第232話 【真珠】一触即発!
「ハルちゃん! ハルちゃん、大変なの。シィちゃんが、シィちゃんが!」
そう言ったかと思うと、涼葉はダイニングテーブルに座る貴志を確認し、キッと睨み付けて大声で叫んだ。
「あのお兄さん――ううん! お兄さん、違うもん! あの人とシィちゃんが結婚するって! シィちゃんは、ハルちゃんのお嫁さんなのに!」
意味を解せなかった者は理解しようと静まり返り、その後、全員の動きがピシリと固まった。
誰も声を出せずにいたところ、飛鳥が空気を読まずに口火を切る。
「いやいや、真珠は、うちの翔平と結婚するんでしょ? 指切りしてたよね。わたしは知っている!」
飛鳥が首を傾げてわたしの顔を覗き込む。
来た――これは、お断りするのは今だ!
と思い、口を開こうとしたところ――
「真珠、お前、モテモテだな。どこぞの国の王子さまからも求婚されたんだって? 美沙から聞いたぞ。なかなか、面白いことになっているな」
その言葉の主に、その場にいた面々が一斉に視線を向けた。
「
飛鳥が茫然と呟いて、慌てて敬称をつけたのち、目を何度も擦っている。
ああ、そうだ。
そういえば紅子は有名人だった。
「紅子は、お母さまのお友達なの。今日はトウモロコシを受け取りに来たんだよ。あとで、飛鳥にも渡すから持って帰ってね」
わたしが説明すると飛鳥が「そうなんだ」と呟いて、紅子に自己紹介がてら挨拶をはじめる。
さすが礼を重んじる剣士。
飛鳥は颯爽とした動きで起立し、深々と
紅子に向かって腰を折る所作は、身体の中心に一本の線が通っているようで、大変美しい。
翔平はわたしが膝に座っているため、軽くお辞儀をするだけに留まった。
紅子は楽しそうに、飛鳥に問う。
「で? 飛鳥とやら、結婚の約束とはなんだ? 王子さま求婚事件と情報交換だ! 話してみろ! スズも貴志に噛みついていないで聞いておけ。ハルの強力なライバル出現かもしれないぞ。穂高も……訊きたそうだな」
この話題を逃してたまるか――と、紅子の瞳がキラリと輝く。
晴夏も何故か紅子によって、無理矢理ライバルに仕立て上げられ、訳の分からぬ戦いに参戦させられてしまったようだ。
哀れなり、晴夏――わたしは心の中で手を合わせる。
紅子の言葉に、飛鳥は「等価交換ですね。
飛鳥は口元に拳を作り、それをマイクに見立て、コホンと咳払いをする。
「それは、ある夏の日の夕暮れ時のことだった――一輪の可憐な花のごとき少女が、ガサツな浪人剣士に、花嫁衣装を着たモデルの載る雑誌を見せたことから始まる、初々しくも切ない恋物語――」
紅子は身を乗り出して「ほうほう」と相槌を打つ。
翔平を振り仰ぐと、死んだような目をしていたのだが、ハッと我を取り戻した彼は、すかさず訂正を入れる。
「ちげーよ!」
ツッコミ遅れそうになっていたようだが、即時一刀両断し、飛鳥に反撃をはじめる。
「なんだそれは? つーか、飛鳥、お前、聞いてたのかよ。盗み聞きとは、剣士の風上にもおけない行為だな。見損なったぜ」
翔平の言葉に、飛鳥は
「何を言うか! 主君のために身を賭すのが真の剣士! 盗み聞きのような泥仕事でさえもやってのけるのが、まっことの忠義じゃ! お前は黙っておれ」
神林姉弟の遣り取りを目にした紅子が、わたしに目を向ける。
「真珠、なんだコイツラは。お前の周りは、面白い人間が多いな! 変人ホイホイか」
それを言ったら、お前が最たる代表格だぞ――と、紅子を見上げる。
わたしは溜め息をこぼしながら、夏休み前に翔平と交わした会話を思い出す。
『これ着たい!』
『チビ? これは花嫁さんが着るんだぞ』
『うん、着たい! 翔平のお嫁さんになってあげるから、真珠、これ着る! はい、指切り! やったーっ ドレス~!』
『ははっ ドレスか。しょうがねーなー。よし、指切りな。これでいいか?』
ものすごく楽しそうな遊びに合意してくれたことが嬉しくて、その後、翔平に抱きついて喜んだのだ。
まさか飛鳥がその様子を隠れて見学していたとは、露ほども思わなかった。
紅子とその他の面々に対して、時代劇調に語り尽くした飛鳥は、目的を成し遂げてかなり満足げだ。
しかも少し創作が入っていたので、立派な『恋物語』に仕立て上げられていたようだ。
何がどうしてそうなったのか、彼女の頭の中の構造を是非とも知りたい。
翔平は、相当疲弊しているようだが、口では飛鳥には敵わないと知っているので、もう何も言わない。
姉弟の力関係の軍配は、常日頃の舌戦で勝負がついているらしい。
翔平、おぬしも、晴夏同様残念な家族を持ってしまったのだな、哀れなり――と、
勿論わたしは、迷いもせずパクリとそれに食いつき、舌鼓を打つ。
飛鳥の話を聞き終えた紅子が、今度は『王子さま求婚事件』を面白おかしく熱弁する。
その間、わたしは翔平から巨峰をもらい、時々お手拭きで彼の指を拭いてあげつつ、無心で食べ続けた。
翔平も二人の話に付き合っていられなかったようで、今は巨峰の皮むきに集中している。
兄はこちらをチラチラうかがいつつ飛鳥と紅子の話に耳を傾け、晴夏は微動だにせず翔平を凝視中だ。
貴志は頬杖をつきながら、木嶋さんの出してくれたお茶を飲んでいる。
「で? 真珠、お前は誰が一番気になるんだ?」
「真珠? わたしの
紅子と飛鳥が、わくわく笑顔で
「シィちゃんは、スズのお姉さん……だよね?」
そこに涼葉が加わり、確認するようにわたしの目を覗き込む。彼女は既に涙目だ。
わたしが「うっ……」と言葉に詰まっていると、兄がすこぶる美しい笑顔で、わたしに笑いかけた。
兄の笑顔を怖いと思うなんて、わたしは二人の話で極度の疲労状態に陥っているようだ。
「真珠? こっちにおいで?」
そう言って、兄が自分の膝の上を軽く叩く。
他人様である翔平に迷惑をかけられないという責任感と、昨日のラシードとエルとの一件を聞いて、これ以上実妹であるわたしを野放しにしてはならない、という使命感が生まれているのかもしれない。
皆さんがお帰りになったあと、久々にお小言を言われるのだろうか?
少しだけビクビクしていると、それを察知した翔平が助け舟を出す。
「おい、なんかチビが怯えてるぞ? お前の、その作り物みたいな笑顔が、怖いんじゃねーの?」
翔平、おぬし……天使で王子な我が兄上様になんと言うことを――と思っていたところ、兄の視線が
【後書き】
本日、夕方五時と夜九時に更新予定です。
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