第46話 【幕間・番外編・手塚実】『初恋』と「あの美女は?」


「あれ? オーナーが仮眠室で寝てる? 何かあったのか? 手塚?」


 休憩室兼仮眠室に立ち寄った男性スタッフが俺に質問してくる。


「ちょーっとワケアリなのよね。問題があったわけじゃないから。大丈夫よー」


 飲み物を買いに行っていた安西が戻り、横入りして答える。


「ふーん、そうか」と言って、その男性スタッフは出ていった。


 今から1時間程前に、俺と安西千夏はオーナー部屋からの内線電話に慌てて飛び出したのだ。


 オーナーと真珠さんから醸し出される、少し妖し気な雰囲気に呑まれていた俺は、自分でも何故そんな誤解をしてしまったのか分からないが、オーナーが彼女に無体な真似を働いたのではないか、と気が気ではなかった。



 そんなヤツではなかった筈なのにどうしてしまったんだ?



 そう思いながら、俺の勘違いであってくれと祈りつつ、もしもの場合に備えて念の為女性もいた方が良いと思い、安西と共に駆けつけた。


 するとそこには、さめざめと泣きはらしながら着崩れた浴衣を羽織り、座り込む彼女がいた。


 安西も何事かを発見したようで、慌てていたが、どうもオーナーの様子がおかしい。


 何がそんなにおかしいのか、声も出せないほど笑っているのだ。


 全く、状況が飲み込めない。


 しかも、オーナー……いや、葛城がこんな楽しそうに笑う姿を初めて目にして、安西と二人して同時に衝撃も受けたのだ。



 真珠さんの様子は、額にタンコブができたところ以外は至って元気そうで、更に今まで目にした二人の様子――俺が勝手に作り上げた妄想なのか? いや、そうではないと思いたいのだが――それとは違って、疚しさを感じるどころか、お互いにとても信頼しあっている会話と態度も見受けられた。



 結局、俺の多大なる勘違いと言うことが分かり、真珠さん就寝後、葛城には大仰に溜め息をつかれた。

 が、今日一日の様子や言動から色々と誤解してしまったのは、仕方がないのではないか、とも思った。



 その後、俺と安西の休憩時間になり、三人で仮眠室に移動したのだ。オーナー部屋で話していては、真珠さんが起きてしまうと言うことで。


 オーナーは今朝四時起きで長時間ドライブの末に『紅葉』に辿り着いたらしく、仮眠室に入って割とすぐに眠ってしまった。


 そして今に至る。


「いやー、良いもの見せてもらったわ〜」


 安西は嬉々として言いながら、コーヒー缶のプルトップを引き上げた。


 「はい、どうぞー」と言って、彼女は俺とオーナーのために買ってきてくれたコーヒーを手渡す。

 それを受け取り、お礼を言いつつ蓋を開ける。


「オーナーの人間味溢れる姿を拝める日が来るとはねぇー」


 同感だ。


 俺の父は星川リゾート中禅寺湖『天球てんきゅう』にて現在総支配人をしている。


 葛城は小さい頃から、夏になると親に連れられ『天球』にやってきて数日を過ごしていた。


 その当時、葛城は『月ヶ瀬貴志』と名乗っていた。


 同年代の子供と遊びたいだろうと、『星川リゾート』オーナーの葛城千景夫妻から声をかけられ、俺はアイツとよく遊んだのだ。


 だが、葛城が中学生の頃『天球』に来て『葛城貴志』と名乗るようになってから、アイツは影を抱えるようになった。


 気にはなったが、俺の踏み入ってよい領域ではなかったのを子供ながらに察知し、結局俺はなにもしてやれないまま、時だけが過ぎてしまったのだ。


「そうだな」


 俺は、先ほどの安西の科白に頷く。


「あーあー、気持ちよさそうに寝ちゃって。こんな所で寝ないで、そのまま美少女ちゃんの隣で寝ちゃえばよかったのにねぇー」


 安西は葛城の顔をのぞきながら、うふふふ~ん、と笑う。


「ここで寝るくらいなら、オーナー部屋の方がよっぽど寝やすいもんな。まあ、話があったから一緒に来たんだろうけど、すぐに寝落ちとは、やっぱり疲れていたんだろうな」


 俺がそう言うと、安西は目をパチクリさせる。


「やだ、鈍感。これだから、手塚、アンタはモテないのよぅ。イケメンの部類なのに勿体ないー。その顔に対しての冒涜よぅ」


 俺はムッとして、安西を見、それからコーヒーを飲んだ。


「鈍感ってどういうことだよ。ったく、好き勝手言いやがって」


 その言葉を受けて、安西はちょっと勝ち誇ったように腰に手を当てる。


「美少女ちゃんが障子をあけて布団に飛び込んだ時、オーナーがあの布団の敷き方に一瞬動揺を隠せなかったのに気づかなかったの?」


 なんだそれは?



 そんな思春期はじめの頃ではあるまいし。そんなことで焦るわけが――



 そう思って、今日一日、俺が葛城と真珠さんに対して感じたあの背徳感のようなものを改めて思い出す。



「あー、なんか琴線にひっかかったっていう顔してるー。鈍感手塚でも分かるーってことは、周りには駄々洩れってことよ。ま、実際にはオーナー、気持ちを上手く隠してるから、わたしもさっきの二人を見るまでは気づかなかったんだけどさ。まさか鈍感手塚に先手を取られていたとは、これはショックだわ」



 え? でも、まさか? やっぱりそうなのか? いや、でも年齢差が、と考えがまとまらずにいると、安西が言葉を繋げる。



「遅すぎた『初恋』ってやつよぅ。本人もまだ気づいていないか、気づいていたとしても、まだ最近なんじゃない? だから、思春期のような対応しかできなくて、戸惑っていると言うか……。だってオーナー、どうみても女性経験豊富そうでしょう。それが、美少女ちゃんに関してはこのザマよ。いやー、本当、いいもの拝ませていただいちゃったわ。」



 初恋――か。


「このルックスじゃない? だから周りに寄ってくる女は五万といただろうし、大方オーナーの上辺だけを見て媚びる浅はかな女が多かったんじゃないの? まあ本人も心をガードして、近寄ろうとする人間を寄せつけない所もあったんだろうけどさ」


「そういうものかね? 人との間に壁をつくりまくっていたのも確かだけど。それでも昔からモテてはいたな」



 オーナー部屋での二人の会話と態度を思い出す。



 お互いの心の奥に入り込んで全てを許しあっているような、心に壁のないやり取りをしていた。とても大切にしあっているのが理解できて、俺の誤解もとけたのだ。



「すべての垣根を取っ払って、オーナーの心のど真ん中を掻っ攫っちゃったんじゃない? 今まで出会ったことがなかったんでしょ? ああいった心にスルッと入り込んでくるタイプに。なんというか、美少女ちゃんは年相応じゃないのよ。仕草とか、あの雰囲気とか。魔性の女予備軍って感じねー。いやー、将来楽しみだわぁ」



 安西は、面白い玩具でも見つけた、というようにかなり楽しんでいる。



「うーん……かもな。俺も……実はヤバかった。あの『目』を見ると、大人の女に見える時があって……錯覚なんだろうけどさ……、長時間一緒にいるのは危険だ」



 夕食給仕の時に、心を持ち去られそうになったことを正直に洩らすと、安西は「これだから女性経験の乏しい男は大変なのよぅ」と言ってから、プププと楽しそうに笑っていた。



「オーナー、今日はちょっとタガが外れちゃった感じで、一緒の部屋で寝るのが怖かったのよ? だからここに逃げてきたの」



 安西はオーナーの頬をツンツンと突っついた。熟睡しているようで起きる気配はない。



「? なんだ? タガが外れたって?」



 またもや彼女はその目をパチクリさせる。



「え? あれに気づいて、美少女ちゃんがオーナーに乱暴されたかもって思ったんじゃないの?」



 あれ? あれってなんだ?

 俺は首を捻った。



「首筋に、あったでしょ? 美少女ちゃんの首のところ」


 安西が周囲に聞かれないよう、俺に小さな声で耳打ちする。

 そのワードに、俺は驚きのあまり息を呑んだ。



 ――はあああ???!!!



「え?! おいおいおいおいおい! それは冗談じゃない……のか?」



「え? 気づかなかったの? マジですか?」



 安西は俺をジト目で見ている。



 いや、分からなかった。え? でも、それって、無事じゃなかったってことか?

 どういうことなんだ???



「でも、真珠さんは無事だった……んだよな?」



 呆れたように溜め息をついた安西が、俺のことを非常に残念そうな目で見る。



「無事に決まってるでしょー! あんなに大事にしてるんだもの、自分で壊すことなんてないわよぅ。だから、ここで寝てるんでしょうー?」



 そういう物なのか?

 そうか、それなら良かった。



「ただし『今のところはね』―――とだけ言っておくわー。いや〜、美少女ちゃんのあの色香は、大人顔負けだもの。あんたも堕ちそうになったそうだし、これからオーナーも相当苦労するんじゃない?」



 そこで安西は何かを思い出したようで急に黙り込み、そして不思議な話を聞かせてくれた。



「あのさ、何人かの給仕スタッフが数人の男性客に質問されてたの――『は、こちらの関係者ですか?』て、美少女ちゃんを指さして」



 安西は首を傾げている。



「確かに美少女だけど、美女という年齢ではないしで、スタッフみんなが困惑してたのよね。結局は、のかな、って話だったんだけど。数人から同じように訊ねられて、みんな不思議がってたのよ」



 どういうことなんだ?

 そう首を捻ったところ、安西は話題をオーナーへと切りかえる。


「ま! きっと、酔っ払いの戯言ね。いずれにせよ、オーナーは、これから振り回される未来が待っている――と」


 安西は、オホホホーと笑いながら、イタズラに目を細める。



「あと十年経ったら、どうなるかのかしらぁ。あー、楽しみ! それまで結婚しても子供産んでも『紅葉』に残らなければ!」


「は? え? ん? おい?」



 俺は混乱した頭で、そんな言葉にならない音を口から発するのが精一杯だった。



 そんな俺にはお構いなしで、安西はオーナーに掛け布団をかけ直し「じゃー、アタシ、仕事に戻るわねぇ」と休憩室から出ていった。




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