第329話 【真珠】おねだり!
寝室から消えた貴志に向かって、わたしは慌てて声をかける。
「た……貴志? 今のは、『ああ、一緒に寝よう』って貴志が答えてから二人で強く抱きしめあうところだよね? 恋人同士ってそう言うものなんじゃないの? あれ? え? ちょっと? もしもし!?」
わたしの問いかけを耳にした貴志が、顔だけをヒョイッと覗かせた。
えも言われぬ爽やかな笑顔を見せた彼は、こちらに来いと再度手招きをするのみ。
ダメだ。意味が分からん。
こやつめの行動が、謎すぎる。
色々と話をしてスッキリしてしまったのか、貴志だけが上機嫌。
対して、わたしはプチ不機嫌。
別々に寝るぞ宣言を二度も喰らったのだから、いくらわたしとて、虫の居所も悪くなるというものだ。
嗚呼、哀れなり月ヶ瀬真珠。
今夜わたしは独りぼっちで居間で眠りにつくのか?
いや?──彼のことだ。
ベッドはわたしに譲り、自分がソファで寝ると言うのだろう。
ソファで寂しく独り寝をきめこむ貴志を思い描いた瞬間、その姿が今朝の彼と重なった。
昨夜、貴志は月ヶ瀬家の居間のソファで眠り、そのまま朝を迎えているのだ。
一晩だけならまだしも、二日続けてソファでの就寝となると、疲れが取れないだろう。
これは使えるのではないか?──頭の中は、いかにして貴志と一緒のベッドで眠るかを算段しはじめる。
計算高い女だと、罵るなら罵ってくれたまえ!
わたしはどんな
誰に何と思われようが、残り少ない彼との時間をより濃密に過ごすためならば、悪魔にでも魂を売り渡す所存だ。
活路を見出したわたしは、意気揚々と足を踏み出す。
ここは是非「同じベッドで寝よう」と改めてお誘い申し上げ、同衾を勝ち取らねば!
メラメラと燃える闘志を胸に、わたしは勇んで彼の後を追う。
その瞬間、今まで消えていた居間の照明が点灯し、まぶしさに目が眩んだ。
どうやら貴志が、電気を点けたようだ。
室内の明かりは、窓ガラス前の一角を照らしだす。
そこに鎮座する巨大な人工物が突如として目に入り、わたしは眉間に皺を寄せた。
思わず無言になって、まじまじとソレを見つめる。
何故、あんなものがこの部屋に!?
その物体──エルとラシードの部屋を訪問する以前には、影も形も無かったヤツだ。
「──ナニコレ……?」
思わず洩れた呟きに、間髪置かずに貴志が答える。
「見ての通り──エクストラベッドだ。不在にする時間をフロントに伝えておいたから、その間に運んでもらった」
それは見ればわかる。
わたしが言っているのは、そういうことじゃない。
何故、こんな物がこの部屋に置いてあるのかということだ。
わたしはキョロキョロと周囲を見渡した。
──無い。
ダイニングテーブルの上に積まれていた
よく見ると、室内が整えられた形跡も見受けられた。
ルームサービスが入ったのか!?
電気が落ちていたので、今の今まで、まったく気が付かなかった。
わたしの計算では、ソファでわたしが寝ると言い張れば、貴志が渋々折れて、最終的に同じベッドで眠ってくれるのではないかと思っていたのだ。
が、こんなものがあっては、先ほどまで計画していた『貴志をベッドに引きずり込むぞ作戦』は通用しない。
二人の中を裂こうとするこんな伏兵が、部屋の中心を我が物顔で陣取っていたことに気づかずにいたとは!
己の不覚を叱咤したくなるが、そんなことを言っている場合ではない。
急遽わたしは『夜景を眺めながら一緒に寝よう作戦』へと切り替えることにする。
「貴志! 折角だからこっちのベッドで、夜景を見ながら、一緒に……寝ません……か……?」
威勢よく彼の名を呼んだものの、最後の科白は尻すぼみになってしまう。
なぜならば、わたしの言葉を耳にするたびに彼の表情が変わっていったからだ。
そのため、途中からちょっぴり及び腰になり、最後は怯えながらお誘いすることになった。
「真珠、まさかとは思うが──昼間伝えた『仕置きの件』、忘れていない……よな?」
貴志は、わたしの目を覗き込んで確認してくる。
そして、声がちょっと冷たい。
今日の昼間、わたしが無視しまくったアレに対するお仕置きのことか!?
嗚呼、何たることだ。今、わかってしまった。
先ほど、貴志と目があった時に『何か』忘れている、と感じたのはコレだったのか!
彼の双眸を逸らさずに見つめたことが引き金となって、日中貴志が口にした科白──『お仕置きの時間だ』──が、一瞬だけ思い出されたのだ。
でも、すぐに忘れてしまった──と言うか、月ヶ瀬家の廊下にて互いに微笑みあったことで、わたしは完全に許してもらったつもりになっていた。
だが、口が裂けても、そうとは言えない雰囲気だ。
「……えへへ、お……覚えてますとも!」
貴志が選んだお仕置き方法は──今夜は一緒に眠らない──だったのか!?
わたしが望むことまで全てお見通しの上で、それを先回りして阻止するとは、なかなかやりおる。
悔しいが、ものすごい絶望感あふれるクリティカルヒットだ。
あの一連の報復が、よもやこのような形で返ってくるとは。
こんなサプライズ、嬉しくないし、欲しくない!
科博での自分の行動を呪いたいが、時すでに遅し。
わたしは因果応報の恐ろしさを、まざまざと現在進行形にて体験中。
うう……前言撤回だ!
貴志は優しくなんかなかった!
何という非情な仕打ちなのだろう!
まさしく悪魔の所業だと、恨みがましい目で彼を見つめる。
いや、でも、今こそ、泣いて泣いて、縋っていい場面ではなかろうか。
よし、ここでお子様の本領を出さずして、いつ発揮するのだ!
そう。これは、貴志の足を引っ張る行為ではなく、子供の可愛いおねだりだ。と、自分に言い聞かせる。
「あのね……、貴志は、一緒に寝たくないの? わたしと」
上目遣いで、モジモジしながら愛くるしさを前面に押しだす。もちろん演技だ。
そして、涙目よ来い!
今が活躍の時だ!
──と、涙腺に働きかけたのだが、残念なことに一滴ですら涙は溢れてこない。
演技開始一分と経たずして、泣き落とし計画は早々に頓挫と相成った。
加えて、お誘い申し上げた共寝の提案に対しての貴志の返答は、非常につれなく侘しいものだったのだ。
「いや、遠慮しよう。熟睡中、
くっ!
ダメなのか!?
寝相の悪さを指摘されては、それ以上の懇願は無意味。
鳩尾に踵落としをお見舞いした記憶すらないのだが、その行為を貴志自身が未だ根に持っていることも判明だ。
貴志め。
こんなに
「真珠──まずはこっちにきて座ってくれ。訊きたいことがあると言っただろう?」
わたしの心を知ってか知らずか、何食わぬ顔で貴志が、座れ、と指し示した先にはソファ。
「真珠? どうした? 早く来い」
これからわたしは、謂れのない冤罪により、尋問されようとしているのだろうか?
願いが叶わなかったことに対する被害妄想も加わって、そんな残念な気分になってしまう。
わたしは、蛇に睨まれた蛙……いや、蟻地獄に囚われた蟻になった心地にて、足取り重く貴志の対面にあたるソファに腰掛ける。
「真珠、少し聞かせてくれないか? 理由がわからなければ、対処のしようがない」
貴志は、そんな科白を口にした。
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