第263話 【真珠】父とわたしの関係は


 眠い。

 そして暑い。


 体感温度ではない。


 愛情温度が――灼熱だ。



 現在わたしは二度寝の為、ベッドの上にいる。

 覚悟の上で腕枕をされているのだが、やはり少し落ち着かない。


 何故ならば――驚くことなかれ――添い寝の相手は、あろうことか誠一パパである。


「しぃちゃん、ゆっくり休むんだよ。もう一度、おやすみだ」


 父がわたしの額に唇を落とす。

 わたしはそれを避けずに受け入れ、コクリと素直に頷いた。



 父の腕の中で、もうひと眠りすることを決意する。



 いい加減腹を括ろう――わたしは誠一パパの懐に潜り込んでから、静かに目を閉じた。




          …



 遡ること二十分ほど前――


 貴志が二日酔いの頭痛で呻く中「お大事にしてね。わたしも二度寝してくる」と伝えて立ち上がったところ、居間に突入してきた誠一パパの手により、わたしは捕獲されることと相成った。



「しぃちゃん! ああ、やっと見つけた!」



 父は穂高兄さまの部屋を覗き、わたしの自室を確認し、二階のトイレも探索後、この居間に現れたと言っていた。




 二階から聞こえた絶叫の原因を作ってしまったのは、どうやらわたしだったようだ。


 そこは大変申し訳なく思う。


 腕の中にいた愛娘が、突如青い巨大な恐竜のヌイグルミにメタモルフォーゼしていたら――それはびっくり仰天もするだろう。


 その上、その娘の姿も部屋の中から消えているのだ。大慌てだったことは、容易に想像がつく。







 貴志は父の声でさえも頭にキーンと響くようで、耳をおさえてソファーに倒れ込む。



「あれ? 貴志くん? 二日酔いかい? ……それにしても、どうしてこんなところで寝ているんだい?」



 貴志が力の無い声で、父に朝の挨拶をしている。

 相当、頭が痛いようだ。


 その辛そうな様子から、ここはわたしが説明して進ぜようと口を開く。



「お父さ……パパ! 勝手にお部屋から出てしまって、ごめんなさい。昨夜ゆうべ、お祖父さまと約束したことを思い出して、夜中に貴志……兄さまの元に行ったんです」



 祖父から『今夜は貴志を頼むぞ』と頼まれたことを引き合いに出して説明する。



「いや、でもね。今は……詳しい理由は説明できないんだけど、お酒を飲んだ男の人の傍には近寄ったら駄目なんだよ? 聖下とも『お約束』をしたんだろう?――ああ、でも……」



 そう言って、父はわたしの頭頂の匂いを嗅ぎ、安堵の息を洩らした。



「貴志くん、ありがとう。既に『聖水』をかけてくれていたんだね。この香りは、昨夜嗅がせてくれた――あの匂いだ」



 貴志は力なく首肯し、額を抑える。

 頷くのもキツかったようで、貴志は苦悶の表情を見せる。が、それさえも絵になる為、こんな状況ではあるがうっかり見惚れてしまったわたしだ。



 父は、娘が客間に侵入したことにより、貴志が布団を追われて居間にやってきたことを瞬時に理解したようだ。「申し訳ないことをしたね」と貴志に謝罪をすると、居間の飾り棚の引き戸の中から薬箱を取り出した。


「真珠、貴志くんにお水を持ってきてあげられるかな?」


 わたしは頷いて、台所に向かうとコップに水を汲み、居間に戻ると貴志に差し出した。



 ソファー前に置かれた救急箱には――『齋賀さいが製薬』の文字。



 父の実父――わたしの父方の祖父が束ねる齋賀グループの一翼を担う製薬会社の名称だ。


 確か、少し前に父の異母弟おとうと――本妻さんの次男坊である齋賀優吾ゆうご氏が社長就任した折、身内で開かれたパーティーにて配布された薬箱だ。



 父は旧姓を――月ヶ瀬に婿入りする前の本名を『齋賀誠一』という。



 けれど、実母であるわたしの祖母ーー小夜ちゃんを妾扱いに貶めた実父を許せずにいた誠一パパは、齋賀の姓を名乗ったことはなく、普段は『滝川誠一』と名乗っていたらしい。



 何故、そんなことを知っているのかというと、以前出席した齋賀家の酒宴で、大人達が話しているのを何度か耳にしたことがあるのだ。



 その時は何の話をしていたのか理解できなかったが、今なら分かる。


 相当複雑な家庭環境だ。



 実はアルサラームの後宮も権謀術数渦巻く複雑な場所なんだろうなと思っていた理由は、この齋賀家の本妻さんと内縁の妻二人と、その息子たちの話を知っていたから――だったりする。



 身内だけで祝われた優吾叔父さんの社長就任パーティーで、わたしと兄も父に連れられ、本妻さんに挨拶をした記憶が残っている。けれど、小夜ちゃんともう一人の内縁の奥さんはその席にはいなかった。



 その時は子供心に不思議に思ったのだけれど、今なら分かる――夫となる人物を別の女性と共有するような間柄で、良い関係を築ける訳がない。



 少なくとも、わたしは誰かと貴志をシェアするような関係は絶対に嫌だ。



 だから、本妻と内縁の妻――いわゆる正妃と側妃の関係は、相容れないものだと思って、疑っていなかった。



 ラシードの話から――正妃と他二人のお妃達は協力関係にあると聞いて、そういう形もあるのか!? と驚愕すら覚えたのだ。


 それはお国柄や宗教観も影響しているのかもしれないが、あの話をラシードから聞いた時は、世の中の価値観の広さを見せつけられた気がした。








 父方の祖父は相当な曲者で、腹違いの兄弟全てを後継候補として扱い、小さい頃から競わせていた節が見受けられる。


 子供時代に小夜ちゃんから引き離されて、齋賀本邸にて帝王教育を受けてきた誠一パパ。


 父は、異母兄弟とは言え、血の繋がった兄弟同士をいがみ合わせながら競争させた実父を、未だに毛嫌いしているようだ。



 齋賀グループの最年長男児であり、実は最有力の後継者候補であった父は、結局それを蹴り、美沙子ママとのお見合い結婚を選択したそうだ。



 月ヶ瀬に婿入りを果たした父は、その不毛な潰し合いから離脱し、今では異母弟三人との関係は良好とのこと。



 それは、優吾叔父さんの社長就任パーティーでも感じられた。

 父の周囲にいる間だけは、異母弟たちは終始和やかであったことからも伺える。



 現在では異母弟達のよき相談相手であり、天下の月ヶ瀬グループの次期総帥という立場にある父は、彼らにとっては倒すべきライバルではなく、手を取り合うべき相手へと変わったのだろう。



 父はこの五年間、美沙子ママとの関係に悩みつつも、母親の違う弟たちのことも気にかけ、心を砕いていた。それは、叔父さんたちの会話からも想像できた。




 あまり深く考えないようにしていたけれど、『真珠』の記憶を掘り返すと、実は誠一パパの人間的魅力にも気づき始めているのも確かだーーいや、心の奥底で分かっていたからこそ、父親として接する気恥ずかしさがあったーーと言う方が正しいのかもしれない。




 誠一パパは、娘への態度を除いては、非の打ち所のない優秀な男性だ。



 盲目的に愛されているだけだと感じていたけれど、それは美沙子ママへの愛情の代わりというだけではなく、子供の頃から愛されることに飢えていた、父の悲しい少年時代がそうさせていたのかもしれない。



 父が母へ向ける執着にも似た愛情。

 子供に対する過度な溺愛ぶり。


 それらは、殺伐とした家族環境に身を置いていた反動なのだろう――そう思うと、父を避けることを申し訳なく感じてはいたのだ。



 昨晩、貴志が洩らした言葉を思い出す。



『……お前はもう少し、義兄さんに歩み寄ることはできないのか? 俺が今回の一連の話をした時に、かなり心を痛めて……お前をどうしたら傷つけることなく守れるのかと、必死に対策を練っていたぞ? 立派な父親だと思うがな……』




 何となくキッカケが掴めずに、父を避けていたけれど、もう逃げるのは終わりにしたほうがよい……頃合いなのかもしれない。




 わたしは、決意を秘め――父に向かって、手を伸ばした。


 震える声を、小さく絞り出す。




  「パパ、眠い……抱っこ――」




 その言葉に、父は息を呑んだ。

 ゆっくりと右手で口元を覆うと、何故か微動だにしなくなってしまったのだ。



 そして――暫くの時間を要してから、わたしに向かって、優しく微笑んでくれた。




「ここのところ、パパを避けていると思っていたけど、反抗期は……もう終わりかい?」




 父の科白に、わたしはコクリと頷いて、両手を更に上に伸ばす。


 父は大切そうにわたしを抱き上げ、そっと抱き締めてくれた。


 その肩に顎をのせると、何故かホッとした気持ちになったのは『真珠』の心なのだろうか?



「貴志くん、真珠はわたしの寝室に連れて行くから、ソファーではなく客間の布団で寝て、ゆっくり疲れをとった方がいい。その薬は効くからね、一眠りした頃には、良くなっている筈だよ」



 薬を飲んだ貴志はソファーから起き上がり、わたしの様子を見て、嬉しそうな表情を見せる。



 わたしは照れ隠しもあって、父に抱きついたまま首を引っ込めてしまう。その瞬間、貴志の小さな笑い声が耳に届いた。



 父に抱えられたまま居間の扉を出る直前、その肩越しから貴志を覗き見る。



 彼は口角を上げて、わたしたち父娘を見送っていた。



 わたしがそっと手を振ると、貴志は目を細め――手を振り返してくれた。







【後書き】

いつもの2倍量の文章で一話となっておりますが、長く感じられたら申し訳ありません。


一話に纏めたかったお話でした。


読んでいただき、ありがとうございます!

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