第340話 【閑話・真珠】『ミサミサ姫』と「俺」記念日?


「うーんと、克己くんは……そうだな灰……いや、シルバーだ!」


 色を決めるときに迷った紅ちゃんは、克己くんのバイオリンケースをチラッと見て即決した。


 タックンは使命感を帯びた目になり、紅ちゃんをまっすぐ見つめている。その様子から、このあとも会話が続くであろうことは、見ているわたしにも予想がついた。



「大変だ! 取り戻さなくちゃ! ミサミサ姫が早く笑えるように。姫が幽霊になっちゃうのは嫌だ! だからタック……お、お、俺も戦う!」



 今、タックンが自分のことを──「俺」と言った?



 もしかしてこれは、貴志が自分のことを『俺』と言い始めた貴重な瞬間なのではないか?

 貴志少年史に刻まれるであろう『俺』記念日に、夢の中とは言え、わたしは立ち会えてしまったのだ!


 興奮して身を乗り出すのと同時に、紅ちゃんもタックンに向かい身体を詰める。


 この茶番を始めた紅ちゃんは、タックンの食いつきっぷりに、もう少しだけ演技続行を決めたようだ。


 先ほどは「美沙子が笑わなくなったのは、タックンのせいじゃない」と理解してもらうために始めた「思いやりの演技」だったはず。だが、今は正反対──平たく言えば、はた迷惑な感情を起因とした行動のように見受けられる。


 紅ちゃんの中で、当初の崇高なる目的は、完全に忘れ去られてしまったのだ。残念なことに。

 『面白そうだから、ここは貴志で遊んでおこう!』と、彼女の瞳が輝きを増す。



「貴志──真実を打ち明けたのは、お前を『弦楽戦隊ストリンガーズ』の一員に加えるためだ!」



 タックンの両目も、紅ちゃんとは違った意味でキラキラと輝きはじめる。

 ──君は、なんて可愛くてチョロ……尊いのだろう。


 その純粋さに感動する反面、騙されようとしているチビ貴志が哀れに思えてしまう。


 そして、紅子よ。

 お前は、本当に楽しいことを考えると見境がなくなるのだな。夢の中でも。



 紅ちゃんの口から、お次はどんな科白が出てくるのだろうと、わたしは手に汗握り、耳をそばだてる。



「貴志には、ミサミサ姫を守る任務についてもらう。現在、ゆかりパープルには本部より密命が下され、青を追跡している。まあ……そういうわけで、しばらくユカリにも会えない。だが、これも我々『ストリンガーズ』に課せられた運命。乗り越えなければならない試練なのだ」



 タックンは「ユカが……」と神妙な顔でつぶやき、紫パープルのことを考えているようだ。



「いいか、貴志──ミサミサ姫を見守る任務中、姫の前では絶対に、青のことを話してはいけない。ミサミサ姫が青を思い出して混乱したら、悪鬼に姿を変えてしまうかもしれないからな。覚えているか? 先週のテレビでリサリサ姫が混乱して、幽霊になりかけたことを。それを助けるために『音楽戦隊ウィンディーズ』が大変な目に遭っただったろう?」


 タックンは先週のテレビで観た特撮ヒーロー達の行動を、思い出しているようだ。


 スッと立ち上がったタックンは紅ちゃんに向かって敬礼をし、そのあと力強く首肯する。


「覚えてる! タッ……俺、ミサミサ姫が幽霊にならないよう、絶対に守る!」



 嗚呼、何ということだ。

 おそらく現実世界においても紅子は、チビ貴志の持つ素直さを利用し、はるか昔からこんなふうに彼で遊んでいたのだろう。


 何度も何度も紅子から騙され、弄ばれ、辛酸を舐めつくし、そこから学習した貴志は、現在の状態に鍛え上げられたのだ。そう、本当に、イロイロと苦労を重ねながら。


 大人貴志が紅子に対して頭を抱え、警戒する理由も、なんとなく理解できてしまった。




 タックンが突然ハッと息を呑み、紅ちゃんに問いかける。


「あのね、……俺は幽霊を見たことがないの。それって、どんな形をしているの? 赤、お願い。教えて!」


 タックンの言葉に紅ちゃんは、首を傾げた。

 紅ちゃんも本物の幽霊を見たことがないのだろう。勿論わたしだってない。


 自分の持てる知識を総動員した紅ちゃんは、世間一般で語られている幽霊像の説明を開始する。



「そうだな。多分……白い着物を着ているんだろうな。それから、フワフワ浮いていて、実体がないだろうから……触ろうとしても触れない? テレビの中から這い出てきたり、壁から湧いたりする場面も観たことがある。あ、これは映画でな! あとは……そうだなぁ、ちょっと透けて見えるんじゃないか? 本物は見たことないけど」



 紅子が幽霊について語っていくたびに、タックンの表情が引き攣っていく。

 みるみるうちに顔面蒼白となった彼は、わたしのいる場所へ恐るおそる視線をむけた。


 タックンは両手を口に当てると、目を剥いたまま黙り込んでしまった。

 どうしたことか、彼はこちらをひたすら凝視しているのだ。


 ──ま……まさか!

 背後に何か、いるのだろうか!?


 恐怖を覚えたわたしは、ギギギと音が出そうな不自然な動きで、首だけをゆっくりと後ろに回す。


 だが、そこにはなんの変哲もない音楽ルームの壁があるだけだ。


 ──いや、そうじゃない!

 心の目で見るんだ、わたし!


 子供は敏感で、目には見えないものがえる場合もある、と耳にしたことがある。

 もしかしたら、タックンの目には、わたしの瞳に映らない「何か」が視えているのかもしれない。


 だが、ほぼ同年代のわたしに、何も視えないのは何故なのか!?

 もしかしたら、自分の中の大人精神伊佐子が邪魔をして、純粋な心の眼を曇らせているのかもしれない。多分。



 こ……コワイ!


 恐怖を覚えたわたしは、鬼気迫る表情になり、ツツツと紅ちゃんのそばに近寄った。

 彼女の隣にいれば、その圧倒的存在感という名の傍若無人な威圧にて、邪悪な何かを打ち払ってくれる気がしたからだ。


 だがどうしたことか、わたしが紅ちゃんにピトッと寄り添った途端、タックンが激しく泣き出すではないか。



 ま……まさか!


 目に映らない「何か」も、わたしにくっついて一緒に移動してきたの!?

 いや、くっついているどころではなく『憑いている』だったらどうしよう!


 恐ろしい考えに、もう泣きそうだ。



 その瞬間、今まで席を外していた克己少年が部屋の中に飛び込んできた。


「タックン、どうしたの? 紅ちゃん!? タックンに何をしたの!?」


 克己くんが責めるような口調で紅ちゃんを問いただしている。タックンは紅ちゃんから離れると、今度は克己くんに抱きつき、再び泣きじゃくる。


 わたしはといえば、自分の背後が、気になって気になって仕方がない状況だ。

 そこにいるのかもしれない正体不明の存在に、恐ろしさは最高潮。

 三人の様子を楽しんで見学するどころではなくなってしまった。



 悪い夢よ、覚めてくれーーー!



          …



「……んじゅ! 真珠? どうした!? 怖い夢でも見たのか?」


 恐怖に駆られたわたしは、汗びっしょりになって飛び起きた。

 かなりうなされていたようで、心配した貴志が声をかけ、揺り起こしてくれたようだ。



 グッジョブ、貴志!

 やはりお前は、わたしの守護騎士サマだ。





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