第337話 【閑話・真珠】壁抜け と『音楽戦隊ウィンディーズ』?
目が合ったと感じたのは錯覚だったのか。タックンは眉間に皺を寄せたあと、わたしから顔をそらしてしまった。
それ以降も、チラチラとこちらを見ては首を傾げ、目を擦ったかと思うと視線を外すという動きを、ひたすら繰り返している。
ちょっと……いや、かなり挙動不審だ。
もしかしたら、誰とも知らない女の子が自宅の玄関に立っていること自体が不思議なのかもしれない。
だが、タックンよ。
残念なことに、未来の時間軸に於いて、ここはわたしの家でもあるのだ。
タックンと紅ちゃん。それから克己くんの三人が、玄関に近づいてくる。
さて、どうしようか?
わたしは三人と、どんな関係になりたい?
しばし自問自答を重ねる。
予想では、これはわたしの夢の中の出来事。ハッキリとした確証は得られていないが、八割方間違いない。多分。
その予測のもと、自分はどうするべきかを考える。
まずは自己紹介を兼ねて、彼らに話しかけてみようか?
よし! そうしよう。
そうと決まれば、コミュニケーションの第一歩は爽やかな挨拶。友好を深めたい相手であれば尚のこと、良い第一印象を与える行動は必要不可欠。
彼らと、物理的にも心情的にも歩み寄りたいと願うわたしは、三人のほうへ足を一歩踏み出した。
──あれ?
歩くというよりは、浮いているような新感覚にドキリとする。
これをなんと説明したらよいのだろうか。
自分の身体に重力を感じないため、楽に動くことができるのだ。
得も言われぬ心地良い移動方法に感動を覚えたわたしは、フワフワスルスル、地面の上を音もなく移動した。
滑るように前進するこの歩みは、病みつきになりそうだ。
彼らとのファーストコンタクトを成功させるべく、満面の微笑みはスタンバイ・オーケー!
わたしは三人に向かって、元気よく声をかけようとした──のだが、紅ちゃんと克己くんはわたしの存在にはまったく気づかず、なんと! この身体の中を通過して、玄関に辿り着いてしまったのである。
「へ!?」
驚きのあまり、素っ頓狂な声をあげたわたしは、自分の身体を慌てて確認する。
先ほど痛みを感じなかった時に、自分の身体が透けているように見えたことを思い出す。
錯覚だと信じてやまなかったのだが、夢の中のわたしには、実体がないのだろうか?
いや、でも、そうだとしたらタックンの目に、わたしの姿が見えるのはおかしい。
だって彼は、先ほどからわたしのことを気にしているではないか。
訳がわからないながらも、自分の掌や身体を念のため確認する。
特に違和感はなく、透けてもいない。
自分の身体に起きた不思議現象に首を傾げるばかり。
そのことに気を取られていたわたしは、タックンが目を剥いてこちらを見ていたことにさえ気づけずにいた。
自分の身体確認が終わったあと、わたしも三人を追って、自宅の中へと向かう。
もしや、可能ではなかろうか?──と、楽しいアイデアが閃き、試したくなったわたしは玄関のドアノブではなく、目の前にある壁に触れることにした。
すると、案の定、わたしの身体は壁の中に吸い込まれ、難なく扉をすり抜けることができたのだ。
わあ! 便利!
壁をすり抜けたぞ!
やっぱり、これで確定だろう。
ここは間違いなく、わたしの夢の中だ!
それにしても、自分の意思通りに行動できる夢とは珍しい。
こんな機会、滅多にないぞ! と好奇心もムクムク湧いてくる。
夢とわかったのなら、ここはひとまず、この世界を堪能だ!
…
実は、ホテルの居間にて貴志から受けた質問及び尋問のあと、ベッドに横になったわたしは、枕辺に座る貴志に様々な質問を繰り出していた。
それは、夢の世界に旅立つよりも前のこと。
今後のことや将来の展望なども話に上ったのだが、解き明かされていない疑問についても抜かりなく訊ねていた。
「紅子に怒った理由って何?」
「葵衣の名前を知らなかった理由は?」
「どうして、夜一人で眠れなかったの?」
──と。
貴志は「すれ違ってお互いを信じられなくなるのは避けたい。だから、遠慮せずに何でも訊け」と言ってくれたのだ。
彼が伝えてくれた本来の意味と、趣旨が違うのは重々承知しているのだが、わたしは自分の疑問の答えを知りたくてそれらを問うことにした。
わたしの質問に対して、貴志が語ってくれた内容は、かなり不思議で、少しだけ奇妙な、そんな思い出話だったと記憶している。
…
幼い頃、貴志は小さな男の子が好んで観る、戦隊ヒーローものが好きだったようだ。休日の朝に放映されている、あのお馴染み特撮番組のことである。
当時、放映されていたのは『音楽戦隊ウィンディーズ』というウィンド系アンサンブル──
概要としては、リサリサ姫というウィンディ星のお姫さまの『心の核』を奪った悪鬼が逃亡し、地球の何処かに姫の心を封印してしまう。
心を失い笑わなくなったお姫さまの『心の核』を取り戻し、悪を倒して母星と共に地球をも守っていくという、いかにも男の子が好きそうな救国──いや、救星物語だ。
『心の核』を一刻も早く取り戻さないと、リサリサ姫は幽霊になって消えてしまうらしく、制限時間つきのスリルたっぷりの話は、当時、子供たちだけではなく一緒に見ていた大人の間でも大流行したそうだ。
脈絡もなく戦隊ヒーローの話を始めた貴志の意図がわからず、わたしは非常に困惑した。
こちらの質問と、かなりかけ離れたところから開始された想定外の話題だったのも理由のひとつなのだが、それ以前に、
こちらの戸惑いを感じとったのだろう。貴志は「ここから話さないと、すべての疑問に答えることができないんだ」と、ちょっと遠い目になっていた。
幼い頃の自分の話をする貴志自身も、かなり気恥ずかしかったのだろう。言い方も、かなりぶっきらぼうだったのを覚えている。
彼の話によると、この戦隊ヒーローに扮する『ごっこ遊び』を、日常的に紅子や美沙子ママに遊んでもらっていたようだ。
昼間、月ヶ瀬家で目にした、紅子との壮絶な追いかけっこは、その子供時代の遊びの名残りだったことも自ずと推察できた。
話を進めていく中で、貴志が指を折りながら、三つの言葉を呟いていた。
青いブルー
ゆかりパープル
──と。
リーダー格のレッドは、言わずもがな、紅子。
青いブルーの「青い」は、実は色としての「青い」ではなく、名前の「葵衣」だったことが今日判明した──と、貴志が溜め息まじりで洩らした時は、申し訳ないと思いつつも、チビ貴志の勘違いっぷりの可愛さにニマニマと変な笑いを滲ませてしまった。
子供のもつ狭い知識の範囲内で起きた、思い込みによる意味の捉え違いだったのだろう。
そこからわたしの意識は、新手の言葉──ゆかりパープル──に移っていった。
それって誰ぞ?
と訊いたら、貴志も詳しくは思い出せないが、時々遊びに来ていた年上の男の子だと教えてくれた。
おそらく源氏物語の『
ちなみに美沙子ママはリサリサ姫を真似て、『ミサミサ姫』。
貴志は『
そういえば、貴志の持ち物には黒が多い。
アコードのチェロケースも然りだ。
子供の頃から黒が好きだったのかと質問すると、貴志はなぜか苦笑していた。
彼は、本当は赤になりたかったけれど、「赤は、わたしの色だろう!」と紅子が言い張り、頑として譲ってくれなかったと、こぼしていた。
おおぅ……、紅子よ。
おぬしは昔から、やはり紅子だったのだな。
『わたしのことを普段「赤」と呼ぶんだから、お前が赤になったら、誰が誰なのか、訳がわからなくなるじゃないか』
という、尤もらしい彼女からの主張により、泣く泣く黒を選んだと貴志は苦笑いだ。
幼児時代の貴志の希望を一刀両断でぶった斬り、言葉巧みにリーダーポジションを奪っていくとは──なんと大人気ない……とも一瞬思ったのだが、紅子もその頃はまだ中学生。幼さもあったのだろう。
わたしにもその場面が映像付きで想像できてしまうあたり、紅子らしいと言えば、ものすごくらしい。
貴志の補足説明によると、幼児期の彼は「紅子」と発語するのが難しくて「赤」と呼んでいたことも初めて知った。
そして、葵衣については前述の通り「青い」だと思っていたので「青」と呼んでいたようだ。
葵衣の苗字について知らなかった理由も、蓋を開けてみれば実に子供らしいものだった。
当時、貴志は幼稚園や保育園に通い出す以前の
なるほど。確かに自分の子供時代を思い出すと、苗字を意識したことはなかったかもしれない。就学するまでは、家族からもファーストネームで呼ばれ、苗字を意識しだしたのは集団生活が始まってからだ。
育った国は違えど、名前で個人を識別し、苗字で家族という単位を自覚する。それが、社会性を学ぶ上での、最初の一歩になるのかもしれない。
以上のことから、貴志が葵衣の本名を知らなかった理由も、呆気なく判明したのだ。
…
葵衣についての疑問は貴志の説明により、わたしの中でほぼ解決した。のだが、まだわからないことがあった。
それは、貴志が紅子に激怒した理由。
わたしはそれについても確認したのだが──彼は何と答えたのだっけ?
不思議な話だったことは覚えている。
そう言えば、過去を思い出しながら語る貴志の中で、忘れていた記憶もよみがえったようで、話の途中で難しい顔をした彼はしばらく黙り込んでしまったのだ。
最後に貴志は『紅に、謝らないといけない』とも口にしていた。
貴志は、その記憶違いの内容についてもわたしに解説してくれたのだが、肝心の内容がどうあっても思い出せない。
どんな話だったっけ?
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