第166話 【葛城貴志】月ヶ瀬誠一について
真珠を見送り、ひとり残った化粧室。
取り出したスマートフォンを、洗面台に連なる大理石のカウンターに置く。
壁一面に嵌め込まれた鏡に映る自分の姿が目に入り、羽織っていた上着の胸元に視線が吸い寄せられる。
着用していた麻のジャケットの左胸にそっと手を当てると、平面状の硬い質感が指先に触れた。
内ポケットに手を入れ、取り出したのは、淡い青地の封筒。
『切り札』と伝えられ、義兄から渡された
彼は「開けてはならない」と言っていた――が、あれは本意だったのだろうか?
封筒の中身について、彼は一切言及せず、首席秘書と共に去って行った。
――ずっと腑に落ちなかった。
『切り札』とするには、その手札の内容をカード所持者が熟知していなければ、ここぞという時に意味を成さない。
あの義兄が、そんな詰めの甘いことをするのだろうか?
何故か、父親である義兄に対しての真珠の評価は、あまり高くない。
それは、真珠に対しての溺愛ぶりから来る認識のようだが、世間一般から見た彼の印象は、彼女の持つであろうイメージと、大きくかけ離れているのだ。
月ヶ瀬誠一 ―― 三十代の若さで月ヶ瀬グループ次期総帥として、巨大な財閥系企業を実質率いている経済界の寵児。
財界の風雲児とも評され、かなりの
開封するな、と念押しはされた。
だが、それで本当に真珠を守れるのだろうか。
(――俺なら、どうする?)
封蝋に触れながら数瞬考えを巡らせた後、迷うことなくシーリングを剥がす選択をとる。
開封した中には、手書きのメモと写真――更には、もう一通の封筒が入っていた。
水色の封筒から、それら三種類の物を全て取り出し、ひとつずつ確認していく。
メモには電話番号が記され、同封された写真にうつっていたのは、今朝方まで滞在していた星川リゾート『天球』――石のチャペル内部の祭壇だった。
もう一通の封筒は、厳重にシール付けされていたので、未開封のままカウンターに置く。
メモの携帯番号をスマートフォンの画面に打つが、どうやら義兄のものではないらしい。
おそらく、俺がこの封筒を開けると予測した義兄が入れたもの。
ここに連絡しろと言うことか。
次いで、同封された写真を確認する。
石のチャペル『天球館』内部を、入り口から撮影した構図だ。
手前に参列者用の椅子が並び、後方には祭壇。
更にその奥には、太陽系の惑星を象った色鮮やかなステンドグラスが存在感を放つ。
ここに『祝福』を辞退する根拠が隠されているのだろうか。
穂高からのメールを再度確認し、最後に示された内容に目をとめる。
『過去、王族からの『祝福』を辞退した女性あり。
太陽神の神殿で一般男性との婚約の儀式を既に行っていた為、『祝福』は無効となった。』
義兄が、穂高と同じくこの情報を持ち、これを根拠に辞退を願うのだとしたら、真珠は既にラシード王子以外の人間とこの儀式を行っていないと成り立たない。
穂高からのメールを再読した処、ある部分に目を通した時、突然何かが心に共鳴した。
『太陽神シェ・ラのシンボルマークの元での誓いが最優先。(シンボルマークについては調査中)
太陽神への供物として『音』の奉納を行う必要がある』
「音の、奉納……」
これは、つまり――演奏を意味しているのだろうか?
脳裏に浮かんだのは『クラシックの夕べ』――そのコンサートの中で起こった一連の出来事。
これは――
「そういうことか……」
先程、案内された部屋に掛けられたタペストリーに描かれていたのは、デフォルメされた太陽だ。
どこかで見たことがあると思っていたのだが――目撃した場所は石のチャペル『天球館』
写真を手元に
「同じだ……」
このステンドグラスの太陽とタペストリーの紋様が、ピタリと一致する。
月ヶ瀬幸造と葛城千尋の結婚式の際、現アルサラーム国王から贈られた、あの教会。
まさか、チャペルに太陽神シェ・ラの象徴が隠されているなど、誰が想像できただろう。
次いで、厳重にシーリングされた封筒を手に取る。
俺の予想が正しければ、この中には二枚の写真が入っている筈だ。
一枚は、真珠と晴夏。
もう一枚は、真珠と俺の――接触事故の写真。
その双方の背面には、ステンドグラスの太陽――シェ・ラを現すシンボルマークが映っているのは間違いない。
いや、もしかしたら、写真は一枚のみ――真珠と俺の写真だけかもしれない。
二人が事故で接触した箇所は――唇だ。
これだけで最上の誓約としての用を成す。
シェ・ラの象徴前での誓いに見せかけた、あの一瞬を切り取った写真は、『祝福』辞退への大きな理由になるだろう。
指示された番号に連絡を入れるべく、スマートフォン画面に触れる。
着信音が一度鳴ったかと思うと、応答した相手が『お待ちしておりました』と丁寧に挨拶を返す。
先程、部屋まで足を運び、義兄を迎えに来た首席秘書の声だ。
俺は息を吸ってから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「会談中に失礼します。急ぎの要件になるかと思い、取り急ぎこちらに連絡させていただいた次第です」
『葛城様からのご用件のみ、会談中でもお取り継ぎするよう月ヶ瀬からは承っております。少々お待ちくださいませ』
首席秘書の声が返され、暫く待っていると義兄の声が耳に届いた。
『貴志くん、待っていたよ。君なら必ず開封すると思っていた――取り敢えず、合格だ』
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