第335話 【閑話・真珠】「赤!」とタックン 前編


 月ヶ瀬家本邸──鉄製の黒い柵に囲われた正門は、正面玄関の車寄せから少し離れたところにある。


 その正門近くに、幼い男の子の姿が見えた。

 青い小さな傘をさしたその子供は、柵の向こう側でこちらに背を向けて佇んでいた。


 時折道の真ん中にトコトコと歩いて行っては背伸びをし、遠くを見つめるのだが、しばらくすると正門の前に戻ってくる。


 先ほどから何度となく同じ動作を繰り返す様子を、わたしは玄関近くの植え込みから観察していた。


 ──誰だろう?


 どこか懐かしさを覚える顔立ちは、とても大切な人に似ているけれど、残念ながら『真珠』の友達ではない。


 そもそも、これだけの美少年だ。

 一度会っていれば、間違いなく記憶に残っているはず。


 彼の姿に違和感を覚えたわたしは、首を傾げつつ、その姿を再度目で追った。


 その少年が、ふぅと息を吐いた瞬間、彼の周囲が白く煙った。

 空気中に広がった呼気が色づき、くゆるように立ち昇ったのだ。


 寒さはまったく感じないのだけれど、実は気温が低いのだろうか。


 わたしは首をコテリと倒した。

 ──夏も盛りだというのに、どうしてこんな気候なのだろう?


 ふと、空を見上げると、白いものが落ちてきた。

 触れたらおそらく、とても冷たいのだろう。


 地面に落ちたそれはみるみる降り積り、景色を徐々に染め変えていく。

 次から次へと天から降りてくる白い物体は──雪。


 この猛暑に雪とは天変地異の前触れか?

 訳が分からず困惑するも、次の瞬間にはハッと息を呑む。


 そう──先ほどの小さな少年を見たときに感じた、違和感の正体が明らかになったからだ。


 門前に立つ少年の後ろ姿に目を向け、その服装を改めて確認する。


 彼が着ている服装は夏の装いではなく、冬の防寒仕様。

 マフラーと手袋を着用し、ダウンジャケットがモコモコと暖かそうだ。


 着衣の様子とは対照的に、外気に触れた鼻先と耳の両方が、寒さで赤く染まっている。


 こんな雪の降るさなか、彼は何をしているのだろう?


 ──と言うか、そもそも、誰?



 いや、ちょっと待て!

 なぜわたしは自宅にいるのだろう。



 先ほどまで、貴志が紅子に激怒するに至った幼き頃の思い出話を、昔語りとして聞いていたはず。


 そう──ホテルの部屋で、わたしが眠りにつくか、もしくは誠一パパからの連絡が入るまでとの約束のもと、わたしは貴志の子供の頃の話を楽しく聞いていたのだ。



 頭上には、クエスチョンマークが点灯中だ。


 謎だ!

 まったくもって、摩訶不思議な現象だ!



 そう思っていたところ、その少年が突然目を見開き──「赤!」と急に叫んだ。


 赤?


 その目線の先を辿ると、隣家の飛鳥くらいの年齢の少女が、こちらに向かって歩いてくる。


 彼女がさしている傘の色は、燃えるような赤色だった。

 年の離れた、彼の姉なのかもしれない。


 その少女の顔にも、どこか見覚えがあった。

 でも、『真珠』の知り合いではない。


 そもそも、背を向けている少年の顔も、遠くにいるはずの少女の顔も、わたしのいる位置からは見えない角度及び距離なのに、どうして彼らの表情が手にとるようにわかるのだろう。


 え? まさか!

 わたしは、もしや不思議な力に目覚めたのか!


 ──すごいぞ、わたし!


 興奮気味でクルリと回転した瞬間、植木の置かれた台に右足の小指を激しくぶつけたような気がした。


 痛っ!……くない!?

 あれ? 痛くないぞ。


 念の為、確認しようと頬も引っ張るが、痛覚が麻痺しているのか作用しない。


 そういえば、雪が降っているというのに寒さを感じないのも奇妙な現象だと思っていたのだ。


 わたしはこの寒空の下、貴志から先日プレゼントしてもらったウェディングドレスを模した白い寝間着を身に着け、足元に至っては裸足という格好だ。しかも半袖だというのに、すこぶる快適なのだ。


 あれ?

 なぜか身体が少しだけ、透けているような気が──しないでもない?


 いやいや、それは目の錯覚だろう、と思い直す。


 なぜならば、人体が透けて見えるなど、現実では絶対にありえないからだ!



 状況がつかめず、首をひねる。

 ちょうどその時、赤い傘をさした少女が正門前に到着したようだ。


 不思議なことに、離れた距離にいるはずのその少女の顔がハッキリと視界に映り、ドキリと心臓が跳ね上がった。


 ──ものすごい美少女なのだ。


 「赤」と呼ばれたその少女は、強烈な印象を周囲にあたえる『何か』を持っていた。


 その何かを言葉で表現するとしたら──紅蓮の炎。

 そう思ったところ、一人の妖艶美女の姿が脳裏を埋め尽くす。


 強烈の中でも強烈の極み。

 歩く場所に、その都度、焦土を広げていく規格外の女性。その名は──


「紅子!?」


 ──のわけはない。

 けれど、雰囲気が非常に似通っているのだ。


 年齢的に言っても、この少女の中に紅子が普段醸し出しているような『妖しげな色香』は無い。が、溌剌とした表情の中にある、あの独特の『ほむら』はしっかりと存在している。


 赤と呼ばれた少女が満面の笑みを見せながら、少年の頭をワシャワシャと撫でた。


「お〜! タックン。寒いのに出迎えご苦労! ご褒美に、おねーさんがホッペにチュ〜をして進ぜよう!」


 タックンと呼ばれた少年は、少し怯えた様子で後退り、右腕で顔下半分をサッと隠した。


「赤のチューはいらない。美沙のチューと違って、吸い付くから痛くて嫌だ」


「ちょっと待って! べにちゃん? チューって何? 吸い付くって? どういうことなの!?」



 タックンの科白に被るように、別の人間の声が突然割り込んだ。



 『赤』改め『紅ちゃん』の隣から聞こえたその声は、少年のもの。


 今のいままで気づかなかったが、青年になる直前という風貌の美少年が、紅ちゃんの後ろに控えていたのだ。


 黒い傘をさし、紺色のコートを羽織った中性的な顔立ちをしたその彼は、どこか晴夏を彷彿とさせる。

 もしかしたら、バイオリンケースを背負ったその姿が、晴夏を連想するのに一役買っているのかもしれない。






【後書き】

息つく間もなかった本編・科博の一日が終わり、結納当日に入る前の息抜きの閑話が数話入ります。次の章につながる展開も含まれておりますが、気軽に力を抜いて読んでいただけると嬉しいです(*´꒳`*)

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