第167話 【葛城貴志】義兄と父の取り引き
『試すようなことをして、申し訳なかったね。だが、こちらも君が
義兄は、落ち着いた声でそう語った。
彼
『祝福』を辞退したい義兄と、俺を月ヶ瀬の要のひとつに加えたい父。
ラシード王子からの『祝福』がなければ、この案は生まれなかったのだが──そう前置いて、義兄は語る。
『切り札』を使用した場合、王族との婚約を拒絶することになる。
そうなった場合、ただ辞退するだけでは済まされない。
辞退理由に基づく行動をしなければ信用問題にも関わり、アルサラーム王家を侮辱したことになりかねないのだ──と。
『これは、月ヶ瀬グループを飛び出した君が、障害なく月ヶ瀬の事業に将来的に携わる為の布石のひとつにもなる。
対外的にも、現在の真珠の年齢問題もあるので、名目上の措置だと理解される。将来、君に特別な女性ができた時点で破棄してもらってかまわない──解消されることが折り込み済みの、一時的な契約だ。お互いの名誉を傷つけることにもならない』
つまり、それは──
「真珠と俺を暫定的に、婚約関係に置く……ということですか?」
義兄の顔が見えない為、彼が何を考えているのか、どんな思いでいるのか、全く検討もつかない。
『話が早くて助かるよ。君には不服な措置かもしれない。だが、真珠を助ける為に──ひいては君の、月ヶ瀬グループ復帰への一助と考えて、暫くの間、協力して貰いたい』
確かに、彼女を助ける為には、一番確実な方法ではある。
けれど真珠は、大人の思惑に塗れたこの契約を、どう思うのだろう。
「真珠の……彼女の意志は? 何と伝えるつもりですか?」
俺の言葉に、義兄は「う〜ん」と唸る。
『悩んだけれど、真珠には伝えないよ。あの子は、まだ子供だ。言っても理解出来ないだろうし、『祝福』辞退のほとぼりが冷めるまで──もしくは、君の立場が落ち着くまでの短い期間のことだ。真珠が十にも満たない内に解消される──単なる契約だ』
それは、真珠がただの子供であるのならば有効な方法だろう。
けれど、彼女は違う──心は、子供のそれではない。
ただ、その事実を、義兄は知らない。
「『祝福』辞退の為の措置として、協力することは勿論可能です。月ヶ瀬から逃げるつもりも、今はもうありません。
けれど、必ず彼女にも義兄さんの方から伝えていただきたい。真珠は──彼女は、確かに子供ですが、自分というものをしっかり持っています。彼女の心を、大切に……汲み取ってあげてください」
彼女の心──その言葉で、今日の真珠の様子を思い出す。
真珠は、何かを恐れている。
ここ最近、妙に積極的に仕掛けてくるのは、初めての恋愛感情に前後不覚になり、舞い上がっているからだと思っていた。
俺も、自分の中の慕情に気づいた『紅葉』での夜──心が浮き立つような感覚に捕われ、失態を演じて間もない。
言い訳をするのであれば、あの夜の彼女の姿は、何故か子供には見えなかった。
こうであって欲しいという、己の願望が見せた幻だったのだろうか?
正直、彼女の両親である義兄と美沙に対しても、顔向け出来ない状態に陥った自覚はある。
そんな自らの失敗談から導き出したここ最近の彼女の態度は、慣れない恋情の揺らぎによって生じたものだと思っていた──だが、それだけではないことが、先程の会話の様子で伝わった。
想いが通じ合って尚、いや、通じ合ったからこそ、彼女は将来的に現れるという女性の影に怯えているような気がする。
これは、俺の
できれば、そうであって欲しい。
けれど、彼女は何故か、その女性が現れる迄と期間を限定し、俺との思い出を作ろうと、必死に行動している気がしてならない。
今後現れるという、俺や穂高や晴夏、それにラシードの想い人となるという『女性』──本当にそんな人物が存在するのだろうか。
俺にとって、いや、穂高や晴夏にとっても、真珠以上に心惹かれる人間が容易に現れるなど、あり得ないことだと理解している。
彼女が救いの手を差し伸べてくれたから、俺も彼等も、今こうやって笑顔を取り戻せたというのに。
けれど、残念なことに彼女は、そのことを分かっていない。
俺にも彼等にとっても、彼女だけが何者にも代え難い、かけがえのない存在だと言うことに思い至ってもいない。
自分はその女性が現れるまでの『代用品』だと──そう思っている節さえある。
先程も『キスをしたいと思った』と、彼女は口走っていた。
普段の彼女なら──通常の精神状態の真珠であれば、絶対に言わない科白だ。
彼女の心に無意識に宿る、その憂慮を消し去りたいのだが、今は何を言っても聞く耳を持たないだろう。
もしかしたら、本人でさえ、その心に根付く憂いに、まったく気がついていないのかもしれない。
俺自身の彼女に対する想いは、今後何があっても変わることがないと訴えても、彼女はそれさえも信じてくれないような気がする。
その事実が悲しくもある。
けれど、それよりも辛いのは──いつか訪れる別れを念頭に、その覚悟の元で俺との時間を送りたいと、希う姿を目にする時だ。
ふとした瞬間に届く、焦燥の眼差し。
心を隠し、必死に笑顔をつくる彼女。
心変わりなどあり得ないと断言できるが、もしも俺の心が他の誰かに奪われた時には、笑顔で送り出そうとしている決心が伝わる。
それが、例え──彼女自身の心を犠牲にすることになったとしても、それを成し遂げようと……全てを無かったことにする──そんな諦めが見え隠れするのだ。
どうしたら、この想いは募るばかりだと、彼女に信じてもらえるのだろう。
どうしたら、彼女の心から、不安を取り除くことが出来るのだろう。
それはこれから、何年もかけて、彼女に真摯な想いを伝え続けるしかないのかもしれない。
「義兄さん、わたしは真珠に対して、常に誠実でありたいと思っています。それはきっと、これからも変わらない。彼女は、あなたや美沙が思っているよりも、
義兄が静かに笑い、穏やかな声が耳奥に届く。
『貴志くん。真珠が君に懐いていると義母から聞いた時は、とても驚いたんだ。昔から、かなり気難しい子だったからね。でも、その理由が今、分かった気がする──ありがとう。真珠には、わたしからも必ず伝えるよ。ああ……勿論、君から先に話してくれても構わない。
迷惑をかけて済まないね。本当に、ありがとう』
その後、暫く義兄と月ヶ瀬グループについての会話をし、封筒の中身については、俺の憶測通りだと伝えられた。
晴夏との接触については、鷹司家との兼ね合いもあるため使用していないとのこと。
身内だけで処理の出来る、俺と真珠との事故の写真のみ同封してあると伝えられた。
万が一の時には、それを根拠に辞退して欲しいと零した後、義兄は溜め息をついた。
『幼い子供相手に『将来の誓いを立てた』と君に宣言させるのは大変申し訳ないが……あの接触事故は、我が家にとっては天の助けだった。正直、初めて目にした時はショックで言葉を失ったが……』
深い溜め息を再度落とした義兄は、今日の展開にもよるが、後日家族内での話し合いがもたれるだろうと、その話題を締め括った。
通話を切る間際、義兄が言っていた内容で気になったこともひとつあった。
『実は国王陛下との会談では、真珠の受けた『祝福』について、アルサラーム側からは未だに一言もないんだ。もしかしたら、ラシード王子の近侍が情報を止めている可能性がある。だから、月ヶ瀬側からは様子見の為、黙秘を貫いている現状だ』
──エルが、情報を止めているのだろうか?
そう思っていた処、義兄からの忠告が入った。
『ラシード王子の侍従エル=ハマットには、特に気をつけた方がよい。あれはおそらく……、いや……憶測でものを伝えるわけには、いかないか……。詳しいことを話せなくて申し訳ないが、真珠を宜しく頼むよ』
義兄はおそらく勘付いたのだろう──エルが今まで一度も表舞台に現れたことのない、切れ者であると噂される第三王子──教皇聖下だということに。
義兄の慧眼には、恐れ入るばかりだ。
敵にまわしたら恐ろしくもあるが、彼がこちら側にいる限り、月ヶ瀬は安泰だと安堵の息をついた。
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