第298話 【真珠】濡れ場見学?
月ヶ瀬家──居間のソファ。
艶のある笑顔を見せながら、貴志が覆い被さるようにして、紅子の身体を押し倒した。
彼女の華奢な肩を押さえ込んだ彼は、満足そうな表情を見せる。
紅子の着衣は乱れ、胸元からは豊かな膨らみがのぞく。
その白く柔らかな双丘が、呼吸と共に上下する
紅子を組み敷く貴志は、荒れた呼吸を繰り返し、乱れた髪からは男の色香が漂った。
「もう……逃がさない──紅」
焦れたような声音が紅子の耳元で囁かれ、熱を帯びた視線が彼女の肢体に注がれる。
貴志の双眸を見上げる紅子は、赤い唇から陶酔した吐息を洩らした。
これから起きるであろう『何か』に期待する彼女は、瞳に蠱惑的な光を宿し、その相好からは不可思議な色が滲んだ。
両手を真上に伸ばした紅子は、貴志の薄っすらと汗ばんだ首筋に、その腕をゆっくりと絡めていく。
貴志の脚が割り入ることで開かれた彼女の両足。
乱れた衣服から大胆にのぞく脚線美が、惜しげもなく晒された。
豊麗な美女はその口角を上げ、まばゆいばかりの微笑みを年若い青年へと向ける。
己が征服されようとするこの瞬間でさえも、その瞳はどこか超然とした余裕を湛えていた。
「貴志……お前に捕まるとはな──成長したもんだ。約束だったな。好きにしろ──何でも……お前の望みをきいてやる」
紅子の腕に引き寄せられた貴志は、ゆっくりと彼女の身体の上に倒れ、沈んでいく。
「貴志──ご褒美だ」
その言葉と同時に、彼女の唇が貴志の頬に重ねられた。
彼は両の瞼を閉じると、静かにその口づけを受け入れる。
直後──居間に響いた音は、男女の睦言を連想させる
疲労感を多大に帯びた、貴志の深い深い──溜め息だった。
…
「ねえ、貴志。大丈夫?」
ソファに撃沈する貴志の背中に、おずおずと声をかける。
赤い口紅がベッタリと貼り付いた頬を見るたびに、憐れさが増し、仏心がおきたわたしは彼の安否を確かめた。
貴志は、うんともすんとも言わない。
ものすごく疲弊しているようだ──心身共に。
「貴志。なかなか、楽しかったぞ〜。本気の追いかけっこはゾクゾクするな!──よくぞ、このわたしを取りおさえた! 褒めてつかわす」
アッハッハー! と元気よく笑った紅子は、鼻唄を歌いながら、木嶋さんが準備してくれたお茶を口にする。
屍のように横たわる貴志とは正反対──まるで生き血を吸い上げた魔女の如く、紅子の頬はほんのりと上気し、生命力が
…
半時程前、紅子は晴夏を迎えに我が家にやって来た。のだが、晴夏は現在、兄と一緒にお昼寝中。
起きるまで、お茶でも──と、木嶋さんに勧められた彼女は居間へと通された。
父と祖父は、仕事。
母と祖母は、大人の契約である結納準備で外出中。
木嶋さんはお茶の配膳を終えると、音楽ルームでチェロを弾く貴志に、紅子の訪問を知らせた。
居間で
その動きを察知した紅子は、ヒラリとソファを飛び越え、突如逃げの態勢に入ったのだ。
「なんだ貴志。追い掛けっこか? 久々に遊んでやろう──わたしを捕まえられたら、ご褒美に何でも言うことを聞いてやる」
そう言い放った紅子は、勝手知ったる月ヶ瀬家を縦横無尽に逃げ回った。
貴志と紅子の壮絶な追い掛けっこを目にした木嶋さんは「懐かしい光景を、再びこのお屋敷で見られるとは……」と、何故か涙ぐんでいた。
大人二人が繰り広げる、追いつ追われつの激闘に、わたしの頬は引きつった。
「こんな凄まじい遊びを、紅子と貴志は、いつもしていたの?」
今の貴志からは、まったく想像がつかない。
驚きの表情でわたしが訊ねると、木嶋さんはフフフと笑った。
「はい。美沙子さんと
──ん?
柊さんは、紅子のこと。
藤ノ宮さん──て、誰ぞ?
わたしの疑問に気づいた木嶋さんは、分かりやすいように説明してくれた。
「藤ノ宮
藤ノ宮喜助?
新元号?
その瞬間、テレビの画面に映る初老の男性の顔が脳裏を掠めた。
現・内閣官房長官だ。
政界の影のフィクサーと言われている人物ではないか!
そんな家庭とのコネクションも、月ヶ瀬家にはあるのか。
わたしは美沙子ママの交友関係の広さに舌を巻いた。
いや、そういえば母はアルサラームのシェ・ラ・ジーン王太子殿下とメル友関係だったことを思い出す。
母と親交を深める人間の重要人物度と、月ヶ瀬家の格式の高さに、わたしは恐れおののくばかり。
木嶋さんから、もう少し話を聞いてみようと思ったところで──
貴志も紅子を絶対に逃がすまいと、必死に彼女を押さえつけていたのが、先ほどの冒頭シーン。
わたしはソファから離れたダイニングテーブルのキッズチェアに座り、木嶋さんと会話をしながら、二人の様子を見学──美味しいオレンジジュースを堪能中だった。
未だ、貴志に対する、葵衣への『横恋慕疑惑』は晴れないものの、紅子にいいように弄ばれている姿を見ると、まだまだコヤツも子供なのだな、と思う。
わたしは貴志が気力を回復するまでの時間で、今日の出来事を振り返ることにした。
…
困惑の渦に巻き込まれた、本日の科博訪問──
ラシードとエルに再会し。
優吾に
愛花に怯えて、その後は浮かれ。
久我山兄弟に睨まれ。
その母・葵衣と貴志の過去に、心乱された本日。
あの後、皆で昼食を食べ終わってからの館内見学は、貴志の目を一度も見ることができず、彼のことをひたすら避けまくったことを白状しよう。
『この音』の情報と自分の中にあった疑問が繋がったような気はしたけれど、だからと言って──貴志と葵衣の関係とは別問題。
大好きな科博で、貴志から盛大に振られる事態になることを避けたかったわたしは、加奈ちゃんたち三人娘の傍でウロチョロしていたのだ。
昼食後、原因不明の怒りを抑えることに成功した貴志は、大人の対応を見せていた。
けれど、そこはかとなく彼の内側から溢れる黒いオーラは、理香と咲也にも間違いなく伝わっていた。
それ故に、わたしは加奈ちゃんの傍に避難したのだ。
理香の隣に居ようものなら、貴志を宥めるための生贄として利用されそうな気がしたため、その恐ろしさから理香と咲也の近くに行くことを極力避けた──と言う方が正しいのかもしれない。
その点、加奈ちゃんたちの傍には、安心感があった。
貴志も彼女たちに対しては、本当に穏やかに接してくれたからだ。
よって、三人娘と一緒に常時行動するのが吉、と計算により
結局、ルーシーさんにも会えなかった。
恋愛コンディションの不安定さも相俟って、今回の科博訪問の一番の目的であった『ルーシーさんへの報告会』は、苦渋の決断の末、見送ることに決めたからだ。
その後、折り重なった心労と精神的重圧により、キャパオーバーした己の脳みそは、いつものごとく爆睡を選択。
わたしは最終的に、加奈ちゃんの身体にしがみついて、眠ってしまい、次に目を開けた時には、自室のベッドの上にワープしていたのである。
兄から聞いた話によると、わたしは加奈ちゃんの服の胸元をガッチリ掴んで離さなかったようで、彼女はわたしに付き添い、月ヶ瀬の自宅まで足を運んでくれたとのこと。
目覚めたわたしの腕の中には、何故か本日加奈ちゃんが着用していたブラウスが握られていた。
わたしは、加奈ちゃんを脱皮させてしまったのか!?
寝ている間に、晴夏だけではなく、加奈ちゃんにまで痴漢行為を働いてしまった!──と、自分の所業に対してヒタスラ震えた。
だが、晴夏が教えてくれた情報によると、加奈ちゃんの着替えを手伝ったのは木嶋さんだと分かり、この肩の力がガクリと抜けた。
わたしが脱ぐことを強要したわけでないと判明し、心底ホッとしたのだ。
加奈ちゃんの白いブラウスは、わたしの腕の中でしわくちゃ状態。
彼女は、わたしの手元に衣服を残し、我が家で準備したワンピースに着替えて帰宅した、とのこと。
帰路は、貴志が車にて、加奈ちゃん宅まで無事に送り届けてくれたことも分かり、わたしは安堵の息を洩らした。
その送迎の際、所用で自宅に戻った祖父と、加奈ちゃんが鉢合わせをしたらしく、何やら色々と面倒な事態に発展したようだが──結局、何が起きたのか、詳細は分からずじまい。
なぜならば、その話の途中で、会話をしていた兄と晴夏の電池が突然切れ、二人揃って夢の世界へと旅立ってしまったからだ。
わたしは寝落ちした兄と晴夏にタオルケットをかけた後、階下へと向かい、そこに紅子が登場。
そのまま、貴志との鬼ごっこになだれ込んだのだ。
…
貴志は呼吸が落ち着いたのかムクリと起き上がると、木嶋さんから渡された麦茶を受け取った。
走り回って喉が渇いていたのだろう。
それを一気に飲み干した彼は、コップをテーブルに置くと、紅子に真っ直ぐな視線を向ける。
「紅、約束通りお前のことを捕まえたんだ。俺の質問を、誤魔化さずに、答えてくれ」
紅子は、貴志の顔を訝しげに見つめた。
「何だ? 改まって──約束だからな。何でも答えてやるぞ。言ってみろ」
貴志は深呼吸すると、迷いなく質問を口にする。
「今日、科博で、アオに似た女性を見た。アオは、やはり──実在していたんだろう?」
紅子は貴志の言葉に、目を見開き、息を呑んだ。
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