオルを当てる。

 夢の中では触ることも、気温さえも感じなかったけれど、今はすべての感覚が戻っていることにも気づく。


 貴志に手を伸ばし、手を繋いでもらったことで、現実の世界に戻ってきたのだと実感できた。

 安堵した心が身体の緊張をほどき、ホゥと息をもらす。


「怖い夢を、見た……」


 ドキドキと脈打つ心臓を抑えながら力なく笑うと、なぜか貴志が謝罪の言葉を口にする。


「すまない。寝る直前におかしな話を聞かせたから、そのせいで怖い夢を見たんだろう。本当に……悪かった」



 ああ、そうだ。

 目覚めたことで、夢の中では回顧できずにいた貴志の昔語りの内容を、やっと思い出すことができた。


 寝入る直前に聞いた貴志の子供時代の体験談は、不思議現象及びに奇妙な出来事が入り混じった衝撃的な内容だった。


          …


 それは、貴志の幼少のみぎり──ある冬の日に現れた幽霊の話。


 幽霊といえば夏の風物詩だと思っていたわたしは、季節外れの幽霊騒動とは珍妙な、と思いながら話を聞いていた。


 玄関で幽霊とおぼしき存在と目が合ったという貴志。

 ソレが何であるのか理解できないほど幼かった彼は、見知らぬ人間が自宅の敷地内にいることを不思議に思ったそうだ。


 突然、話しかけられたような気がして振り向いたのだが、そのとき周囲にいた人間は、目の前に現れたソレの存在にまったく気づいていない。


 不審に思った貴志は返答せず、気にはなるものの見えないふりを続けたという。

 曰く、両親からの「見知らぬ人と話をしてはいけません」という教えを、しっかり守ったつもりだったようだ。


 だが、ソレはその後、家の中にも現れた。


 場所は二階。

 シャワールームの扉にスルリと消えていく人影を目にした貴志は恐怖を覚え、慌てて階段を駆け下り、人間のいる場所に逃げ込んだらしい。


 それ以来、夜中はひとりでトイレにも行けず、誰かと一緒でないと眠れない日々が続いた、と貴志。

 それ故、祖母や木嶋さんに泣きついては、一緒に休んでもらっていたのだと彼はこぼしていた。


 この幽霊、どうやら家の中を縦横無尽に動き回っていたようで、「音楽ルームの壁からニュッと現れたときは、心臓が止まるかと思うほど驚いた」と、貴志は語り続けた。


 その場面を想像するだけでも相当コワイ。


 壁から得体のしれないものが突然湧き出てくる状況だけでも恐怖なのに、ましてや、それが人型をしていたのなら、ホラーでしかないだろう。

 世にも恐ろしいそんな事案が月ヶ瀬家邸内で発生していたなんて、予想さえできなかったわたしだ。


 しかもその幽霊、最後は不自然な動きで首を回転させたあと、鬼のような形相で貴志のほうに突進してきたと言うではないか!

 まるでエクソシストやポルターガイストという往年の映画にも通ずる恐怖シーンに、わたしの顔は青褪めた。


 映画で見てもトラウマになる程の威力があるというのに、それを実体験していたなんて、まさしく身の毛もよだつ恐怖。想像するだけで身体が震え上がってしまう。


 自宅で心霊現象に遭遇してしまったら、わたしだって一人では眠れない──というか、どうしよう!

 たった今、わたしは大変な事実に気づいてしまった!


 明日、家に戻ったら、わたしがその幽霊と鉢合わせする可能性だってあるのだ。


 そんな事態を想像するだけで、心底恐ろしくて涙目になる。


 よし。明日の晩は、誠一パパのベッドに潜り込もう!


 あんなに嫌がっていた父との触れ合いも、一旦ハードルを超えてしまえば何の問題も感じなくなるという、この不思議。

 しかも、幽霊から守ってもらえるならば、喜び勇んで父の胸に飛び込もうではないか!


 いや? ちょっと待て。

 そう言えば、その幽霊に一度会って、話をつける必要があったことも思い出す。


 そうなのだ──「貴志は渡さない」と、宣戦布告しなければならないのだ。


 なんと、その幽霊。

 けしからんことに、花嫁衣装着用の上で、幼い貴志の目の前に現れたらしい。そして、出会い頭に『わたしはお前の花嫁だ』と、彼に伝えたというではないか!


 幽霊にも好かれるとは、貴志の魅力オソルベシ──と、話を聞いたときは慄いたのだが、どうやらわたしは、人間の女性だけでなく、人外の存在とも、彼を巡って戦わねばならぬようだ。


 もう、乾いた笑いしか出てこない。



「今のお前よりも小さい頃のことだったから、俺の記憶も不確かではあるんだ。紅からされた悪戯と重なって、完全に紅のせいだと思い違いもしていたしな。その日以降、ソレに出くわすことはなかったから、もしかしたら幻覚のたぐいだったのかもしれない……」


 貴志は自分の記憶を再び確かめているのだろう。どこか遠くを見るような眼差しになっている。


 幼かった彼は、あまりの恐ろしさに『忌まわしい記憶』として、心の奥底にその恐怖体験を封印していたのだろう──自分の心の平穏を保つために。


 ──本当に、可哀相に。


「あとで紅に『ひとりで眠れなかった』と責めたことを、謝らないといけないな。どちらかというと、紅には感謝するべきこともあったんだ」


 貴志は頭に手を当て、複雑な表情を見せる。


「感謝? 何かあったの?」


 紅子に感謝するという科白が、貴志の口から飛び出したことに驚き、わたしはすぐさま折り返すように訊ねた。


「ああ……俺がチェロを選んだきっかけは、紅のその悪戯から始まったんだ。楽器を習い始めてからは弾く楽しさのほうがまさって、練習するに至った当初の目的自体を忘れてしまったんだろうな。そのきっかけを今になって思い出すとは──」


「紅子が、貴志に、きっかけを?」


 それは初耳だった。

 乙女ゲーム『この音』の攻略本にも載っていなかった新事実に、興味を持ったわたしは身を乗り出した。



「寝る前に俺が話した『音楽戦隊ウィンディーズ』のこと──覚えているか?」



 わたしはコクリと頷き、その先を促す。


「紅から、ヒーローの仲間にしてやるから、まずは武器にする楽器の練習をしろと命令されたんだ。音楽ルームの奥に保管されていたチェロを紅と一緒に見つけて、そのとき紅に言われた言葉で、迷わずチェロを選んだという訳だ」



 保管されていたチェロというのは、もしかして──貴志が現在、愛用しているチェロ──彼の実の父である月ヶ瀬正幸の愛器だった、あの?



「紅子の言葉で選んだって……彼女になんて言われたの?」


「──地球の父親は月ヶ瀬幸造だが、とある惑星にも俺の父親がいて、その親が俺に遺したのがそのチェロだと言っていた。紅のやつ、俺の本当の父親のことも知っていたんだろうな。今になって思えば、あいつの言葉の奥には色々な意味があったのかもしれない……と、十数年越しでやっと気づけたよ」


 紅子が、そんな深いところまで考えていたのかどうか、真実のほどはわからない。が、わたしの中で彼女の見方が少しだけ変わる。


 正直に言えば、月ヶ瀬一家が貴志に隠していた内容を仄めかす行為はいただけない。だが、それによって貴志にチェロを引き継げたことは、彼の実父である正幸氏にとって、喜ばしいことだったのではないだろうか。


 ──正幸氏亡き今となっては、確かめようはないけれど。



くれないレッドもなかなかヤルね。でも、まさかチェロを選んだ理由が『弦楽戦隊ストリンガーズ』で戦うためだったとは……まったく思いもよらなかった。と言うか、タックン……可愛いが過ぎる」


 目覚めて間もない頭の中は、情報の整理がついていなかったのだろう。ついつい、夢と現実が入り混じった内容で、貴志に話しかけてしまったわたしだ。


 そうだ。この際、あの不思議な夢を、貴志に話してみようか。そう思ったわたしは「あのね」と彼に声をかけた。


 だが、彼からのリアクションが何もない。


 そういえば常日頃、わたしが寝惚けたことを抜かすと、貴志からはお馴染みの科白である──「お前は一体何を言っているんだ」が返ってくるはずなのだが、今日に限っては無反応。


 不思議に思ったわたしは貴志の顔を覗き込む。

 するとどうしたことか、彼はポカーンと口を開けて放心状態なのだ。


「え? ナニ!? 貴志? どうしたの?」


 怪訝に思ったわたしは、現実に戻って来いとの思いを込め、彼の服を引っ張った。

 ハッと我に返った貴志が、今度はわたしの両肩をグッとつかむ。


「どうしてそれを……『弦楽戦隊ストリンガーズ』のことを、お前が知って……? 俺は話していないぞ。紅か? 紅がお前に話したのか!?」



 へ?

 ん!?

 あれ???


 ちょっと待て!


 わたしは自らが見ていた夢の内容と、貴志の昔語りを重ね合わせ、最初からひとつ残らず、つぶさにおさらいする。



 …………。


 ……………………。


 …………………………………………。




 待て待て待て?


 ──まさかまさかまさか!?


 丁寧におさらいをした結果──貴志を震え上がらせた幽霊が、自分だった可能性も浮上してくる始末。

 まったくもって不確かなのだが、トドのつまり、あれは、夢じゃなかった……ということ?



「紅のやつ、人の過去をペラペラと真珠に話して」


 貴志は既にお冠状態だ。

 紅子への冤罪である……気がする……のだが、正直どういうことなのか自分でもよくわからない。


 たまたま過去の出来事に近い夢を見ていただけ、という可能性だって捨てきれない。

 本音を言えば、単なる夢であってほしいと思うのだが──



 ………………………………。




 いや、何を弱気になっているんだ自分!

 わたしが『幽霊』に間違えられるなんて、そんな現実、あってたまるか!


 あれは夢だ!


 うん!

 そうだ!

 絶対に、何が何でも、間違いなく夢!!!








 自分で夢だと断言したものの最後の最後でちょっぴり不安になる。


 え……と。

 本当に──夢……だよね?




 月ヶ瀬真珠結納当日深夜、夢の中及び目覚めてからの出来事であった。















【後書き】

閑話、完結です。


閑話に登場した、克己くんを主人公(ヒロインは紅子)とした二十余年に渡る純愛の軌跡を描いた物語『くれなゐの初花染めの色深く〜僕が恋と気づくまで、君が恋に落ちるまで〜』を昨日からなろうにて連載開始いたしました。その関係で、転載作業が遅れてしまい申し訳ありません。

https://ncode.syosetu.com/n1747hc/



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