第231話 【真珠】翔平、見参! 後編


 木嶋さんがソファー前のテーブルに、ケーキとアイスティーを運ぶ。


 翔平と飛鳥、それから兄と晴夏――四人分のおやつが卓上に並び、「どうぞお召し上がりくださいね」と木嶋さんが勧めた。


 貴志に呼び戻されたわたしは、残りのオムライスを完食するのが先とのことで、四人の様子をうかがいつつ口を動かす。


 テーブルを囲んだ四人は、自己紹介がてら挨拶をしているようだ。



 神林姉弟はお隣に住んではいるものの、わたし達月ヶ瀬兄妹とは年齢も離れているため、穂高兄さまと遊ぶような間柄ではなかった。



 翔平は公立の小学校に通い、兄は愛音学院の初等部に通っているため接点もない。

 同年代の少年が隣家にいるということはお互いに知ってはいるけれど、殆ど初見に等しいのだ。






 小学校から帰宅しても習い事に勉強にと忙しかった兄は、兄妹といえども『真珠』との交流でさえ頻繁ではなかった。


 兄妹ではあるが、遊ぶことが少なかったことにも理由がある。


 正直に言うと、『真珠』自身、兄のことが少しだけ不得手だった――好きではあるけれど、少し苦手という微妙なラインを彷徨う兄妹関係だったのだ。


 甘やかされて躾のされていなかったわたしに対し、兄が心配してお小言を言うこともあったため、真珠は「また意地悪を言われた」と感じていた節があるのだ。

 今となっては大変に申し訳ないことなのだが……。



 反して翔平は、本当の兄妹ではないけれど、兄よりも身近な存在になっていた。

 兄が自宅にいない放課後は、毎日では無いにせよ、かなりの割合で翔平と一緒に過ごしていたのだから当然とも言えよう。



 わたしはオムライスを食べながら、翔平に視線を移す。



 真珠の記憶だけの頃は、兄穂高の突出した顔面偏差値の高さに、他の男の子の顔はあまり認識されていなかった。


 けれど、こうやって見比べてみると、翔平もなかなか素敵な顔立ちをしていることが判明する――本当に今更ながらで申し訳ないのだが。


 しばらく会わない間に伸びた背。

 少年らしい精悍さが加わった顔つき。

 夏の日射しに焼かれた肌も、翔平の良さを際立てるのに一役買っているのだろう。


 そう言えば、翔平は運動神経抜群だと飛鳥から聞いていたので、きっと小学校では女子児童からの人気も高いに違いない。





 オムライスを食べ終わり貴志にお礼を伝えると、木嶋さんが翔平持参の巨峰を洗って出してくれた。


「ソファーの方に大皿で準備しますから、真珠さんもそちらに移動して、ご一緒してくださいね」


 そう言いながら取り分け用の小皿も準備してくれる。


 わたしは木嶋さんに「ありがとうございます」と伝え、巨峰に向かって突進した。



 巨峰と言えば翔平宅の裏庭の縁側で食べた記憶ばかり。



 その記憶に引っ張られ、いつもの調子で、わたしは翔平の膝の上に座ってしまったのだ――まったく疑問に思うことなく。


 真珠のいつもの習慣が、ここで遺憾なく発揮された。


 翔平の指先にて燦然と輝く、緑色の宝石のごとき果肉に狙いを定めたわたしは、その指先の巨峰へと、迷いもなく食いついたのである。



 兄と晴夏が、茫然とその様子を目で追っていたことを認識したのは、彼らと対面に座り、身体を正面に向けてから。


 気づいた時には、後の祭り――時、既に遅しの状況だ。



「真珠!? 何を……っ」

「シィ!?」



 そして、兄と晴夏がわたしの名を読んで絶句した冒頭の状況につながるのである。






「真珠、こっちも皮を剥いたから、服を汚さないように、いつもみたいに翔平に食べさせてもらいな」


 飛鳥が笑いながら、皮を剥いた巨峰の果肉の入った硝子の器を手渡す。


「ありがとう。飛鳥」


 にっこり笑ってお礼を言うと、飛鳥が「うっ 尊い!」と言いながら、ぎゅーっと抱きしめてくれる。



「……いつも……?」



 兄の呟きが耳に入った。



 実の妹が、自分の知らない所で、まさかお隣の姉弟にまで迷惑をかけていたのかと、絶望しているのだろうか。


 いや、もしかしたら、責任感の強い兄は、自分の監督不行届を悔やみ、恥じているのかもしれない。



 どうしよう。

 お兄さまに、他人ひと様に迷惑をかける不肖の妹と思われ、嫌われてしまったかもしれない。


 不安な思いに駆られるが――巨峰から目が離せない。




 晴夏からは、絶対零度の冷気が漂ってくる。



「…………」


 ひたすら無言を貫く彼は、まさしく氷の王子。


 目が合っただけで、氷のやいばに切り裂かれた気分になり、とてつもなく居たたまれない。



 彼も、わたしの行動に呆れ返っているのだ。

 あの眼差しと彼から漂うこの冷気は、おそらく――そういうことなのだろう。



 非常にマズイ。

 ピンチだ――でも、『真珠わたし』は巨峰を食べたくてたまらない。



 葛藤していると、二階から紅子べにこと共にいた筈の涼葉すずはの絶叫が届いた。



「そんなの、ダメーーーーーーッ!!!!!! いやーーーーーー!!!!!!」



 断末魔の叫びのような激しさに、どうしたのかと思っていたところ、ベソをかいて暴れる涼葉が紅子と共に居間へやって来た。



 涼葉は晴夏を見つけるなり慌てて駆け寄り、涙ながらに的を得ない言葉を並べたてる。



「ハルちゃん! ハルちゃん、大変なの。シィちゃんが、シィちゃんが!」



 そう言ったかと思うと、涼葉はダイニングテーブルに座る貴志を確認し、キッと睨み付けて大声で叫んだ。



「あのお兄さん――ううん! お兄さん、違うもん! あの人とシィちゃんが結婚するって! シィちゃんは、ハルちゃんのお嫁さんなのに!」




 意味を解せなかった者は理解しようと静まり返り、その後、全員の動きがピシリと固まった。





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